旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

清瀧宮拝殿

2019年07月16日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山に上醍醐があります。
 上醍醐の諸伽藍の入口付近に清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿が建てられています。清滝宮とは、空海が唐の青龍寺より勧請した密教の守護神を祀る神社で、醍醐寺の鎮守社です。寛治3年(1089)に創建された建物は焼失し、永享6年(1434)から5年かけて再建されたものです。昭和29年(1954)に国宝に指定されています。
 清瀧宮拝殿は間口7間、奥行3間、単層、檜皮(ひわだ)葺き、入母屋造り、軒唐破風付きで、3間の向拝があります。斜面にあるため南側は束柱を建てて空中にせり出した懸造り(かけづくり)となっています。神社の拝殿にしては珍しく、半蔀(はじとみ)や引違格子戸を備えた住宅風の作りで、寝殿造りの手法を生かしています。

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醍醐水

2019年07月15日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山に上醍醐があります。
 上醍醐にある清滝宮拝殿の近くに醍醐水があります。横尾明神の化身である老人が聖宝・理源大師に醍醐味であると教えた泉の水で、聖宝が「醍醐の妙味」と賞賛した醍醐寺発祥のところです。今でもこの霊水を飲むことができます。

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上醍醐

2019年07月14日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山に上醍醐があります。
 深雪山(みゆきさん)醍醐寺は醍醐山全山を寺域とする京都屈指の大規模寺院です。伽藍は広く、山上の上醍醐と裾野の下醍醐に分かれ、80余りの堂塔が立っています。上醍醐と下醍醐は険しい山道で隔てられていて、女人堂から山道の参道を1時間かけて登ります。
 醍醐寺の創建は上醍醐から始まります。平安時代の貞観16年(874)、弘法大師空海の孫弟子にあたる聖宝(しょうほう)・理源(りげん)大師が笠取山の山上に准胝((じゅんてい)、如意輪(にょいりん)の観音像を祀ったのがその起源とされています。
 伝説によると、五色の雲に導かれ笠取山に登った聖宝は、老人に姿を変えた笠取山の地主神、横尾明神と出会います。老人はそこに湧く水が醍醐味であると教え、聖宝が飲んでみると確かにうまく、「醍醐の妙味」と賞したのが醍醐の名の始まりになっています。
 聖宝は精舎を建てる所を見つけていると話すと、老人は自分は土地の地主神(横尾明神)で、この地を譲って精舎の守護神になると言ったそうです。そこで泉のほとりの柏の木を刻んで作った准胝、如意輪の2つの観音を祀る小堂宇を建てたのが、醍醐寺の始まりとなったそうです。
 上醍醐の中心である准胝堂は昭和14年(1939)の山火事で焼失し、昭和43年(1968)に、再建されていました。平成20年(2008)に落雷により再度焼失し、現在は准胝堂跡が残るのみです。そのため、准胝堂で行われていた西国札所の納経は、下醍醐の観音堂で行われています。
 上醍醐には国宝の薬師堂、清滝宮拝殿、国の重要文化財の如意輪堂、開山堂が建てられています。寺務所客殿、清滝宮本殿、五大堂、鐘楼、准胝堂跡、経蔵跡、白山大権現、地蔵堂のほか、上醍醐陵や奥の院もあり、寺の創建に深く関係する醍醐水も湧き出ています。

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宝塔寺多宝塔

2019年07月13日 | 旅 歴史

 宝塔寺の多宝塔は京都市に現存する多宝塔の中で最古のものです。室町時代の中期の永享10年(1438)以前に建てられています。下層は片3間、上層は円形、下層の屋根は本瓦葺きで、行基葺きといわれる丸瓦がある特殊な葺き方です。寶塔寺塔婆(多宝塔)として明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。

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宝塔寺本堂

2019年07月12日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町に宝塔寺があります。
 宝塔寺の本堂は寄進された方広寺大仏殿の余材を使って慶長13年(1608)に建てられたといわれています。日蓮宗本堂としては京都最古の建物で、間口7間、奥行7間、単層、切妻造り、本瓦葺きで、正面に3間の向拝を付けています。吹放しの外陣や内部の柱を高く小屋裏までのばす構造技法に近世の特色がみられます。
 本堂の中には本尊の十界曼荼羅、釈迦如来立像、その左右に木像の日蓮上人、日像上人像が祀られています。寶塔寺本堂として昭和59年(1984)に国の重要文化財に指定されています。平成15年(2003)に、本堂の解体修理を完成させています。

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宝塔の仁王門

2019年07月11日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町に宝塔寺があります。
 宝塔寺の仁王門は宝永8年(1711)に第18世・日実が松平紀伊守信庸の援助を受けて再興した建物です。丹塗りで、天井には250枚ものボタンの花の絵が描かれています。右側の密迹金剛像は仏師康揩の作、左の那羅延金剛は康圃の作で寛文10年(1670)に造られています。

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宝塔寺総門

2019年07月10日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町に宝塔寺があります。
 宝塔寺の総門は旧奈良街道に面して建てられています。室町時代の中期に建てられた門で寶塔寺四脚門として明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。間口3.2m、高さは5.2m、切妻造り、本瓦葺きの四脚門です。多宝塔とともに、応仁の乱などの戦火を免れてきています。

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宝塔寺

2019年07月09日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町に宝塔寺があります。
 深草山(じんそうざん)宝塔寺は日蓮宗のお寺で、京阪本線深草駅近くにあります。藤原基経(もとつね)が発願し、嫡子の藤原時平(ときひら)が昌泰2年(899)に開いたた極楽寺が宝塔寺の前身とされ、源氏物語にも出てくる古刹です。
 鎌倉時代末期の延慶年間(1308-1311)に、極楽寺の住持であった良桂と、京都で布教中の僧・日像は法論を行いました。良桂は日像に帰依し、日像を極楽寺に迎え、真言律宗から日蓮宗に改宗したそうです。極楽寺は京都での日蓮宗の初期の拠点となりました。
 その後、日像は、元亨元年(1321)に後醍醐天皇より寺領を賜り、妙顕寺を創建しました。そして妙顕寺は綸旨を賜わり勅願寺となりました。日像は康永元年(1342)に妙顕寺で亡くなりましたが、極楽寺で荼毘に付され、遺言で極楽寺に葬られました。
 応仁元年(1467)に起こった応仁の乱で荒廃し、長らく再建されませんでした。天正18年(1590)に妙顕寺12世日尭の弟子の日銀によって再興されました。この時に、寺名を現在の「宝塔寺(寶塔寺)」に改称したということです。

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法界寺薬師堂

2019年07月08日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区日野西大道町に法界寺(日野薬師)があります。
 法界寺の本堂である薬師堂は明治37年(1904)に奈良県斑鳩町竜田の伝燈寺本堂を移築した建物です。棟札から室町時代の康正2年(1456)の建築だと判明しています。間口5間、奥行4間、単層、寄棟造り、本瓦葺きです。内部は格子によって内外陣に区切られています。内陣が格天井、外陣が折上格天井になっています。
 本尊の秘仏・薬師如来立像は平安時代後期の作で、高さ88cm、桜材の寄木造りで、国の重要文化財に指定されています。胎内には慈覚大師最澄が刻んだという薬師如来が入れられているそうです。薬師堂は密教道場にふさわしい重厚な建物で、明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。

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法界寺阿弥陀堂

2019年07月07日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区日野西大道町に法界寺(日野薬師)があります。
 法界寺の阿弥陀堂は鎌倉時代前期(1185-1274)の建物です。間口5間、奥行5間、単層、宝形造り、檜皮葺きで、もこしが付けられています。承久3年(1221)の兵火で焼失後、まもなくして再建されたと考えられています。阿弥陀堂は昭和26年(1951)に国宝に指定されています。
 屋根には宝珠露盤を置き、屋根の勾配はゆるやかで外観は軽妙温雅です。もこしの部分は壁や建具を入れず吹き放ちで、身舎の正面は5間とも蔀戸(しとみど)です。内部には国宝の本尊阿弥陀如来坐像を安置し、本尊を囲むように四天柱が立ち、間仕切りはありません。阿弥陀如来の周囲を人々が歩いてめぐりながら念仏を唱える常行三昧堂の形式になっています。

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法界寺(日野薬師)

2019年07月06日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区日野西大道町に法界寺(日野薬師)があります。
 東光山法界寺(ほうかいじ)は真言宗醍醐派の古刹で、日野薬師とも呼ばれています。醍醐寺の南方に位置し、宇治市との境界に近い伏見区日野にあります。平安時代後期の永承6年(1051)、出家した日野資業(すけなり)が山荘に、薬師如来を安置する堂を建てたのが法界寺の始まりとされています。
 日野は平安時代、遊猟地として知られ、日野氏の先祖 藤原の北家の荘園がありました。弘仁13年(822)に藤原家宗が慈覚大師最澄が刻んだという薬師如来を賜り、祀っていました。資業はこの小像を胎内に収めた薬師如来を造り本尊として祀りました。この木造薬師如来立像は秘仏で、国の重要文化財に指定されています。
 その後、平安後期の阿弥陀信仰の高まりや末法思想の普及で、法界寺にも阿弥陀堂が建てられました。当時は観音堂、五大堂など多くの堂塔が建ち並んでいましたが、現存するのは阿弥陀堂のみです。平安時代後期の法界寺には、5体の丈六の阿弥陀如来像が存在していたそうです。
 阿弥陀堂と11世紀末頃に造られた木造阿弥陀如来坐像は国宝に指定されています。また本堂の薬師堂は明治になってから伝燈寺から移築され、国の重要文化財に指定されています。秘仏の木造薬師如来立像、木造十二神将立像、阿弥陀堂内装飾画、阿弥陀如来並坐像、飛天図などが国の重要文化財に指定されています。

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山口誓子句碑

2019年07月05日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区深草薮之内町に伏見稲荷大社があります。
 伏見稲荷大社の神楽殿の前に山口誓子の句碑が残されています。
   早苗挿す舞の仕草の左手右手
 山口誓子は京都市出身の俳人で高浜虚子に師事し、水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝とともに「ホトトギス」の「四S」と呼ばれました。

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おもかる石

2019年07月04日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区深草薮之内町に伏見稲荷大社があります。
 おもかる石は奥社奉拝所の横にある一対の石灯籠の上にある空輪の部分です。この石を持ち上げたときに軽く感じれば願い事が叶い、重く感じれば叶わないといわれています。

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伏見稲荷奥社奉拝所

2019年07月03日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区深草薮之内町に伏見稲荷大社があります。
 奥社奉拝所は、奥の院、命婦社とも言われています。昔はここが中社だった可能性が強いそうです。テレビアニメの「いなり、こんこん、恋いろは」にも登場しました。

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千本鳥居

2019年07月02日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区深草薮之内町に伏見稲荷大社があります。
 境内にある千本鳥居は現世から神がいる幽界への関門として建てられたといわれています。願い事が叶った御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代に始まり、近世に盛んになりました。一の鳥居から稲荷山の頂上近くまで、1万本近くの朱塗りの奉納鳥居がトンネル状にびっしりと立ち並んでいます。

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