バックハウスやケンプの時代にピアノ音楽に目覚めたので、その後、若い世代のピアノに馴染むには少し時間がかかった。
それでも、むろんレコード、CDという限定つきではあるが、ルービンシュタインやグルダやブレンデル、アシュケナージをあつめて聴いてきた。
グールドがだめ。ミケランジェリがだめ。ポリーニがだめ。そのうえ、リヒテルも、アルゲリッチもだめということになると、いったいだれのピアノがいいの? ということになりかねない(^^;)
指揮者と違って、好みがはっきり分かれてしまうのが、わたしの場合、ピアニスト。
まあ、指揮者であっても、好き嫌いはあるけれど、たとえばポリーニのように「こんなやつ、もう二度とは聴かねえぞ!」という反応は起こらない。
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東日本大震災は、日本国内はもとより、世界へも大きな衝撃をあたえた。
2011年(平成23)3月11日という日付を境にして、世界観、自然観、人生観が、いやおうなしに変更をせまられた。あの震災がなければ、少なくともわたしは、詩に復帰することはなかったはずである(=_=)
いや、これまでと同じ――考え方が深まっただけ、という人もいるかな?
被災者として体験をしたわけではないが、あんな巨大津波がわが国の福島・三陸地方に襲いかかるなんて、だれが予測しただろう。寝耳に水であったから、あれほどの人的被害を出したのである。
だけど・・・それでもやっぱり、地球が「奇蹟の星」であることに変わりがない。
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これほんとうかな~。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111021-00000349-reu-bus_all
PENシリーズのどれかを、そろそろ買おうかとおもっていたので、無関心ではいられない。
「身の安全不安」とは、どういうことだろう?
価格.comのクチコミでも、いろいろな憶測が飛び交っていた。
オリンパスの株価も急落。
技術屋さんや、一般社員には「寝耳に水」なのかもしれない。
むろん、われわれオリンパス・ファン、ユーザーにとっても。
もし経営陣に大きな過誤があるなら、それをただし、ウミを出してほしいと願うばかりである。
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さっき確認したら、わたしはmixiに現在、183件ものアルバムが置いてある。
しかも、まだまだふえつづけている。200件の大台にのる日も、そう遠いことではないだろう。写真点数にしたら、いったい何枚になるのか。恐るべき数なので、とても、数える気にはならない。
これは明らかに、mixiのアルバム容量が、無料会員であっても、「無制限」になったことへのリアクション(^^;) もう一つは、ルミックスLX5を買って、街撮り、夜撮りをはじめたため、アルバム件数が、急激に増加していった・・・と考えてまちがいあるまい。
一方では、2011年は、「ぐんま昆虫の森」へはいっぺんも足をはこばなかった。
2008年1月14日にmixiをはじめて以来、チョウを中心とする昆虫写真がメインテーマだったのに。それと、本のレビュー。
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裏庭でオナガがけたたましく鳴いていた。
木の実をもとめて、わが家にやってくる。
テンちゃんと散歩していたのだけれど、この鳥が五、六羽柿の木にきているのを発見し、
野生に火がついた。
あわよくば、獲って食おう・・・とでもいうのか。
「バカバカバカ、バーカ!」
といっているように聞こえる(笑)。
参考までに、こんな声。
http://www.youtube.com/watch?v=M9LL69ob0Jk
空に舞い上がれない猫をあざわらっている。
わたしには、そうとしか聞こえなかった(^_^)/~
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自然界にあって「赤」という色は、いちばん人目をひく色である。
信号機の「赤」に代表されるように、警告色、危険色。生物の視神経に突き刺さってくる。
人間の血の色も赤で、赤はいたるところに散らばっていて、強烈な存在感を主張する。グリーン系がやすらぎ、いこいの色だとすると、赤は見る者を興奮させる。
もっとも、マタドールが猛牛のまえでヒラヒラさせる布(ムレータ)は、牛を興奮させるものではなく、闘牛士自身や観客を興奮させるために「赤」が使われているとのこと。
なぜなら・・・牛は色盲だから(-_-)
たとえば、トップにあげたのは、ショーウィンドゥに飾られた花嫁さんのうち掛け。
ただし、赤といっても、外界には多種多様な赤があって、ことばで大雑把に赤といっても、連想する色は、人それぞれかもしれない。
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十月もいよいよ後半戦だな・・・とおもっていたら、
このあいだは高崎で最高気温30℃を超えた。
寒暖の差がはげしく、うっかりしていると、体調をくずす。
クルマの中では、日中は南国なみに、エアコンを入れて走っている。
どこへいくにも、上着は手放せない。
トップにあげた写真は、ことしもわが家の庭に姿をあらわしたウラギンシジミ♂。
どういうわけか、必ず二頭であらわれ、追いかけっこをしている。
びゅん、びゅんと走り回り、本気で縄張争いをしているのか、
たわむれているだけなのか、わからない。
葉の上では、まだ世代交代をしようと意気盛んなヤマトシジミがラブシーン(^_^)/~
猫じゃらしが、秋色に色づいてきた。
昨日はちくま文庫につかまってしまい、深夜まで読みふけっていたので、
本日は少々寝不足。
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こんどこそ終わりだろうとおもうと
またいつしかはじまっている。
死んだ人は生き返ってはこないけれど
よく似た人が 百年後の世界を歩いている。
地球という名の 大いなる循環装置。
あ バッハの音楽がまた 耳の奥底ではじまり
感情の澱を ゆっくり
ゆっくりとかきまぜて。
ぼくらを見たこともない地平線の彼方へとつれ出す。
雨音。
雨だれ。
クルマが通りすぎる音。
そしてバッハの音楽は せせらぎのように
とぎれとぎれにつながって。
今日は紅葉が見られるとおもったのに
十月桜がほそい枝先で微風にふるえていたりするんだ。
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いままで、わたしは自分が花が好きだとは考えていなかった。
ところが、mixiアルバムを見返していると、花を主役にしたフォトがじつに多いことに、いやでも、気づかざるをえない(^^;)
花の種、あるいは苗木や球根を買って、育てた経験はない。
いや、種を播いたことはあったな・・・。
ほんの数回。
チューリップ、ヒマワリ、コスモス、えーと、それからそれから。
コスモスは以前から、被写体として好きだった。
秋にはコスモスが咲き乱れると聞いて、三国連山のスキー場へ出かけていったことがあった。
雪のないゲレンデをコスモスがうめつくしているのを眺め、花の小径を歩きまわりながら、わたしは幸福だった。
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ほんとうは、大人の出る幕はもうないのである。
舞台の袖に引っ込んでいればいい。
「あんたの出番は、もうとっくに終わっているのですよ。なんで、それに気がつかないんだろう。自惚れて、自惚れて。さてさて、なにがしたいの? なにをするの?」
これまで撮影したFhotoを眺めながら、そんな想いにとらわれる。
セイショウナゴンさんにも、ウラベカネヨシさんにも、子どもはいなかった。
子どもが歴史の表舞台に登場するのは、そんなに古い時代のことではない。
だけど、地球の未来を担うのは、間違いなく、こういった子どもたち。
五十、六十のじいさん、ばあさんは、いつまでも出しゃばっていないで、主役の座を、
これら次世代にゆずって、脇役となり、シナリオライターとなり、裏方となり、老いと死に親しむべきである。
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