入院生活の習慣で6時頃、目が覚めてしまうが、「もう少し寝よう、もう少し寝よう」とおまじないを唱えて、7時半に起床。
一階の雨戸を開ける。我が家の桜はほぼ散ってしまった。
主役は桜から海棠へ。でも、桜とは違い、低木なので赤芽の生垣に隠れて道行く人からはほとんど見えない。
「ソングバードベーカリー」の全粒粉食パンを切る。
小ぶりなので4つ切りにする。
「いいと思います」
トースト(何もつけずに)、目玉焼き、茹でウィンナー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。厚切りにしたこともよかったのかもしれないが、美味しいパンである。
本日の『カムカムエヴリバディ』。ラジオの生放送(インタビュー番組)の最中にアニーが突如告白(懺悔)を始めた。かつて稔と観た映画のタイトルを聞いて、封印していた記憶が溢れて来て、もう止めることができなくなったのだ。「るい」「るい」と呼びかけ、「おいしゅうなれ、おいしゅうなれ」とおまじないの言葉を繰り返す。るいたちはその放送をたまたま聞いていた。スタジオでのアニーの表情は映されず、反対に、ラジオを聴くるいの表情は(後ろのジョーの表情も)長回しで。
深津絵里が凄かった。今回の朝ドラは主役が3人ということであるが、比重は一番るい(深津絵里)にあることを誰もが感じたであろう。
昨日のブログを書いてアップする。
午後、外出。近所の専門学校今日が入学式のようである。
ここは『ドクターX』のロケ地(東帝大学病院)として知られている。
桜並木のそばの芝生は桜の花びらがびっしりだ。渚の桜貝のようである。
大井町へ行く。
駅前のヤマダ電機でデジカメの修理を依頼する。病室で床に落としてしまい、液晶画面が写らなくなってしまったのである(ファインダーで覗いて写真自体は撮れた)。デジカメは常に持ち歩いているので、よく地面や床に落下させる。けっこう丈夫だが、何度も落としていると不具合が発生する。落下は保証外だが、新しい製品を購入するよりはずっと安く修理してもらえる。
修理の依頼を終えて、昼食を食べに行く。
中華の「永楽」。大井町ではこことトンカツの「丸八」によく行く。
ワンタンメンを注文。前回はワンタンが底の方に沈んでいて、普通のラーメンを間違って注文したのかと勘違いして、餃子を追加注文し、途中でワンタンに気づくという失敗をしたが、今日は最初からワンタンが表面に浮かんでいた。焦がし葱のスープが旨い。病院食では絶対出ない濃い味である。
食後のコーヒーは「ポットリー」に飲みに行く。線路わきの桜並木の土手道を行く。
手術の跡はそれなりに痛むが(とくに咳をすると)、痛み止めを使うほどではない(入院中はずっと痛み止めを飲んでいた)。切った辺りはまだ腫れていて、「痛い」というよりも「張っていて、痛痒い」という感覚。痒みは弱い痛みであるから、徐々に回復に向かっているのだろう。階段を駆け上がったり、自転車に乗ることはダメだが、普通には歩ける。散歩はリハビリである。
「ポットリー」に着く。
お気に入りのテーブルが空いていた。
「昨日、無事退院しました」「おかえりなさい!」
久しぶりにコーヒーを飲みたかった。退院後の最初のコーヒーである。
店には小一時間ほど滞在した。
帰宅してチャイの散歩。散歩といっても玄関の前あたりを行ったり来たりするだけである。
最初の頃のようにオドオドしなくなった。ここは自分の縄張りという気分なのかもしれない。
『福山雅治 福のラジオ』(4月2日放送分)をタイムフリーで聴く。
Moodleのフォーラムに投稿された「必修基礎演習4」の学生たちの自己紹介に目を通す。学生(新入生)の中には必修基礎演習でMoodleの操作を教えてくれるのだと思っている者もいるようだが、それは勘違いで、必修基礎演習は「読む」「書く」「話す」(発表やディスカッション)といったスキルを鍛える場所である。Moodleの使い方は、ちょうど2年前の教員たちがそうであったように、マニュアルを読みながら実践的に習得していくべきものである。いろいろなことができるが、さしあたり必要なことから覚えていけばよい。おそらくいまの私自身、使いこなしているのは機能全体の数パーセントなのではないかと思う。
夕食は真鯛と野菜のレンジ蒸し、玉子豆腐、たらこ、味噌汁、ごはん。
病院食と比べて質も量も多い。食べ過ぎなのではなかろうかと日頃の食生活を反省してみる。
入院生活は3月30日から4月4日までの5泊6日であったが、その期間は仔細に見ると、入院当日(3月30日)、手術当日(3月31日)、術後(4月1日から4日まで)と3期に区分できる。
入院当日は普通の体調で入浴もした。食事(夕食)はもの足りに量であった。眠剤を飲んで午後10時に就寝。
手術当日は、さらに区分けすると、術前(午前)、術中(午後1時から5時過ぎまで)、術後(手術室から病室に戻ってきてから)に分かれる。術前は昨日の延長である。術中は全身麻酔で眠っていたから記憶がない。手術台に上がって、3回深呼吸をして、ほどなくして意識を失い、「大久保さん」「孝治さん」という声で目が覚めた。「大久保さん」はスタッフの呼びかけで「孝治さん」は妻の呼びかけである。いま、コロナ禍で、通常の面会はできず、家族とは手術室から出て来た廊下で数秒間顔を合わせることができるのみである。当初、手術は2時間ほどで終わる見込みであったが、倍の時間がかかった。妻は自宅で病院から「手術間もなく終了」の連絡がなかなか来ずやきもきしていたようである。時間はかかったものの、手術はちゃんと終了したとのことだった。病室に戻って、その晩は、いろいろな管やコードを体につながれて朝まで過ごした。途中、ちょっとした地震があって、これは怖かった。ウクライナの病院で砲撃の音を聞きながら入院している人の気持ちはどんなだろうと思った。ベットから動けない状況で、頭の中では将棋の盤面が自然に浮かんできて、しかも圧倒的に不利な終盤で、ただ潰されるのを待つような将棋であった。それが体調が回復してくるにつれ、相手の王将も視野に入ってきて、防戦一方ではなく、反撃の手を考えらえるようになっていったのは面白い経験だった。
翌朝からは管やチューブが順次取れて行って、トイレに経ったり、廊下を歩いたりできるようになった。朝食はなかったが、昼食から出されるようになった。これがそのときの食事。
お粥、赤魚のかぶら蒸し、味噌田楽(厚揚げと蕪)、果物(キウイ)である。
ちなみに入院中一番美味しかったのは3日(日)の夕食で、これがその時の写真。
ごはん、白身魚の揚げあんかけ、冷やしとろろ汁、菜種和え、漬物。あんかけやとろろ汁はごはんにかけて食べられるので食が進んだ。
食事は単調になりがちな入院生活の中の句読点のようなものである。
本は何冊かもっていったのだが、結局、読み終えたのは一冊だけだった。入院の4日前に購入した吉田篤弘『流星シネマ』である。ベッドでの読書というのは思いのほか体力がいるものだということわかった。入院患者の一番の仕事は「体を休め、回復させること」であり、読書しているよりも目を閉じている方が体にはよかった。
同室の3人の患者とはカーテンで仕切られいて会話らしい会話はなかったが、患者と医療スタッフの会話は耳に入ってくるので、それで各人がどういう状況なのかということはわかった。病院はゴフマンのいう「全制的施設」(トータル・インスティテューション)で、そこで患者は終日「患者」という役割を演じている。私は、手術を受けたとはいえ、最後に来て最初に出て行く比較的軽い役だったので、自分から話しかけることは控えたのである。
今日はシャワーもやめておく。
1時、就寝。