旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

三井寺南院鐘楼

2016年02月13日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 南院の鐘楼は文化11年(1814)に上棟されています。間口3間、奥行3間、袴腰付き、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの総欅の鐘楼です。組物は尾垂木(おたるき)を使わない三手先(みてさき)で、中備えは蟇股または蓑束(みのずか)で飾っています。園城寺南院札所伽藍鐘楼として昭和61年(1986)に滋賀県の有形文化財に指定されています。

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三井寺毘沙門堂

2016年02月12日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 南院の観音堂近くの北西方向に三井寺の毘沙門堂があります。この毘沙門堂は、もともと三井寺5別所の一つ尾蔵寺の南勝坊境内に建てられていました。明治以降に三尾社の下に移築され、戦後、現在地に移った堂宇です。
 毘沙門堂は間口1間、奥行2間、単層、宝形造り、檜皮(ひわだ)葺きの小堂で、元和2年(1616)の建てられています。内部には文様などが彩色で描かれており、組物、軒廻り内部天井などに桃山時代の特徴が出ています。園城寺毘沙門堂として昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。

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微妙寺

2016年02月11日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 村雲橋の方から南院に入ると、微妙寺(びみょうじ)があります。三井寺5大別所寺院の1つで、三井寺の周辺に広く衆生を救うために設けられた別院です。比叡山延暦寺が山外に置いた5別所に対抗して建てられたようです。ほかに水観寺、近松寺、尾蔵寺、常在寺が三井寺5別所ですが、尾蔵寺と常在寺は廃絶、微妙寺と水観寺は三井寺の山内に移されました。
 微妙寺の本堂は安永5年(1776)に再建された建物で、本尊は国の重要文化財でもある十一面観音菩薩です。この本尊は、廃絶した尾蔵寺の本尊だったといわれ、除病、除難、滅罪で霊験あらたかで知られていました。往時には参詣者が押し寄せ、かぶっている笠がすれあい脱げるほどであったことから「はずれ笠の観音」「笠ぬげ観音」と呼ばれたそうです。

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三井寺文化財収蔵庫

2016年02月10日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 文化財収蔵庫が微妙寺の近くに平成26年(2014)10月に開館しました。勧学院客殿障壁画のオリジナルを公開収蔵し、仏像、仏画、仏具など多くの重要文化財が展示、収蔵されています。

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勧学院客殿

2016年02月09日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 勧学院の客殿は桃山時代の書院造建築の代表作とされ、昭和27年(1952)に国宝に指定され、池泉式庭園は、園城寺勧学院庭園として国の名勝に指定されています。客殿内部の各部屋は襖で仕切られ、それを払えば大広間となり、学問所であったことがうかがえます。
 間口7間、奥行7間、入母屋造り、妻入、正面軒唐破風付、単層、総柿(こけら)葺きで、光浄院客殿よりもやや規模が大きめです。中門は間口1間、奥行1間、単層、切妻造りで、中門や広縁は光浄院とほぼ同じで、中世の主殿造の様式です。
 勧学院客殿は東を正面とし、軒唐破風の下に車寄、その北を蔀戸・吹放しの広縁としています。内部は南北を大きく三列に分け、南列の一之間と 広い二之間には、狩野光信(かのうみつのぶ)による華麗な障壁画が部屋を飾っています。
 狩野光信は狩野永徳の長男で、永徳のあとを継いで織田、豊臣、徳川の3氏に仕えました。勧学院客殿の他、安土城、肥前名護屋城、二条城、伏見城などの城郭や寺院、禁裏の障壁画なをを制作しました。その筆法は父永徳の豪放とは対照的で、繊細、優美な画風で、宗秀、山楽らとともに永徳没後の桃山画壇を支えました。

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勧学院

2016年02月08日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 勧学院(かんがくいん)は唐院の南、村雲橋を渡った右手にあります。三井寺子院の中でも格式の高い子院の一つで、かつては三井寺の学寮でした。勧学院とは、学を勧めるところ、つまり講学の場(学問所)です。南都・北嶺の諸大寺には必ず設けられ、その歴史は、古く平安時代9世紀にまで遡るそうです。
 三井寺の勧学院は「三井続灯記」に正和元年(1312)に創立と記されています。文禄4年(1595)、豊臣秀吉に闕所(けっしょ、寺域の没収)を命じられ破却されました。その後、秀吉は、死の直前に闕所を解除しました。以後、北政所や秀頼によって再建が進められ、慶長5年(1600)毛利輝元の手により再建されました。

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三井寺長日護摩堂

2016年02月07日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 三井寺の長日護摩堂は間口3間、奥行3間、単層、宝形造り、本瓦葺きの小堂で、灌頂堂と渡廊下によってつながっています。簡素な建物で、後水尾天皇(1611-1629)の祈願により建てられたといわれています。昭和35年(1960)に滋賀県の有形文化財に指定されています。

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唐院の灌頂堂

2016年02月06日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 唐院の灌頂堂(かんじょうどう)は大師堂と四脚門の間に位置し、大師堂の拝殿としての役割を備えています。間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、園城寺唐院灌頂堂として昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
 灌頂堂は密教の儀式である灌頂(かんじょう)の道場です。伝法潅頂をうけると僧の学位が得られたのです。内部は前室と後室に分けられ、伝法潅頂を行うプランを備えています。仁寿殿下賜の伝えそのままに、縁を廻らせ、蔀戸などをしつらえています。装飾が少ない落ち着いたお堂です。

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三井寺唐院四脚門

2016年02月05日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
  唐院の四脚門は唐院の表門です。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの四脚門で、寛永元年(1624)に建立されています。この門は棟門(むねもん)形式で建てられましたが、建立後まもなく四脚門に変更されています。園城寺唐院四脚門として昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。

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三井寺唐院

2016年02月04日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 唐院は中院の中にあり、三井寺を開いた智証大師(円珍)が中国伝来のお経をおいた所です。また唐院には智証大師像が安置されています。唐門、大師堂、長日護摩堂、灌頂堂などがあります。天安2年(856)に持ち帰った経巻、法具などを貞観10年(868)に納め、伝法潅頂の場としました。伝法潅頂をうけると僧の学位が得られました。
 唐院は最も神聖な場所とされ、一段高い石垣と塀に囲まれています。四脚門、灌頂堂、唐門、大師堂と一直線に続いています。国重文の唐門と大師堂は特別公開の時に見学できます。唐門は慶長3年(1598)建築で1間1戸向唐門、檜皮葺き。大師堂は同じ慶長3年(1598)の建築で、間口3間、奥行2間、単層、宝形造り、檜皮葺きです。

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三井寺三重塔

2016年02月03日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
  三井寺の三重塔は経蔵の南、唐院の北よりに建っています。園城寺塔婆といわれ、大和地方における中世の塔の風格を持っています。中世の園城寺には、中院に、五重塔、三重塔、別所水観寺三重塔、北院に、新羅社三重塔、別所常在寺三重塔、南院に、別所徴妙寺三重塔、別所尾蔵寺三重塔、別所近松寺三重塔、別院如意寺三重塔、別院世喜寺三重塔など10基の堂塔があったそうです。
 文禄4年(1595)、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、寺領の没収、事実上の廃寺を命じられました。現在の三重塔は秀吉によって慶長2年(1597)伏見城に移築された大和国(奈良県)の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔だったものです。南北朝時代の頃に建立された塔とみられています。
 慶長6年(1601)、徳川家康がこの塔を三井寺に寄進し建立しました。塔は方3間、塔婆の形式で造られ、高さ24.7mの本瓦葺きです。一層目の須弥壇には、木造釈迦三尊像が安置されています。三重塔は鎌倉時代の和様の様式で、軒が深く、三重の屋根が見事な線を描いています。相輪の水煙などに中世仏塔の風格が漂っています。園城寺塔婆(三重塔)として明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。

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三井寺孔雀

2016年02月02日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 三井寺にはたくさんの孔雀が飼われています。修験道の祖、役の行者「神変大菩薩」は孔雀明王の咒文を唱えて苦修練行し、遂に五色の雲を呼び、孔雀に乗って霊山に飛び去られたといわれています。

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弁慶の引摺り鐘

2016年02月01日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 弁慶の引摺り鐘と呼ばれる梵鐘は三井寺の初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。昔、俵藤太秀郷が百足退治のお礼に龍神よりもらい受け三井寺に寄進したと伝えられる有名な鐘です。
 その後、比叡山にいた武蔵坊弁慶が奪って比叡山へ引摺り上げて撞いてみると 「イノー・イノー」(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといわれています。
 この鐘には弁慶が引摺ったという疵痕や破目などが残っています。この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象が生じ、鳴らなくなったりしたそうです。
 建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き、これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、まさに霊鐘というにふさわしい様々な不思議な事件をいまに伝えています。

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