フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月16日(火) 雨

2014-12-17 09:45:02 | Weblog

7時半、起床。

トースト、マンゴージャム、サラダ(トマト、ブロッコリー、レタス)、紅茶の朝食。

今日は母が地元の大学病院で泌尿器の定期検診を受ける日。母は2002年の8月に腎臓癌の手術を受けていて、その後、定期的に検査を受けている。いつもは一人で行くのだが、今回は腰痛を抱えているため、私が付き添って行く。天気がよければ散歩がてら車椅子を押していくところだが、雨が降って来そうなので、タクシーで行く。病院には9時半に着いた。

まず採尿をしてから泌尿器科の前のベンチで待つ。予約診療だが、尿検査の結果が出てから呼ばれるので、1時間ほど待った。待っている間、母は隣に座った見知らぬ男性の患者さんと話をしていた。その人は膀胱癌を患っているという。「男性に多いのよね」と母は言っていたが、たぶん前立腺癌と勘違いしているのだろう。その人は若くして両親を亡くし、長男である彼がきょうだいたちの面倒をみてきたそうだ。そのためもあって、この年まで(60代くらいだろうか)独身できたのだそうだ。母は初対面の人からこうした話を聞き出すことに関して天賦の才能をもっている。その人は先に診察を終え、「姉さん、お先に失礼いたします」と頭を下げて、立ち去った。

母の番号が電光板に表示された。最近は患者の名前を呼ぶのではなく、こうした受診番号が表示されるシステムになったようである。指定の診察室に入って、主治医から検査の結果を聞く。尿には異常がなく、CTも泌尿器系には異常はないが、大腸に気になる箇所がみつかったという。盲腸のあたりの腸壁が厚くなっているという。消化器センターで診察を受けて下さいと言われる。今日はかなり混んでいるようなので今日でなくてもいいということだったが、出直してくるのも一仕事なので、今日診察を受けることにした。

消化器センターでは2時間ほど待たされた。私は持参した藤沢モト『勝負師の妻―囲碁棋士・藤沢秀行との五十年』(角川書店、2003)をずっと読んでいたが、母は腰痛をかかえているから、ただ座っているだけでもつらかったようである。待っている途中、病院の売店でおにぎりを買って、昼食にした。

1時半頃、ようやく母の番号が表示される。担当になった医師は母のカルテを見て、「87歳ですか・・・」と言った。大腸に何か問題がある場合、内視鏡検査が一般的だが、高齢者には負担なので、とりあえず超音波検査で見てみましょうということになり、診察室内のベットでエコーをかける。「経過観察でもでいいように思うが、超音波検査の専門家にも診てもらいましょう」と言って、どこかに電話をかけて、「いまから診てもらえる? よろしくお願いします」と言った。

超音波検査室は一つ上の階にあって、いろいろな診療科からの患者が回されてきていたが、午後ということもあって、それほど待たずに検査の順番が来た。検査は20分ほどかかった。検査結果を踏まえた今後の対応については明日の午前中に電話で医師から聞くことになった。

会計で支払いを済ませ、タクシーで帰宅したのは3時頃。昨夜のおでんの残りを温めて食べる。

去年の11月に結婚式を挙げた卒業生のRさん(論系ゼミ一期生)から、お菓子(どら焼き)が届いた。彼女は、先日、私が彼女とゼミ同期のNさんと行った「パン日和あをや」のある鹿島田駅の一つ隣りの平間駅の近くに住んでいる(ご主人の勤め先が武蔵小杉にあるのだ)。今日送ってきてくれたどら焼きは、近所の和菓子屋さんのもので、添えられていた手紙には、「私はこのどら焼きを食べた時、ゼミのスウィーツタイムで食べたどら焼きを思い出し、おいしくて、今ゼミ生だったら次のスウィーツタイムはこれにしたいと思いました(笑)」とあった。私の記憶が確かならば、ゼミのスウィーツタイムで食べたどら焼きというのは、Nさんが買ってきた日本橋「うさぎ屋」のどら焼きだったはずである。

手紙には今年の3月に生まれた長男の写真が添えられていた。晴輝(はるき)くんという名前である。晴輝くんは結婚式のときにはすでにRさんのお腹の中にいたのだが、披露宴ではそのことは披露されなかった。かわいい男の子である。二人のどちらにも似ているように思う。どら焼きのお礼を直接電話で伝える。いつものRさんの天真爛漫な笑い声が聞こえてきたが、学生時代よりも、いくらが声が低くなったような気がする。やっぱり子育ては大変のようである。小さなお子さん連れで会うとなると、「パン日和あをや」の二階の和室(一組貸切)は最適ではなかろうか。 

夕食はカレーライス。箱根旅行のときにお土産に買ってきた「小田急山のホテル」特製のカレーである。