7時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲、ヨーグルト(+ブルーベリー)の朝食。
本日の『らんまん』。「田邊博士遊泳中に溺死」の新聞記事。田邊はこの事故がなかったら、どんな人生を送ろうと思っていたのだろう。
昨日のブログを書いてアップする
原稿を書く。
2時を回った頃、昼食を食べに出る。今日も外出するのに決意が必要な日差しだ。
今週はお盆のときに営業していた店が一週間遅れの夏休みをとっていたりする。
駅ビル西館のパン屋でイートインをすることにする。
カフェでパンを食べる場合はトーストかサンドウィッチのことが多いが、パン屋のイートインでは調理パンが食べられるのがいい。学期中はキャンパスのミルクホールで調理パンを買って研究室で食べることがよくある。ミルクホールにもイートインできるカウンターがあるが、それは学生のための場所である。
コロッケパンとリンゴのシナモンロールとアイスティー。コロッケパンは思ったとおりの味わいだったが、シナモンロールはリンゴが前面に出ていてタルトタタンの味わいがあった。
最近は千円札一枚で支払いが済むランチが少なくなったが、ここならOK。
食後は長居はせず(そこはカフェとはちょっと違うところで)、6階の有隣堂をぶらぶら。外を散歩する気はしない。
井上泰至『山本健吉』(ミネルヴァ書房)を購入。「ミネルヴァ日本評伝選」の一冊。昨年の10月に出版されたのだが、気づかなかった。著者が冒頭で書いている通り、「山本健吉は、「昭和」を代表する文芸評論家の一人であり、特に俳句・短歌の分野では文化勲章を受章しているのは、俳人の高浜虚子(昭和29年)と、評論家の健吉(昭和58年)のみで、これ以降は出ていないが、その事実は象徴的である。」学生時代に購入した角川文庫版の『現代俳句』は手元において折に触れて読んでいた。生前に刊行された『山本健吉全集』全16巻・別巻1(講談社)は半分くらいもっているだろうか。
好きな評論家の一人なのだが、本書を購入したのには、別に理由がある。山本健吉は1907年(明治40年)に生まれて、1988年(昭和63年)に亡くなっている。つまり、清水幾太郎と同じなのだ。仕事の分野は違うが、二人はまったくの同時代人なのである。清水幾太郎の人生年表は私の頭の中にインプットされているので、それと照らし合わせながら、山本健吉の評伝を読んでみたいと思ったのである。そういう人物は他に何人かいる。いま書いている原稿が終ったらの話だけれど。
「温かさを貫く剛毅。近代主義の軽薄を撃つ。」という帯の謳い文句は、清水幾太郎にも通じるものがある。
帰宅して夕食まで原稿書き。
夕食は茄子の味噌田楽、餃子、春雨サラダ、卵の吸物、ごはん。
食事をしながら『最高の教師』第6話(録画)を観る。二週目の人生を精一杯生きた鵜久森(芦田愛菜)が学校の渡り廊下で誰かともみ合って転落して死んでしまった。なぜ彼女は死んでしまったのか。死なねばならなかったのか。それにしても鵜久森の当日の一連の行動は自分の死を予感・覚悟しているとしか思えないものだった。ならばなぜそれを回避しようとする行動をとらなかったのか。
「そこが謎ですね」
原稿書き。
風呂から出て、今日の日記を付ける。明日は終日曇天のようである。
1時半、就寝。