9時、起床。
トースト(はちみつ&オリーブオイル)、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
本日の『らんまん』。田邊の元に大学から非職(解任)の通知が封書で届く。なに、これ? そうでない大学もあると思うが、うちの大学では教員の嘱任・解任は教授会マターである。だから自分の与り知らぬところで解任が決まって、それが文書で通知されるなんてことはありえない。当時の東京大学ではそうだったのか? その封書が届く直前、田邊と妻の聡子は一家で海に行くことを話していた。ドキッとした。田邊のモデルとなった矢田部良吉は鎌倉で海水浴をしているときに溺死しているからだ。
三階のベランダから見ると空には雲ひとつない。しかし、後ろの北側には積乱雲があるようだ。
向かいの専門学校の高層ビルの窓ガラスには積乱雲が映っている。
昨日のブログを書いてアップする。
1時半頃、昼食を食べに出る。「まいばすけっと」の隣の写真館+アパートのあった場所はすっかり更地になっている。周囲の住宅の壁面は急にすっぴんを世間に晒すことになって、恥じらっているように見える。
この仕舞屋は、昔、米屋だった。我が家に電話が入ったのは私が小学生の頃だったが、それ以前は、親戚から急ぎの連絡があるとき米屋に電話して、米屋の店員が我が家に来て、「大久保さん、電話ですよ」と伝えてくれた。学生にこの話をすると「信じられない!」という顔をするが、本当の話だ。米は米屋で買っていた。米屋でしか買えなかったのだ。だから町内に一軒は米屋があった。米は重かったから、米屋の店員が家まで配達してくれていた。ここまで話すと学生は納得してくれる。しかし、「米屋は町のコメ(米)ニュケーションセンターだったのだ」という駄洒落には「やれやれ」という顔をされる。
この仕舞屋は、昔、金魚の問屋だった。縁日の金魚売のビニールプールを大きくしたようなものがタタキのところに置かれていて、たくさんの金魚が泳いでいた。
この仕舞屋は、昔、不動産屋だった。間口はこの倍くらいあったが、仕舞屋になってから半分になった。
ここも不動産屋だが、仕舞屋ではない。たまたまシャッターが下りているだけである。「マーボ屋」の店長さんが兼業でやっているのだ。ここまで来る途中の道で、自転車に乗った店長さんと挨拶を交わしたばかりである。
JRの踏切を渡って「きりん珈琲」に行く。
この夏の暑さでレールがゆがんでしまうのではないかと心配だが、もちろんそんなことはない。
「きりん珈琲」に来るのは久しぶりだ。家から10分以上歩くので、暑さで足が遠のいていた。
麒麟の子はもう一頭いたはずだが、姿が見えない。
厚焼き玉子さんどとコーヒー(ガテマラ)を注文する。軽めの昼食だが、最近は軽めを心がけている。
厚焼き玉子には秘伝のソースがかかっている。
最近、よく自宅で珈琲を淹れて飲んでいるのだが、そろそろ粉がなくなりそうなので、そうしたら「きりん珈琲」で挽いてもらおう。
「きりん珈琲」からは徒歩5分ほどの「ティールーム101」に顔を出す。土日営業だが、8月9月は金曜日も営業している(たたしメニューは氷と紅茶のみ)。
オリエンタルな茶室の意匠である。
先客はおらず、マダムと愛犬のラズリーだけがいた。カウンターの短い辺に座る。
ナガノパープル(葡萄)を注文する。自家製の完熟南高梅に次ぐ人気の生シロップた。
これが新しいポットとカップ&ソーサー。スタイリッシュのデザインが、店の雰囲気に合わせてマダムが厳選したものだ。
滞在時間は40分ほどだったが(氷一杯ではそんなに長居はできません)、その間、客は入って来ず、しさしぶりでマダムとゆっくり話ができた。ごちそうさまでした。次はシフォンケーキをいただきに参ります。
帰宅して、夕食まで原稿書き。第3章に入る。
夕食はカマス、スペイン風オムレツ(明太子入り)、サラダ、味噌汁、ごはん。
デザートはシャインマスカット。
食事をしながら『ハヤブサ消防団』第5話(録画)を観る。最後の最後のシーン、立木彩(川口春奈)の笑顔が怖かった。あの打明け話の後で、な、なんなの?!
原稿書き。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時45分、就寝。