フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月14日(木) 曇り時々小雨

2022-04-15 12:32:17 | Weblog

7時、起床。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『ちむどんどん』。「アババ問題」は「命をいただく」という食育的結論であっさり解決したようである。最後に末っ子の歌子が言った。「アベベはお正月に食べるの?」。

昨日のブログを書いてアップする。

『早稲田ウィークリー』に「卒業生とのカフェ巡り」という文章を寄稿したが、それが今日からネットにアップされた。

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ときどき卒業生とカフェ巡りをします。私の地元(蒲田)に卒業生がやってきて、私のいきつけのカフェを巡るというものです。

この習慣ができたのは10年くらい前からです。社会の時間でいうと東日本大震災の後、大学の時間でいうと文化構想学部の第一期生が卒業した頃、個人の時間でいうと50代の後半あたりからということになります。もちろんそれ以前から卒業生が研究室を訪ねて来るということはあったし、卒業生の結婚式に招かれることもありました。しかしそれは単発的なもので、年に数回という程度のものでした。それに対して卒業生とのカフェ巡りは連鎖的なもので、月に数回に及びます(緊急事態宣言の出ている期間は別ですが)。

この連鎖が生じる下地として2つのことがありました。第一に、私が日常的にカフェを利用していること。ほぼ毎日カフェに行き、馴染みのカフェを数えると両手の指では足りません。カフェは私にとって家庭と職場と並ぶ第三の場所(サードプレイス)なのです。第二に、私がブログをやっていること。ほぼ毎日ブログを更新し、そこでカフェのある日常を写真と文章で綴っています。カフェをリアル空間の中でのサードプレイスだとすれば、ブログはネット空間の中でのサードプレイスです。

ある日、研究室を訪ねて来た卒業生が、「次は先生のブログに出て来るカフェに行ってみたいです」と言いました。「いいですよ」と私は答えました。数か月後、その卒業生を地元のカフェに連れて行ったとき、「ブログに出て来るのと同じですね!」と感激した口調で言いました。まるでTVドラマのスタジオを見学しているみたいに。そして翌日、その卒業生は私のブログの中に登場する自分自身を見ることになるわけです。当然、そのブログは他の卒業生たちも(一文・二文時代の卒業生たちも含めて)見ているわけで、彼らから「私も」というリクエストのメールが届くことになりました。

カフェ巡りをした卒業生は、たいての場合、一度で終わることなくリピーターになります。最初、独身だった彼らが、結婚相手を連れて来ることもあれば、お子さんを連れてくることもあります。つまりカフェ巡りをする卒業生は入れ替わるのではなく、ライフステージを異にして積み重なっていったのです。卒業生の人数は年々増えますから、ずっとこの調子ではやっていけません。しかし、私はあと3年で定年退職するので、なんとかなるでしょう。(文章のみ。記事は写真付き)

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1時を回った頃、昼食を食べに出る。昨日までの初夏のような気候とは一転して、今日は雨模様で気温も低い。ただ、寒いときは厚着をすればいいので、暑いよりも対処は楽である。

昨日は多摩川線、今日は池上線。

荏原中延で下車。

改札を出て、アーケード街のある左側へ。

「隣町珈琲」に到着。

お気に入りのテーブルが空いていた。

ナポリタンのセットを注文。ドリンクはリンゴジュースをチョイス(食前に)。

サラダが付いてくる。

ナポリタンはけっこうボリュームがある。ハムが使われている。

食後のスイーツ代わりのあんこバタートースト。コーヒーも注文。一週間前に来たときは体調がいまひとつでスイーツにたどり着く前に店を出たが、今日は完遂できました。

駅前の不動産屋。

これがいいかな。お隣の戸越銀座駅から徒歩5分。間取りは日本の伝統的間取りである「田の字」型だ。隣の部屋に直接行ける(廊下を経由してもいける)ところがいい。全部の仕切りを開け放せば広々とした感じになるだろう。人気の戸越銀座物件ということで10万円をちょっとオーバー。

帰宅して4時半から院生の研究指導の予定だったが、都心に出て渋滞のため時間までに自宅に戻れそうにありませんと連絡があったので、本日は中止とする。

レビューシートのチェック。

コンビニに行ったついでに『文藝春秋』5月号を手に取る。エマニュエル・ドットの「日本核武装のすすめ」というタイトルが目についたからである。清水幾太郎が1980年に書いた『日本よ国家たれ 核の選択』を思わせる。

実際、ドットの論文の主旨は「核をもつことは、国家として自律することです。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という偶然に身を任せることです。米国の行動が“危うさ”を抱えている以上、日本が核を持つことで、米国に対して自律することは、世界にとっても望ましいはずです。」というもので、基本的に清水と同じものである。

案の定、片山杜秀(慶応大学)が「『核の選択』清水幾太郎を読み直す」という一文を寄せていた。世界の状況は40年前に戻ってしまったのか。それとも40年間ずっと変わらなかったのか。

夕食は麻婆茄子、春雨サラダ、柚子大根、玉子とワカメのスープ、ごはん。

デザートは葡萄(何という種類かしら)。

先日、卒業生のモモコさんからいただいたミニ・ゴーフルも食べる。

食事をしながら『プラバト』を観る。

さて、一日一回のチャイの毛玉取りである。じっとしていないので、二人で協力してやらないとできない(私がお八つを与え、チャイがそれに気を取られている間に妻が毛玉を取る)。

授業の準備。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。