フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月16日(金) 曇りのち晴れ

2019-08-17 12:40:41 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の昼食。

今日の『なつぞら』結婚の次は出産である。そして出産と連動して仕事の継続性の話である。「仕事か家庭か」から「仕事も家庭も」へと性別役割分業意識が変化していく、その先端部分になつはいる。周囲もそれを応援する。「頑張れ、なっちゃん」。 仕事と家庭の両立は本人の頑張りにかかっている。無理をして頑張らなくても両立ができるような仕組み作りに会社が頑張るというわけではない。このことはいまも基本的に変わっていないように思われる。その端的な表れが、産休や育休や時短勤務で職場の労働力が低下しても、労働力の補充はなく(人件費の節約)、残ったメンバーの頑張りよってやりくりするというやり方である。これでは「迷惑をかけている」「かけられている」という意識が職場に生れ、出産・育児退職につながりやすいだろう。産休・育休が「取れる」ということと「取りやすい」ということは同じではない。それでも職場のほとんどのメンバーが遅かれ早かれ産休・育休をとるのであれば、「お互い様」の意識が生じて、「迷惑」意識は低減するだろう。しかし現代は、なつの時代とは違って、結婚しない人、結婚しても子供をもたない人が少なくない。「お互い様」の意識が生まれににくくなっている。結婚・出産・育児(さらには老親の世話など)をめぐるメンバーの異質性を前提とした働き方の仕組み作りが重要なのである。

10時に予約している歯科医院へ行く。今日は左の上下の奥歯の歯石の除去と全体のクリーニング。担当してくれる歯科衛生士の東口さん(蒲田駅の東口にお住まいなのでそう呼ばせてもらう)に「お盆休みはどちらかに行かれましたか?」と聞くと、「四国に行ってきました」とのこと。三泊四日で四国四県を回ったそうである。「自動車ですか?」「はい、自動車で」「東京から四国まではどうされたのですか?」「それも自動車です」「それはずいぶんありましたね」「はい、そうですね。私はそんなに運転しませんでしたが(笑)」。途中から私は口をずっと開けたままなので、東口さんのお話を聞くだけになった。TVドラマでは、よくこういうシーンでも患者はおしゃべりを続けているが、あの設定には無理があると思う。今回の一連の治療は今日で終了。次の定期検診は半年後。

午後2時を回った頃、息子と昼食を食べに出る。「松家カレー」に行く。

今月で23周年ということで、看板メニューのサーロインステーキカレーがサービス価格(980円)で食べられる。うん、これにしよう。息子もそうする。 

店内にはたくさんの貼紙(あれこれの説明)と漫画本。 

牛丼の「松屋」と誤解されることが多いのだろう。そうではないと書いてある。また、漫画本は待ち時間が長くなるメニューがあるためと書いてある。開店当時はスマホなんてなかったから、漫画本が必要だったのだろう。

待つことしばし、サーロインステーキカレーが運ばれてきた。 

サーロインは130グラム。塩コショウでソテーされている。あらかじめカレーはかかっていない。私はステーキにはカレーはかけず、それ単独で味わった(カツカレーの場合もしばしばそうする)。そういう食べ方をする場合、「なぜステーキ(あるいはカツ)をカレーに載せるのか」という存在論的(?)問題がおのずと浮上するが、それについては深く考えないことにしよう。ステーキを味わい、カレーライスを味わう。これで980円。安くて美味しゅうございました。 

妻に頼まれている夕食の買い物をしに息子と駅ビル東館地下の魚屋へ。刺身の盛り合わせかなにかと言われたが、盛り合わせは見栄え重視で高くつくので、食べたい刺身(カツオ、シメサバ、サーモン)をそれぞれ柵で買うことした。息子にはこれを持って家に帰ってもらう。私は「テラスドルチェ」に食後のコーヒーを飲みに行く。 

最近はカウンターが空いていれば、その隅の席に座る。ここはクーラーの風が直接当たらないので、私にはいい。鞄に入れてきた本(原稿のための資料)を読む。滞在時間は1時間半。 

時刻は午後5時を少し回ったところ。 

駅ビル東館の「くまざわ書店」に寄って、新書と文庫を購入。

 清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書)

もちろん所有しているが、今日の午前中にちょっと調べたいことがあって書棚を探したが見つかれらず、こういう場合は探すよりも買ってしまった方が早いので、数冊目の購入となった。清水が生涯に書いた90数冊の単著の中で一番売れた本であり、かつ現在も絶版・品切れになることなく書店に並んでいる数少ない本である。

 外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)

たぶんこの本も所有しているが、探す時間の節約のために購入。元は1983年に出た本だから相当なロングセラーである。その7年前に渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書、1976年)が出て爆発的に売れた。本書はその系譜に属する本の一冊である。この系譜をさらにさかのぼると梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書、1969年)に行きつくが、「知的生産」と「知的生活」の違いに、高度成長から消費社会への移り行きを感じる。

 栗原康『アナキズム~一丸となってバラバラに生きろ』(岩波新書)

これは去年出た本。現代の若者の友人関係は「みんなぼっち」と表現されることがあるが、それをもっと動的にポジティブに表現すると、本書の副題の「一丸となってバラバラに生きろ」になるかもしれない。著者は大杉栄の研究で知られる。まるで大杉栄が現代によみがえって著者に憑依したかのような文体で、岩波新書としては異彩を放っている。

 「そいじゃあ、アナキズムってなんなのか。たぶん「無政府主義」っていう訳でききおぼえがあるってひとはおおいんじゃないかとおもう。もちろん、それはまちがいじゃないんだが、ことばの意味をひろっていくと。アナキズムというのは、ギリシャ語anarchosからきていて、an(アン)っていう説頭語と、arche(アルケー)がくっついてできたものなんだ。アン、アルケーで、アナーキー。でね、このアンというのは「~がない」っていう意味で、アルケーというのは「支配」とか「統治」って意味なんだ。/だから、ていねいに訳していくと、「だれにもなんにも支配されないぞ」とか、「統治されないものになれ」ってのがアナーキーになる。で、それを思想信条としましょうってのが、アナーキズムだ。(中略)政府ってのは、統治の一機関だからね。それで「無政府主義」とも訳されたりするのだが、まあまあ、政府だけじゃなくて、あらゆる支配はいらねえんだよってのが、アナキズムだ。」(8-9頁)。 

時刻は6時半を回ったところ。自宅のベランダから見る西の空が夕焼けに染まっている。 

夕食はお刺身大会。

カツオのたたき。 

サーモン。 

シメサバ。 

イクラとサーモン。海鮮親子丼。 

デザートはスイカ。 

原稿書きはどうしたって深夜に及ぶ。

3時半、就寝。