東京都町田市三輪町に行ってみたいと ずっと思っていました
長姉がその三輪町の友人の案内で 起伏の多い三輪町を歩いてきたと言うので 私もますます行きたくなりました
いろいろ調べていたら 夫が少しは知っているから一緒に行ってもいいよと言うので案内してもらいました
鶴川駅から南へ畑の中の道を歩きました
この辺りは川崎市麻生区岡上というところのようです
柿生(かきお)に近い地域だからか? 柿の畑が沢山ありました
柿の若葉がきれいでした
とっても気持ちの良い畑の中の道でした
その後 緑山スタジオの近くから 東京都町田市三輪町に入りました
北東~東を流れる鶴見川に向かって下っていく地域の町です
古くから栄えた町のようで 古墳などが数多くあります
小学校建設のときも遺跡が表れたと書いてあります
この椙山(すぎやま)神社は 奈良の三輪山と関係があるそうです
以下ネット記事のコピー
境内掲示による三輪椙山神社の由緒
当社は「古事記」「日本書紀」にも記されている有名な大和国の三輪の里(現奈良県磯城郡大三輪町)に鎮座する大神三輪神社の御神体である秀麗な三輪山に、この附近の山容がよく似ているところから元慶元年(八七七年)当地に勧請されたとの伝承がある。
御神体は不動明王が抽出されている御鏡であって裏面に下三輪総鎮守寛文四年(一六六四)大吉と刻まれている。
特に社号「椙山」はめずらしく武相地区に七十二の「杉山社」があるが、当社の椙(國字)は唯一のものである。
総氏子中により奉納された文政二年九月吉祥日の銘がある鰐口と嘉永四年(一八五一)建立の江戸時代で遺存しているものとしては近隣にあまり例のない石造大鳥居の奉額に「椙山大明神」と記されている等、まことに古い貴重な歴史を物語っている。
昭和二十年頃までは広い境内に樹齢五六百年を経た杉山社の巨木の鬱蒼として椙山の社、鎮守の森そのもののたたずまいであった。
明治末年下三輪大戸にあった大戸明神社が合祀された。(境内掲示より)
御神体は不動明王が抽出されている御鏡であって裏面に下三輪総鎮守寛文四年(一六六四)大吉と刻まれている。
特に社号「椙山」はめずらしく武相地区に七十二の「杉山社」があるが、当社の椙(國字)は唯一のものである。
総氏子中により奉納された文政二年九月吉祥日の銘がある鰐口と嘉永四年(一八五一)建立の江戸時代で遺存しているものとしては近隣にあまり例のない石造大鳥居の奉額に「椙山大明神」と記されている等、まことに古い貴重な歴史を物語っている。
昭和二十年頃までは広い境内に樹齢五六百年を経た杉山社の巨木の鬱蒼として椙山の社、鎮守の森そのもののたたずまいであった。
明治末年下三輪大戸にあった大戸明神社が合祀された。(境内掲示より)
エーッ!奈良の三輪山と町田の三輪町は関係があったなんて 想像もしていませんでした
俄然興味が増してきましたが 2時間近く歩いて疲れてしまい 今日は途中までにしておきました
帰ってきてから思い出しました 奈良の三輪で三輪そうめんを食べたことを!
2008年3月のことでした
私は食べ物の記憶だけは残っているんです(笑)
町田市三輪町の探索はまだ途中ですから あと2回くらい行かなきゃ!
でも今日は奈良と町田が結びついて 大発見でした
疲れたけど満足です
途中の植物
白いムラサキツユクサ
エゴノキ
桐の木に花が