8時、起床。
ロールパン、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
今日の『なつぞら』。雪次郎の両親と祖母が北海道から上京してきた。一家そろってとはかなりの出費であるはずだ。それだけ雪次郎の乱は一家にとっての一大事であるこというとことだ。『川村屋』での菓子作りの修行を辞めて演劇の道に進みたいという雪次郎。本来であれば勘当ものである。しかし、子どもは家族の期待ではなく子ども本人の夢のために生きるべきであるというのは『なつぞら』の人生哲学である。だからなつは酪農ではなくアニメーションの道に進むことができた。雪次郎はダメというわけにはいかないだろう。
句会仲間の恵美子さんからお貸ししていた『木更津キャッツアイ』のDVD―BOXが宅配便で戻ってきた。中にお礼の手紙と俳句のミニ書きが入っていた。「真夏日や菓子職人の去りし町 令和元年たかじ句」彼女の朱印が押してある。 手紙は毛筆で書かれており、さらがら明治の文豪の手紙のようである。予定日は7月5日とのことだから、いよいよである。どうか安産でありますように。
午後、妻と「HITONAMI」に昼食を食べに行く。
これは「HITONAMI」のロゴ。人のようでもあり、波のようにも見える。
時刻は2時過ぎで、客は私たちだけだった。ここは基本的にはカフェであり、食堂ではないので、中休みの時間というものはない。
メインは私は味噌煮ハンバーグ、妻は黒酢鶏をチョイス。 店長のオガサワラさんに「ブリ以外の魚も食べたいな」と言ってみる。「そうですよね。そろそろ飽きられているんじゃないかと思ってはいるんです」と彼女。以前はサバも出ていたが、サバは苦手な人もいるようで、無難なブリに落ち着いて、調理のバリエーションでやっているわけだが、でも、やっぱり、他の魚も味わいたいですね。
食事の前に梅ソーダで喉を潤す。梅雨の晴れ間、家から20分ほど歩いてきて、喉が渇いていた。
惣菜は、スイスチャードのナンプラー炒め、ズッキーニとキノコとピーマンの鶏ハムのマリネ、コロッケ。
店に電話がかかってくると、クドウさんが、「ありがとうございます。ヒトナミです」と電話口でいう。 そのときの「です」と「ます」の言い方が、たいへんチャーミングである。どうチャーミングなのかを文字で表記するのは難しいので、一度、電話をかけてみてほしい。「ああ、ほんとだ、チャーミングだ」ときっと思ってもらえると思う。 もちろん声だけ聞いて電話を切ったりしてはダメで(それではイタズラ電話と同じです)、ちゃんと席の予約をしてくださいね。
帰宅して、しばらくして、妻が「今日は日曜日みたいな気がする。タカジさんと「HITONAMI」にお昼を食べに行ったせいね」と言った。
外で聞きなれない猫の声がする。新顔の野良猫だろうか。あとでお隣のNさんから聞いたのだが、カラスの子が庭にいて、どうも飛べないようで、親が心配してそばでずっと呼びかけるように鳴いていたのだそうだ。そうか、あれは猫ではなく、カラスの声だったのか。あんな風に鳴くのか。そのときはもう薄暗くなっていて、親はねぐらに帰っていったが、子はこのあたりの家の敷地の中にまだいるそうである。
夕食は二色そぼろ丼、さつま揚げ、サラダ、味噌汁。
妻が言うのは「急に二色丼が食べたくなったの」だそうだ。二色丼は子供の頃よく食べた記憶がある。実際、美味しいし、彩りも綺麗だ。今日のは大葉が入っていて、三色に見える。
明日の大学院の演習で松田道雄の評伝を読むことになっているので、彼の代表作『育児の百科』(岩波書店、1967)を書庫から取り出してくる。付箋は以前に読んだ時のものである。我が家の子育て時代に読んでいたものではなく、1970年代前半に日本の家族の寝方がそれまでの子供中心(川の字)から一時的に母親中心になったときの事情を調べているときに、この育児書の影響があったのではないかと考えて、読んでみたのである。
10時半ごろ、近所の専門学校のキャンパスの周りをウォーキング&ジョギング。しんどいのは最初の3周までで、それを過ぎると身体のぎくしゃくした感じは消え、足の動きもスムーズになり、こままいつまでも走っていられそうな気がしてくる。一種のランナーズハイの感覚になってくるのである。でも、10周でやめときますけどね。
2時、就寝。