9時、起床。
トイレに行き、顔を洗い、とりあえず書斎のパソコンでメールのチェックをしていたら、地震が来た。少し大きな揺れで(震度4だったそうだ)、本棚の前面に横済みしている本の一部が床に落ちた。
右側の本棚の 上から二段目から落下したのだ。2011年の震災のときには全部の段の横済みにしてある本が落下したから、そのときの揺れに比べたら大したことはなかったが、目の前で本が落下するのを見たのは久しぶりである。やっぱり横積はよろしくないな(背後の本のタイトルも見えないし)。とは言っても収納スペースがなぁ。いずれ研究室の本も持ってこないとならないことを考えると、いよいよ我が家の最後のフロンティア、いまは客間や一時的な作業スペースとして使っている1階の元両親の居住空間を植民地化するしかないのだろうか。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
仏壇の香炉の掃除をする。毎朝立てる線香の燃えかすがけっこうな量になっている。
新聞を敷き、ざるをおき、そこに香炉の灰を移す。
ふるいにかけると細かな灰は新聞紙の上に落ち、線香の燃えかすだけが残る。
灰を香炉に戻し、燃えかすは捨てる。ついでに仏壇の中の掃除をする。
書斎の窓際に乱雑に積まれていた本(比較的最近購入した本)を一階の食堂のテーブルの上に持って行って、書庫に移すべき本、書斎のしかるべき場所に戻すべき本を仕分ける。
一階の和室の掘り炬燵の上のテーブルは書類の仕分け作業に使われている。
2時半頃、昼食を食べに出る。陽が出てきた。
でもまだ雨は止んでいない。天気雨である。
先日昼食を食べた「大福」の前を通る。「食べ放題+飲み放題で2980円」とある。
近くの別の中華料理店でも「食べ飲み放題2980円」と出ている。 いま、これがスタンダードなのか。後からネットで調べてみたら、ゼミのコンパでよく利用する高田馬場の「火麒麟」もやはり「食べ飲み放題」は2980円だった。ただし、ゼミのコンパではコース料理(食べ放題ではない)+飲み放題の学生プラン2570円でやっているようである。
「テラス・ドルチェ」に入る。
ガパオライスを注文。注文するときマダムに「かなり辛いですがよろしいですか?」と聞かれる。はい、何度か食べているので、大丈夫である。
炒めた鶏の挽肉はたしかに辛い。しかし、「おいしい」の範囲内の辛さである。お冷もお替りせずにすんだ。
セットのブレンド。そしてこの時間帯だとミニコーヒーゼリーがサービスで付いてくる。
店を出る頃には雨もすっかり上がっていた。
「ノザワBAKE」に寄る。
今日もテイクアウトのみの営業。メープルケーキとバナナカルダモンケーキを買って帰る。
帰宅してしばらくしてスマホが見当たらないことに気づく。もしかした「テラスドルデェ」に忘れて来たかもしれない。その前に家のどこかにある可能性もあるので妻に私のスマホに電話をかけてもらう。一番可能性のある書斎で鳴るのを待ったが、何の音も振動もしない。居間に戻ると、妻が「書斎にあったの?」と聞いた。「いや、なかった」と答えると、「えっ、いま『もしもし』って出たのタカジさんじゃなかったの?!」と言うではないか。それはおそらく「テラスドルチェ」の若いマスターである。自分の夫の声かどうかわからなかったのだろうか。夫だと思い込んで聞くとそうなるのだろう。「オレオレ詐欺」というのが成立するはずだ。もう一度電話をかけてもらったら、再び「もしもし」と出て、やはり「テラスドルチェ」の人だった。すぐに受け取りに行く。妻曰く「タカジさんはホントによく忘れ物をするけど、ホントによく戻って来るわよね」。「どこに忘れたかを覚えている(推測できる)からだよ」と答えると、「そんなの自慢にならないわよ」と言われた。ごもっともです。
外出したついでに東急プラザの「くまざわ書店」で平山周吉『江藤淳は甦える』(新潮社)を購入。江藤の没後20年に合わせて出版で、800頁近い大著である。タイトルは江藤の小説『海は甦える』から取っている。平山は江藤が亡くなった(自殺だった)当時、雑誌の編集者をしていて、江藤が亡くなる数時間前に絶筆となる原稿を鎌倉の江藤の自宅で受け取っている。
朝刊の一面の「江藤淳氏が自殺」の大きな記事を見ても著者は驚かなかった。すでに前夜、いち早く第一報を聞いていたからである。
「自殺の新聞報道を見て私が驚いたのは、年齢のことであった。享年六十六、とどの新聞も報じていた。昭和八年(一九三三)生まれとされていたが、実は昭和七年(一九三二)生まれだったのだ。芸能人でもあるまいし、江藤淳ともあろう人が、なぜそんな小手先の変改をしていたのか。(中略)私は紙面の江藤さんの顔写真を見ながら、そのことばかり考えていた。今になって思うと、私は「自殺」という厳粛な事実をどこかで回避しようとしていたのだろう。は慶子夫人を亡くした後、心身ともに不安定な上に、一ヶ月前には軽い脳梗塞で入院していた江藤さんに『幼年時代』連載という無理を強いたのではないか。江藤邸の応接間で、自分の対応になにか落ち度はなかったか。平静だが、いつもの快活さはなかった江藤さんを、ひとつ冗談でも言って笑わせることができればよかったのに。いっそカップでも取り落として、逆鱗に触れれば、沈んだ気分は猛々しい闘争心に変化したのではないか。身を締めつけてくるような後悔の念から、年齢の疑問を考えることで目を逸らしたかった。」(9-10頁)
ジャーナリストの書く評伝は、学者が書くそれよりも読みやすい(たぶん一種のサービス精神が働いているのだろう)。大部な書物ではあるが、読み通すのに骨が折れることはなさそうだ。
巻末の索引で「清水幾太郎」を調べたら3カ所で登場することがわかったので、とりあえずその3カ所に目を通した。私は戦前・戦中・戦後に活躍した知識人の評伝を読むとき、明治40年(1907)に生れ昭和63年(1988)に死んだ清水幾太郎の人生との接点や交点について見てみる習慣があるのだ。そうやって「清水幾太郎と彼らの時代」について考える。江藤淳は「彼ら」の一人である。
自他ともに認める江藤の代表作は『漱石とその時代』であるが、彼の死によってそれは未完(第5部まで)に終わった。
夕食はポトフ、茹でトウモロコシ、ご飯。食事のときにトウモロコシを食べるのは妻が我が家に持ち込んだ習慣である。子どもの頃の私はトウモロコシはトウモロコシ単独で食べていた。 いまでも食事のときにトウモロコシが出ると、少しばかり「えっ」と思う。
デザートに「ノザワBAKE」でテイクアウトしたケーキを妻と分けて食べる。妻はダイエットを心がけているようなので、私がケーキを買ってくると「えっ」と思うようである。
深夜、久しぶりにウォーキング&ジョギング。近所の専門学校のキャンパスの周りを10周(約4キロ)する。これでー700グラムである。
2時半、就寝。