フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月25日(月) 晴れ

2011-07-26 01:38:45 | Weblog

  真夏の日射しが戻ってきた。あ、暑い。
  9時に家を出て、大学へ。10時半からエクステンションセンターで講義があるのだ。今日のテーマは「戦争体験とライフストーリー」。「戦争を知らない子どもたち」の世代である私が自分よりも年長の方々に戦争体験の話をするのであるから、あつかましいにもほどがあるというものである。しかし、そんなことでひるんでいては大学の教師はやっていられない。開き直って2時間びっしり話をする。

  講義を済ませ、「たかはし」で昼食をとる。刺身定食にするか、豚肉の生姜焼き定食にするか、お店の人が注文をとりに来る瞬間まで迷ったが、刺身定食を注文した。昨日の夕食が天ぷらだったことが決め手になった。無意識のうちに食事のカロリーの軽重のバランスを考えているのである。

  午後は夕方まで教務室でデスクワーク。本部とのやりとりが思うように進まず、暑さのせいもあろう、仕事はかどらなかった。帰りに蒲田の駅ビルでロールケーキを買って帰る。

  「お気に入り」に登録している卒業生のブログの1つが、昨日の記事を最後にブログの終了を宣言していた。6年続いたブログで、惜しい気がするが、突然ブログをやめたくなる気持ちというのはわからないでもない。


7月24日(日) 晴れ

2011-07-25 02:29:47 | Weblog

  劇団「獣の仕業」第4回公演「飛龍伝」(原作:つかこうへい、演出:立夏)を観に西荻窪の「遊空間がざびぃ」に妻と出かける。西荻窪の駅から会場までの道はナントカ銀座という名前の商店街になっていて、途中、善福寺川を渡る。杉並区にある善福寺池が水源で、神田川に合流する4キロほどの川である。関根橋の上から見ると、水はきれいで、鯉が泳いでいるのが見える。 

 

  開演は午後1時。つかこうへいが亡くなってちょうど1年。いま、あちこちで彼の作品が上演されている。劇団獣の仕業も劇空間がざびぃの企画に参加させてもらって、『飛龍伝』に取り組みことになったのである。脚本はあらかじめ存在するわけだから(手を加えることはできるとしても)、演出でどう劇団らしさを出すかということになる。開演30分に前に会場に入ると、すでに舞台には役者たちが勢ぞろいしていた。観客を出迎えるためではなく、それぞれの場所に留まって、オブジェのようにじっとしている(手足はときどきストレッチをするように動かす)。だんだん増えてくる観客たちは、開演前のおしゃべりをしながら、目の前の役者たちを観ている。開演前なのだが、すでに芝居は始まっているような、不思議な時間である。やがて、娘(今回は演出のみ)が舞台の袖に立って、開演を告げた。
  『飛龍伝』は、70年安保闘争を描いた作品である。全共闘と機動隊という二つの敵対する集団があり、全共闘作戦参謀長の桂木順一郎と第四機動隊の山崎一平は中学校時代の同級生で、全共闘のメンバーでやがて委員長に祭り上げられる神林美智子は桂木の女であると同時にスパイとして山崎の元に送り込まれてやがて愛し合い彼の子どもを産むという入り組んだ関係がある。組織への個人の忠誠と裏切り、男同士の友情の虚実、男女の愛情の虚実、この3つの軸が絡み合いながら物語は進行していく。つかこうへいの紡ぎだす台詞は、執拗で、過剰である。これでもか、これでもかとたたみかけてくる。その緊張からの弛緩としてつかこうへいの演出では、役者に歌謡曲を歌わせたりするのだが、立夏の演出はそれを踏襲しない。代わりに、役者たちの舞踏的な身体所作が言葉の時間の隙間に無言の時間を挿入している。獣の仕業らしさがよく表れているところであるが、無言の時間は弛緩ではなく言葉とは別の緊張に満ちているので、結局、舞台は終始緊張をはらんでいた。可笑しみのある台詞はところどころに出てくるが、それは不安や怒りと隣合せの可笑しみだから、うっかり笑うわけにはいかない。90分という上演時間は緊張の持続時間としては適当だろう。
  つかこうへいの世界を、70年安保闘争の時代を、若い演出家や役者たちがどう受け止めて舞台に臨むのか、都市と農村の格差、金持ちの家庭と普通の家庭と貧しい家庭の格差、学歴による格差(全共闘の若者は大卒で―ただしニセ学生もいる―、機動隊の若者は中卒だ)を彼らはリアリティをもって演じることができるのか、そういう気持ちがないではなかった。しかし、今日の舞台を観る限りでは、時代こそ違え、若者であることのシンパシーの方がずっと大きかったと思う。「現代社会」はいつも危機の時代として語られてきたし(社会学者もそれに加担してきた)、青年期はいつも危機の時代として語られてきた。つまり、いつも若者は危機の渦中にあるのである。ほとばしる台詞の端々に私はそれを改めて感じた。
  登場した役者は9人。おなじみの人、初めて見る人、それぞれに個性と演技力があり、劇団としての底力と厚味を感じることができた。次回の公演は今年の秋、「せかいでいちばんきれいなものに」とすでに決まっているらしい。楽しみに待ちたい。

  帰り道、妻と「甘味あらい」に寄って(蒲田駅からまだ営業中であることを確かめて)、カキ氷を食べた。私はいちごミルク、妻は白くま。

 

  どこかで早めの夕食をとって帰ろうということになり、自宅に電話して息子を呼びだし、「天味」に行く(電話をして5時から営業していることを確認した)。天ぷら定食(かきあげ付)を注文し、3人でカウンターに並んで食べた。海老、キス、穴子、舞茸、海老、隠元、この順序で出てきたものを塩と天つゆで食べる。最後のかきあげは小天丼にしたもらった。 

    

  家の前の帰り道、まだまだ西の空は明るかった。 


7月23日(土) 晴れ

2011-07-24 02:28:14 | Weblog

  このところ毎週末に通っていた下丸子の「喜楽亭」に先週は行けなかったので、今日は2週間ぶりとなる。ロースカツ定食を注文し、朝食抜きだったので、ペロリと平らげる。下丸子は多摩川のそばにマンションが多いのだが、駅からの道が夜は暗いというので、若い女性はわずかの距離をタクシーで帰ったり、家族に車で迎えに来てもらったりしているという話をご主人から聞いた。最近の節電とは関係なく、地震の前からそうだという。夜道が暗いのは当たり前のような気がするが(子どもの頃に行った田舎は本当に夜道が暗くて、懐中電灯が必要だった)、商店街に店舗兼自宅の店が減ってしまったのが、夜道が暗い理由のひとつのようである。

  食後のコーヒーは、蒲田に戻ってから、「緑のコーヒー豆」で日誌をつけながら。

  夕方から品川駅前の「つばめグリル」での卒業生たちの集まりに顔を出す。2000年に一文の社会学専修を卒業した男性4名、女性3名(うち一人は同志社からの交換留学生)で、今年で34、5歳になる。面白いのは、彼らは4年のときの卒論演習でも、3年のときの調査実習でもなく、2年のときの演習のクラスの面々だということ。当時の演習は通年科目だったから、ときにこうして卒業後も続く関係ができあがるのである。今回はI君が近々タイに赴任することになり、その壮行会ということで集まったのである。30代半ばという年齢は、青年期の残り香が漂っている。あと5年もすればさすがにそういうものは消えているだろう。自分自身の30代の半ばを振り返ると、早稲田大学の助手の任期を終えて、一年間の非常勤講師生活を経て、放送大学に務め始める頃である。ようやく教員生活のスタート地点に立ったばかりで、気持ちは若々しかった。あれから20年か。彼らの人生もまだまだこれからである。一次会が終ったところで私は失礼する。品川駅前の横断歩道の信号が青に変るのを待ちながら、一人一人と握手を交わした。


いろいろ料理が出た中から、「つばめグリル」名物のトマトのサラダの写真を載せておこう。


7月22日(金) 晴れ

2011-07-23 06:11:19 | Weblog

  夕方、今日4つ目の会議を終えて本部から戸山キャンパスに戻る途中、ゼミの始まる時間まで30分ほどあったので、「maruharu」で早めの夕食をとることにする。

  金曜日は、中休みの後、午後5時から9時まで、夜の部となっている。もちろんサンドウィッチはあるのだが、せっかくなので夜の部のメニューの中からベトナム風お好み焼きとコーラを注文する。これがなかなか美味しかった。コーラでなく、ビールだったらもっと美味しかったかもしれない。これから金曜日、ゼミの始まる前はここで腹ごしらえをしようかしら。とはいっても、春学期のゼミは来週で終りなんですけどね。 

  6限は3・4年合同ゼミで4年生のインタビュー調査のケース報告(3ケース)。3年生には積極的に質問をするように促す。3年生は秋に初めてのインタビュー調査を経験することになるのだが、対象者のライスフトーリーに耳を傾けつつ、その場で臨機応変に質問ができなくてはならない。あらかじめ基本的な質問リストは用意してあるが、対象者の実際の語りが始まったら、その内容に即して対話的に質問をしていくことになる。台本のない世界に入っていくわけだ。語りは、多くの場合、物語的に(主観的な原因-結果の連鎖として)展開していくから、その因果の連鎖を理解しつつ、しかし、理解できないところについては、質問をしていく。理解できないのは、調査者の理解力(人生経験や知識)の不足のせいもあるが、対象者の説明不足(語られていない要因の存在)の場合もある。とにかく、相手の語りに耳を済ませて、理解しようと努めれば、おのずと質問は出てくるのだ。質問が出てこないとすれば、相手の語りを表層的に聞き流しているからである。 今日のスイーツはT君が調達してきて川越の和菓子。

  7限は学年に分かれてのゼミで、私は3年生の方に出る。秋に自分たちが行うインタビューではどのような質問をしてみたいか(共通質問として一人が一問ずつリストに組み込むことができる)を考えて、それを話してもらった。お仕着せの調査ではなく、自分たちで設計していく調査なのだということがわかってもらえればよい。


7月21日(木) 曇りのち晴れ

2011-07-22 11:23:31 | Weblog

  9時、起床。涼しい。高原のような気候だ。今日一日だけのことらしい。ランチョンソーセージとご飯の朝食。

  昼から大学へ。教務室で一仕事してから、「maruharu」に昼食をとりにいく。コーヒーミルクゼリー(食前)、ドライカレーサンド、アイスカフェラテ。「maruharu」は最近営業時間が変わった。水曜日と金曜日は夜9時まで営業するようになった(そのかわり昼休みを入れるようになった)。夜は、ワインやビール、そしてサンドウィッチ以外に酒の肴になるようなメニューを用意しているとのこと。

 

  教務室に戻ってしばらくデスクワーク。
  5限は講義「日常生活の社会学」。1999年のTVドラマ『彼女たちの時代』の初回の一部(私が編集したもの)を映像資料として使ったのだが、DVD化されていない作品で、私が放送当時にビデオテープに録画したものがマスターテープで、かなり劣化が進んでいる。DVD化されないだろうか。名作なんだけどな。いまはない渋谷のブックファーストビルの屋上で、深津絵里演じるOLが、柵から身を乗り出して、路上の人たちに、「羽村深美、26歳、私はここにいます! 気づけバカヤロー」と叫んだ(もちろん誰も気づかない)場面は、都会という舞台の上で、「OL1」としてエキストラのような日々を送っている人間の鬱屈を描いて見事だったと思う。

  9時頃まで教務室でデスクワークをして、帰る。夕食は「ごんべえ」でかつ丼とうどんのセット。ご飯は少な目にしてもらう。「大久保孝治、57歳、私はここにいます」とカツ丼に向かって語りかける。