フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月7日(火) 曇り、夜になって雨

2021-12-08 12:54:44 | Weblog

8時半、起床。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)、ウィンナー&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『カムカムエブリバディ』。嫁ぎ先に戻った安子の日々。おはぎを作って街に売りに出ることはできるが、そこに娘を連れていくことはダメだと言われる。密着していた母子関係に隙間が生じる。おそらくその乖離は徐々に大きくなっていくのだろう。見ていてつらい。旧友との再会や米軍兵士相手に英語の会話が通じたとかの嬉しい出来事もちりばめられているのだが、全体を包む閉塞感は大きい。

演習は夕方からだが、早めに家を出て、久しぶりに「たかはし」で昼食を食べようと思う。

JR蒲田駅で京浜東北線の先頭の方の車両に乗り、東京駅で下車して営団地下鉄東西線(大手町駅)に乗り換えるとき、この東京駅丸の内北口を出る。

早稲田に着いて、「たかはし」に行こうと、馬場下の交差点で信号が替わるのを待っていると、横に文学学術院の同僚の森由利亜先生(東洋哲学)がいらした。彼もこれから「たかはし」に食事に行くところであった。

久しぶりの「たはかし」で久しぶりの肉豆腐定食を注文する。冬はこれである。森先生は焼き魚(秋刀魚)定食。

森先生は私より一回りほどお若いが、文学学術院の教員になった年齢も一回りほどお若いので、同僚である期間はもう30年近くに及んでいる。「万年青年」というのが私の森先生イメージである。専門分野がかけ離れており、教務の仕事でご一緒することもなかったので、個人的に親しくお話する機会がこれまでなかったのだが、今日、食事をしながら気軽なおしゃべりをして、彼の意外な一面を知ることができた。第一に、商店街歩きがお好きなこと、第二に、カフェがお好きなこと。なんと、私と同じではないか。たちまち意気投合した私たちは、入試シーズンが終わったら、梅の咲く寺町池上あたりでカフェ巡りをすることを約束したのであった。久しぶりに「たはかし」に来てよかった。

文キャン前の諏訪通りの銀杏並木が色づいている。

森先生が「ミルクホール」に寄ってスイーツとドリンクを買っていくというので私も付き合う。「ミルクホール」にはよく顔を出されるようで、店長の女性が森先生にさかんにシュトーレンを勧めていた(彼はそれを購入した)。

私はアンドーナツとブレンドコーヒー。

演習が始まるまでの2時間ほど放送原稿を書く。

5限は演習「現代人と孤独」。今日の発表は以下の4つ。

 『おやすみプンプン』に見る孤独

 「積極的孤独」を渇望するデジタルネイティブ世代以降の人々

 ウルトラセブンの「孤独」

 『恋する寄生虫』から孤独を考える

今回もそれぞれの思い入れのある作品をとりあげて熱の入った聴きごたえのある発表だったが、一つ気になったのは、作者の「意図」や「真意」というものにとらわれすぎていないかということである。それを考えることはよいけれども、それが考察の最終地点ではない。最終地点は、あなたが作品をどうとらえるかである。それは作者の「意図」や「真意」からもっと自由であっていい。大切なことは、出生の秘密ではなく、あなたと作品との出会いである。ごきげんよう・・・みんな先に帰っちゃったけど。

帰るときは雨になっていた。雨に濡れる東京駅(丸の内北口)。

夕食は椎茸のツナ詰のバター焼き、ほうれん草と玉子とベーコンの炒め、味噌汁、ごはん。

ツナとネギとシイタケの茎をマヨネーズで和えたもの。バーナー(があれば)で焦げ目を付けるともっといい感じになると思う。

「スリック」で購入したリンゴジュースを飲む。

食事をしながら『アバランチ』第8話(録画)を観る。彼が生きていたとは・・・。

レビューシートのチェック。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。