フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月21日(日) 晴れたり曇ったり

2014-12-22 10:34:15 | Weblog

7時、起床。

ハムトーストと紅茶の朝食。

母を美容院に連れて行く。あいかわらず食欲不振だが、それでも身だしなみへの関心が失われていないのはよいことである。車椅子で15分ほどの道のり。母を預けて、私は家に戻り、2時間後に迎えにゆく。

昼食は明太子のお茶漬け。今日は5時から娘と外で食事をする約束なので、昼食は軽めにしておく。

4時15分に家を出て、鹿島田へ向かう。

多摩川を渡る。

鹿島田の駅で娘と待ち合わせ、「パン日和あをや」へ向かう。

娘は今月から同じIT関連の別の会社に転職したのだが、新しい職場の話などを聞きながら歩く。

20日から25日まで、一日三組限定のクリスマスディナーを予約しておいた。二階の和室に案内される。今日の他の二組はランチで来たそうで、夜はわれわれだけである。

飲み物は、見かけは同じように見えるが、私はアップルサイダー、娘はスパークリングワイン。

ミニカップスープ(ジャガイモのポタージュ)。

サーモンのサラダ。

海老とマッシュルームのアヒージョ(オリーブオイルとニンニクの煮込み)。トーストされたコッペパンにのせて食べるのだが、これがとても美味しかった。

パン三種。バターが添えられているが、アヒージョの汁をつけて食べたり、チーズや生ハムと一緒に食べたり。

生ハムとチーズとピクルス。チーズはカマンベールとフルーティーなチーズの二種。

元々のメニューではフルーティーなチーズはブルーチーズであったが、今日の午前中に「あをや」の奥様からメールが来て、「ブルーチーズは苦手ではありませんか?」と聞かれた。娘にメールをして確認したら「ブルーチーズというものを食べたことがない」そうだ。奥さまにそう伝えたら、「では、別のものにしておきます」ということになったのだが、ブルーチーズ未体験の娘のために奥様がブルーチーズを小皿に入れて出してくださった。娘はそれを口に入れた途端、カッと目が開いて、「ど、どうしよう・・・」という困惑の表情になった。娘には無理だったようである。「これが最初で最後のブルーチーズ」と言った。

一方、娘は大のピクルス好きで、お替りをお願いした。私はピクルス単品の注文をしたつもりだったが、サービスしていただいようである。

チキンの煮込み。美味しい。さきほどの海老とマッシュルームのアヒージョと同じく、クリスマスメニューならではのもので、通常は食べられない。奥さまの料理の腕は街の小さなレストランのシェフとして十分にやっていけるもので、週末だけでいいですから、こうした料理をメニューに載せていただけないだろうか。そうしたら、私、毎週通いますけどね。

デザートはクリスマス仕様のフレンチトースト(アイスクリーム添え)。

娘はかいがいしく取り分けるふりをして、飾りのツリーはしっかり自分が確保していた。

最後の飲み物は私はコーヒー、娘は紅茶。ごちそう様でした。とても美味しかったです。

お腹いっぱいになる。しばらく部屋でくつろぐ。

鞄に入れて来たポメラを見せたら、気に入ったようなので、君にも買ってあげよう(クリスマスのプレゼントとして)ということになる。

「パン日和あをや」は年内は25日(木)まで営業。普段は定休日の月曜・火曜も頑張ってやってます。

帰りは矢向駅へ。

川崎で途中下車して、最初、Bカメラに行ったが、ポメラの在庫がいくら待っても出てこず、痺れを切らして店を出る。

娘推奨のYカメラに行ったら、すんなり買えました。

蒲田に着いて、「有隣堂」をのぞく。

NHKの俳句講座のテキスト(1月号)を購入。新年最初の句会は1月25日である。兼題は「初」。

パトリック・モディアノ『失われた時のカフェで』(作品社)。著者は今年のノーベル文学賞受賞者。

「カフェのふたつの入口の狭いほう、陰の扉と呼ばれていたほうから、いつも彼女は入ってきた。そして小さなカフェの奥、いつも同じ席に座った。最初のうち、だれとも口をきかなかったが、やがてみんなとうちとけた。そのカフェ、ル・コンデの常連と。ほとんどが僕らの世代―そうだな、19から25歳、といったところだったろうか。彼らのテーブルにも時おり彼女は座ったが、それ以上に、自分のその場所をだいじにしていた。いちばん奥の席だった。」

物語への期待が高まる素敵な書き出しだ。