7時、起床。子雀を拾ってから起床の時間が早くなった。しかし、それに合わせて就寝の時間は早くなってはいないので(3時前後)、寝不足気味である。7時に起きるなら1時には寝ないといけない。ハムトーストと牛乳の朝食。今日は10時から歯科の予約が入っているし、低空飛行をしているカラスがいるので、リリースはトライせず。
先日、マウスピースを床に落として、それを踏んで割ってしまった。二つに割れていても嵌めることはできるのだが、歯科にもっていったら接着剤を使って修理してくれた。しかし今日の検診で昔治療した右上の奥歯に虫歯(二次カリエス)が見つかって、そうすると、このマウスピースはもう使えなくなってしまうのではなかろうか(治療すると噛み合わせが違ってくるか)。歯を新たに治療するたびにマウスピースを作り直すのでは出費がかさんでしたかがない。
昼食は「鈴文」で。1時半ごろいったら、ランチのとんかつ定食(950円)は売り切れとのことで、1300円のとんかつ(ロース)定食を注文する。「鈴文」の全メニューの中でこのとんかつ定食が一番ではないかと思う。ランチのとんかつ定食は量的にややもの足りないところがある(150グラムでカロリー的にはちょうどいいが)。かといって2100円の特ロース定食の300グラムの肉は持て余してしまう。とんかつ定食は200グラムで一切れ一切れの厚味もちょうどいい具合だ。塩で2切れ、醤油で2切れ、とんかつソースで2切れ食べる。大満足。
「鈴文」を出て、その足で区役所へ行く。最初に9階の男女平等課に顔を出し、次回の区民会議の相談をする。続いて6階の社会教育課へ行き、シンポジウム「東京南部の青春~いま甦る1950年代サークル運動の世界」(11月23日、大田区嶺町特別出張所3F集会室にて)に教育委員会の後援を取り付ける件で相談。この種の申請で一番問題になるのは、催しの内容そのものはもちろんだが、主催団体の非政治性・非宗教性である(つまり危ない、怪しげな団体ではありませんということ)。アカデミックな研究集団であることを縷々説明する。
有隣堂で以下の本を購入し「シャノアール」で読む。
最相葉月監修『星新一 空想工房へようこそ』(新潮社)
香山リカ『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)
小山龍介『整理HACKS!』(東洋経済新聞社)
夜、『ブザー・ビート』第9話を観る。奈月(相武紗季)が別れた男への未練とその彼女への嫉妬で自分をコントロールできなくなった「嫌な女」を演じている。けっこう板に付いている。昔から「どんな役者も男は兵隊、女は娼婦を演じたらそこそこの演技ができる」という言い方があるけれども、「嫌な女」というのもその類なのかもしれない。しかも、奈月の台詞に「私、嫌な女になってる」というのがあったことからわかるように、相武紗季にコテコテの「嫌な女」を演じさせようとする演出の意図がはっきりしているので(無表情メークもその意図の表れだろう)、相武も割り切って、コテコテの「嫌な女」をほとんどパロディー的に演じているようにみえる。で、彼女の最終的な落ち着き先だが、宇都宮(永井大)になりそうな気配である。恋愛の相談相手が恋愛の対象へと変化するというのも恋愛ドラマの王道である。
ところで莉子が実家に帰ったとき、母親(手塚さとみ)から「もうヴァイオリンは諦めて、家に帰ってきたら」と言われるシーンがあったが、あれは戦後日本の親子関係を象徴するシーンであった。「あなたのやりたいことをやりなさい」というのが民主主義的な親から子へのメッセージである。物分かりのよい親。しかしそのメッセージには「ただし、私が許容する範囲内で」という付帯条件がついている。「ヴァイオリン」は子ども時代の莉子本人がやりたいと望んだというよりも、母親がそのように誘導したのであろうことは想像に難くない。あのような田舎町で子どもにヴァイオリンを習わせるというのはそれ相当の英才教育であり、音楽で身を立てる(立身出世)という親の期待を背負って、莉子はこれまでやってきたのである。その莉子に、母親は「もうヴァイオリンは諦めて、お父さんももうじき定年だし、莉子が戻ってきてくれるとうれしいんだけどな」と言う。身勝手な母親である。この母親のソフトな支配の下で、莉子はずっと「いい子」を演じてきたわけだが、恋愛は子どもが親の支配から脱出する一つの契機なのである。
先日、マウスピースを床に落として、それを踏んで割ってしまった。二つに割れていても嵌めることはできるのだが、歯科にもっていったら接着剤を使って修理してくれた。しかし今日の検診で昔治療した右上の奥歯に虫歯(二次カリエス)が見つかって、そうすると、このマウスピースはもう使えなくなってしまうのではなかろうか(治療すると噛み合わせが違ってくるか)。歯を新たに治療するたびにマウスピースを作り直すのでは出費がかさんでしたかがない。
昼食は「鈴文」で。1時半ごろいったら、ランチのとんかつ定食(950円)は売り切れとのことで、1300円のとんかつ(ロース)定食を注文する。「鈴文」の全メニューの中でこのとんかつ定食が一番ではないかと思う。ランチのとんかつ定食は量的にややもの足りないところがある(150グラムでカロリー的にはちょうどいいが)。かといって2100円の特ロース定食の300グラムの肉は持て余してしまう。とんかつ定食は200グラムで一切れ一切れの厚味もちょうどいい具合だ。塩で2切れ、醤油で2切れ、とんかつソースで2切れ食べる。大満足。
「鈴文」を出て、その足で区役所へ行く。最初に9階の男女平等課に顔を出し、次回の区民会議の相談をする。続いて6階の社会教育課へ行き、シンポジウム「東京南部の青春~いま甦る1950年代サークル運動の世界」(11月23日、大田区嶺町特別出張所3F集会室にて)に教育委員会の後援を取り付ける件で相談。この種の申請で一番問題になるのは、催しの内容そのものはもちろんだが、主催団体の非政治性・非宗教性である(つまり危ない、怪しげな団体ではありませんということ)。アカデミックな研究集団であることを縷々説明する。
有隣堂で以下の本を購入し「シャノアール」で読む。
最相葉月監修『星新一 空想工房へようこそ』(新潮社)
香山リカ『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)
小山龍介『整理HACKS!』(東洋経済新聞社)
夜、『ブザー・ビート』第9話を観る。奈月(相武紗季)が別れた男への未練とその彼女への嫉妬で自分をコントロールできなくなった「嫌な女」を演じている。けっこう板に付いている。昔から「どんな役者も男は兵隊、女は娼婦を演じたらそこそこの演技ができる」という言い方があるけれども、「嫌な女」というのもその類なのかもしれない。しかも、奈月の台詞に「私、嫌な女になってる」というのがあったことからわかるように、相武紗季にコテコテの「嫌な女」を演じさせようとする演出の意図がはっきりしているので(無表情メークもその意図の表れだろう)、相武も割り切って、コテコテの「嫌な女」をほとんどパロディー的に演じているようにみえる。で、彼女の最終的な落ち着き先だが、宇都宮(永井大)になりそうな気配である。恋愛の相談相手が恋愛の対象へと変化するというのも恋愛ドラマの王道である。
ところで莉子が実家に帰ったとき、母親(手塚さとみ)から「もうヴァイオリンは諦めて、家に帰ってきたら」と言われるシーンがあったが、あれは戦後日本の親子関係を象徴するシーンであった。「あなたのやりたいことをやりなさい」というのが民主主義的な親から子へのメッセージである。物分かりのよい親。しかしそのメッセージには「ただし、私が許容する範囲内で」という付帯条件がついている。「ヴァイオリン」は子ども時代の莉子本人がやりたいと望んだというよりも、母親がそのように誘導したのであろうことは想像に難くない。あのような田舎町で子どもにヴァイオリンを習わせるというのはそれ相当の英才教育であり、音楽で身を立てる(立身出世)という親の期待を背負って、莉子はこれまでやってきたのである。その莉子に、母親は「もうヴァイオリンは諦めて、お父さんももうじき定年だし、莉子が戻ってきてくれるとうれしいんだけどな」と言う。身勝手な母親である。この母親のソフトな支配の下で、莉子はずっと「いい子」を演じてきたわけだが、恋愛は子どもが親の支配から脱出する一つの契機なのである。