8時、起床。やっぱり梅雨はすでに明けているのではないだろうか。
茂木健一郎編『わたしの3・11』(毎日新聞社)を読む。『日常生活の探究』(仮)という本を書くことになっていて、出版社は違うが、『日常生活の社会学』の続編というか応用編のようなものになる予定である。編集者からの注文で、「3.11」以後の日常生活に焦点を当ててほしいとのこと。たしかに、「3.11」の前後でわれわれの(少くとも東日本に住む人々の)日常生活は分断されてしまったように見える。存在論的な不安の中での日常生活。それまで日常生活とは、よくも悪くも安定していて、それゆえに退屈で、退屈から逃れる(退屈を紛らわす)ための方法論を人々は希求していたように思う。いまは、不安定な日常の中で不安から逃れる(不安を紛らわす)ための方法論を人々は希求しているように思う。ただし、不安定な日常自体が日常化すると、それもまた退屈になってくるというメカニズムが働くから、単純に、退屈が不安にとって代わられたというわけではない。退屈と不安のスパイラルの中で、不安を内在した退屈(無力感)が不安の解消のために何かしらの突破口を求めている。穏当な言い方をすれば、それは「つながり」というものだろう。個人化の進行によって手に入れた自由と不安、その不安の方が大きくなったとき、個人化に抗して、あるいは並行して、「つながり」が求められるのは自然ななりゆきである。『日常生活の探究』では個人化とその先に来るものについて書こうと思う。来年度の演習「個人化の社会学」に間に合うといいのだが。
午後、昼食をとりがてら散歩に出る。下丸子「喜楽亭」。日曜日の昼食はゆっくりとりたい。ただ時間をかけて食事をするだけなら他にも店はある。「喜楽亭」が他の店と違うのは、その場所を流れている時間がゆっくりしていることである。演出されたくつろぎではなく、天然のくつろぎなのである。たとえば、テーブルの上に置かれた団扇。本門寺前の石屋さんが客に配ったものだが、そこに印刷されている電話番号の市内局番は3桁だから、かなり昔のものである(東京の市内局番が4桁になったの20年前)。竹でしっかりと作られているから長く使っても壊れないのだ。大きな団扇で、いい風が来る。今日は定食の定番ともいえる焼肉定食(850円)を注文した。御飯が進むしっかりとした味付けである。
下丸子から千鳥町まで歩き、池上線に乗って蒲田まで帰る。やっぱり梅雨は明けていると思う。実感としては、今年の東京の梅雨は夏至の日に明けたのだ。
夜、近所のコンビニにガリガリ君とアイスの実を買いに行く。路地を歩いていると何かの花の香がする。野良猫がブロック塀の上で涼んでいる。夏の夜のコンビニはリゾート地の気分が漂っている。
ついでにテレビ番組の雑誌を購入する。今週からもう夏のドラマが始まる。一応、チェックしておく。
「胡桃の部屋」(NHK、26日スタート) 原作:向田邦子 主演:松下奈緒
原作がいいし、主演女優もいい。これが私の中ではイチオシ。でも、まだだいぶ先だ。
「絶対零度~特殊犯罪潜入操作」(フジ、12日スタート) 主演:上戸彩
パート2。先行してスペシャルが7月8日に放送される。
「チーム・バチスタ3 アリアドネの弾丸」(フジ、12日スタート) 主演:田口公平・仲村トオル
パート3。安定している。
「それでも、生きていく」(フジ、7日スタート) 主演:瑛太・満島ひかり
殺人事件の被害者の兄と加害者の妹が出会う。重いテーマで夏ドラ向きではないのだが、配役がいいので、観ようかと思う。テーマ曲は小田和正の「東京の空」、作中音楽を担当するのは辻井伸行というのもいい。
そろそろ寝るか