フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月24日(月) 曇り

2014-11-25 09:40:35 | Weblog

8時半、起床。

朝食はとらず、朝食兼昼食を「phono kafe」に食べに行く。今日一人目の客。

おにぎりセット+惣菜一品(里芋と蓮根の摘み揚げ)。

食後にハニーブッシュとウサギ&クマのクッキー。

 

店を出て、駅の方へ。

おしゃべりカフェの後は物思いカフェだ。「ルノアール」でしばらく読書。

弘前大学の高瀬君からいただいた郡千寿子・仁平政人編『寺山修司という疑問符』(弘前大学出版会)所収の高瀬君の論稿「レンズ越しの「宇宙人」」を読む。寺山の青森高校時代の同級生で、後に写真家となった藤巻健二へのインタビュー及び藤巻が撮った寺山の写真から高校時代の寺山について考察したものである。タイトルにある「宇宙人」は藤巻の語りの中に出てくる。

「本人は自分は偉くなると思ってたはんでね。すごいね。天才だようや感じでいるんだから。あれ、生きていればすごいよね。棟方志功やピカソやらを飛び越したぐらいのものができる。頭の中、わけわかんない、天空のこと考えてるものな。宇宙人だもん。あんな発想、出るもんでないな。目立ちたがり屋なところでさ、自分では天才だと思ってるだもの。宇宙人、空の上を飛んでるわけだ。もったいないね。病気してももっと早く完全に治せばいいんだけど、病気しちゃったから。」(49頁)

高校時代の同級生は寺山を「宇宙人」として語るが、高瀬君は同級生の撮った寺山の写真から人間くささ、「地球人」的なものも読み取って、「明るさ」と「暗さ」、「知性」と「俗っぽさ」、「大人っぽさ」と「子どもっぽさ」、「質素さ」と「豪奢さ」、「無頼さ」と「自意識」、こうした二項対立的な要素の併存を指摘する。

「こうした両義性は、単に寺山の両極端の姿を表しているということではない。これらの「両極」の間で、寺山の生は多面的・重層的な位相を見せる。そうして積み重ねられる様々な表情が、人々に寺山の高校時代への関心を抱かせる要素となっているのではないか。それでは、このような振り幅の大きさをもたらしていたものは何か。寺山個人に即して言えば、この時期にすでに両極を行き来できr「演技力」のようなものを身につけていた、ということなのかもしれない。そして高校という環境についていえば、当時の学校生活の回顧のなかで頻繁に語られる「自由な雰囲気」が、寺山に創作活動の機会を与えたばかりでなく、アンビバレントなものを許容し、包み込んでいたのかもしれない。」(48-49頁)

「ルノアール」を出て、東急プラザの「くまざわ書店」で雑誌やメモ帳を購入。もう「12月号」だ。

  冬至までひと日ひと日の日暮れかな  草間時彦

駅前の人だかりは共産党の演説を聴く人たちである。動員された人たちが多いのであろうが、それだけではないようである。たぶん今度の選挙で共産党はまた議席を増やすだろう。 

いったん自宅へ戻る。

  薄日射す狭き舗道の落葉かな  たかじ

自宅の二軒隣のアパートが取り壊されて空き地になった。建売住宅が三棟建つらしい。

ジムの支度をして、再び家を出る。

  冬の川曇天の町を映しけり  たかじ

久しぶりのジムでは、軽めの筋トレを1セットと、有酸素運動を40分ほど。年末年始、週2ペースでやっていこう。

ジム帰りに今日二度目の「phono kafe」。昼間と夕方では客層が違う。最近、見なくなった母子の常連客は、離婚して実家(秋田)に帰ったという話を聞いた。「深夜食堂」みたいだ。

夕食はカレーライス。

明日の朝食はカレーとパンで決まりだ。パンは明日の朝に買う。「昨日のカレー、今朝のパン」だ。