滋賀県大津市膳所(ぜぜ)に膳所神社があります。
膳所(ぜぜ)神社は膳所本町駅の南東、京阪電鉄の線路沿いにあります。天智天皇6年(667)、天皇が大津遷都にあたって、この地を御厨(みくりや)と定め、大和から大膳職の御厨神として豊受比売命(とようけひめのみこと)を勧請、奉祀したのがはじまりと伝えられています。
古くから諸武将の崇敬を集めて栄え、戦国期には豊臣秀吉や北政所、徳川家康などが神器を奉納したことが社伝に記されています。慶安4年(1651)、本多俊次が7万石で入封し、明治維新まで本多氏が13代220年間膳所藩主を世襲し、庇護されました。
明治維新後、膳所城は解体され、城の門の多くが別の場所に移築されました。ここ膳所神社の表門、篠津神社の表門、鞭崎神社の表門は国の重要文化財に指定されています。膳所神社には南門の高麗門、北門の薬医門も同様に膳所城から移築されたものです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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膳所(ぜぜ)神社は膳所本町駅の南東、京阪電鉄の線路沿いにあります。天智天皇6年(667)、天皇が大津遷都にあたって、この地を御厨(みくりや)と定め、大和から大膳職の御厨神として豊受比売命(とようけひめのみこと)を勧請、奉祀したのがはじまりと伝えられています。
古くから諸武将の崇敬を集めて栄え、戦国期には豊臣秀吉や北政所、徳川家康などが神器を奉納したことが社伝に記されています。慶安4年(1651)、本多俊次が7万石で入封し、明治維新まで本多氏が13代220年間膳所藩主を世襲し、庇護されました。
明治維新後、膳所城は解体され、城の門の多くが別の場所に移築されました。ここ膳所神社の表門、篠津神社の表門、鞭崎神社の表門は国の重要文化財に指定されています。膳所神社には南門の高麗門、北門の薬医門も同様に膳所城から移築されたものです。
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