馬鹿がトップでは
勝てる戦も負け戦
コミンテルンの影響受けた
スパイは連合艦隊司令部に潜んでいた
・・・・
・・・
・・
・
真珠湾攻撃への暴走が日米総力戦を招いた 山本五十六「やらせてもらえなければ、辞職する」…後押しした確信犯も
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20230810-00000116-ykf-000-1-view.jpg?pri=l&w=640&h=451&exp=10800)
日本軍機の攻撃を受け、大爆発を起こして沈没する米戦艦アリゾナ=1941年12月7日
【発掘・考察 大東亜戦争】 負けないはずの日本の大東亜戦争(1941=昭和16=年12月~45年8月)の戦略を破壊したのが、ともに米ハーバード大学留学組の永野修身軍令部総長と、山本五十六連合艦隊司令長官だ。
山本は41年1月7日付、及川古志郎海相宛の書簡「戦備に関する意見」で、「日米戦争に於て我の第一に遂行せざるべからざる要項は開戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃破して米国海軍及米国民をして救う可からざる程度に其の志気を沮喪せしむること是なり…」と述べている。
全くの見当違いの見解だ。 山本は、真珠湾攻撃の準備をしながら、大本営政府連絡会議などの正式会議にかけず、「やらせてもらえなければ、辞職する」と脅して、空気で攻撃を実現させた。海軍省や軍令部の反対を抑えて真珠湾攻撃を承認し、上奏した永野が山本を後押ししていた。
永野が確信犯で、派手な戦術好きで真珠湾攻撃一本やりの山本を利用したという見方は可能だ。 米国民への公約を翻し、開戦する口実を求めていたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本の「真珠湾奇襲」を先刻承知で待っていたとの説は有力だ。 戦後、巣鴨プリズンで国際検察局の尋問を受けた永野は、「海軍省も軍令部も永野も真珠湾攻撃に賛成でなかったが、山本を辞任させないために攻撃を承認した」旨を証言している。
永野は、なぜ明らかに国益に反する行動を取ったのか。深い闇に包まれた謎だ。 前回述べた国家戦争戦略「腹案」の第二段作戦は西進が基本だ。ドイツはイラク・イランへ進出して日本と連携すべく、またスエズ・北アフリカをにらみつつ油田も狙い、カフカス(英語名コーカサス=黒海とカスピ海の間)作戦を計画。東洋艦隊に大損害を被り、一時インド洋覇権を失った英国は、オーストラリアやインドから派兵ができなかった。
陸軍は、「ジャワ占領の線で長期持久態勢を固め、海軍主力をインド洋に進め、インドの大英帝国からの脱落、西亜(ペルシャ、イラク、アラビア)打通に資する作戦のみにすべき」と主張した。 しかし、ミッドウェー作戦、ガダルカナル攻防と、山本の太平洋方面への暴走は続き、日本は意図せざる米国との総力戦に戦力を完全に消耗した。
勝機があった西進戦略は崩壊し、敗戦へと向かい、原爆を投下される(=詳しくは拙著『日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』を参考)。 結局のところ、真珠湾攻撃は平和を望む日米国民の双方に災禍を招いた。 ヘンリー・スティムソン米陸軍長官は回顧録で、真珠湾攻撃がなければ米国の国論は分裂し、参戦に統一されなかった旨を記している。
■林千勝(はやし ちかつ) 近現代史研究家・ノンフィクション作家。1961年、東京都出身。東京大学経済学部卒、大手金融機関等を経て、近現代史の探究に取り組む。著書に『日米開戦 陸軍の勝算』(祥伝社)、『日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿 そしてフーバーは』(ワック)、『近衛文麿 野望と挫折』(ワック)、『ザ・ロスチャイルド―大英帝国を乗っ取り世界を支配した一族の物語』(経営科学出版)など。ネット番組「これが本当の近現代史」「月刊インサイダーヒストリー」などで情報発信中。