フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月15日(木) 晴れ

2012-03-16 09:09:45 | Weblog

  8時、起床。トースト、白桃とブルーベリーのジャム、紅茶の朝食。

  9時に家を出て、有楽町のTOHOシネマズ日劇に『ドラゴン・タトゥーの女』を観に行く。今日が最終日なのだ。最終日だからというよりも、平日の9時半から映画館で映画を観ようと思う人がそもそも少ないのであろう、広い場内はガラガラである。

  名誉毀損で訴えられて敗訴した雑誌記者が、スウェーデンの富豪から回想録の執筆を依頼される。だがそれは表向きの仕事で、本当の仕事は40年前に行方不明になった当時16歳の姪っ子(だったかな?)の事件の真相の究明である。アシスタントとして彼の仕事をサポートするセキュリティ会社の契約社員は、父親から性的虐待を受けて育ち、父親を焼き殺そうとする事件を起こし、いまは後見人に管理される人生を送っている天才的ハッカー。2時間半の作品だが、二人がタッグを組む(面と向かって出会う)までに最初の3分の1の時間が費やされるというのはなかなか凝った作りである。世界的なベストセラーとなったミステリー小説『ミレニアム』が原作だから、ストーリーの面白さは折り紙付であるが、配役が魅力的だった。雑誌記者を演じるダニエル・クレイグはご存知007.普通にしているとカッコいいので、そうならないように演技するのは大変だろうな。アシスタントの「ドラゴン・タトゥーの女」を演じるルーニー・マウラーは、スクリーンで観るのは初めてだが、その無表情の体当たりの演技には圧倒された。この作品は彼女の存在なくしては成立しない。富豪を演じるのはクリストフォー・プラマ-。渋みのあるいい俳優である。かつてバート・ランカスターという俳優がいて、私は彼の大ファンなのだが、プラマーはランカスターと同じ雰囲気を漂わせている。 行方不明になった姪っ子の従妹(だったかな? 親族関係が複雑で一度観ただけでは理解できなかった)を演じるロビン・ライトは、最近『マネー・ボール』で観たばかりだが、初めて観たのは『フォレスト・ガンプ』でガンプの恋人役だったときだ。

  資料を丹念に執拗に調べていって真実が明らかになっていく過程というのは、アクションシーンとは別の、緊迫した面白さがあるものである。ラストシーンンは切ない。なんだか仁侠映画を観ているようである。

   映画館を出て、その足で大学へ向かう。「メルシー」で昼食(チャーシューメン)。

  1時半から教務的会議。1時間半ほど

  3時半から現代人間論系の教室会議。1時間ちょっと。

  5時から現代人間論系の新2年生向けのガイダンス。現代人間論系へようこそ! 引き続いて6時から新3・4年生向けのガイダンス(ゼミ単位)。3・4年生の出席状況がよろしくない。まあ、毎年のことですけどね。


2年生のガイダンス風景(手前右端は新任の小塩真司先生)

  大学を出たのは7時過ぎ。8時過ぎに帰宅して、先に夕食をとってから風呂に入る。今日は『最後から二番目の恋』の日だ。中井貴一と小泉今日子の掛け合いは今日も絶妙であった。ドラマの中の人物たちも、ドラマを観ているわれわれも、あんな会話ができたらいいな(そういう相手がいるといいな)と思っている。それがこのドラマの一番のポイントである。


3月14日(水) 晴れ

2012-03-15 01:40:50 | Weblog

  8時半、起床。トースト、ジャム、はちみつ、紅茶の朝食。

  教務課のFさんからメールが届く。2012年度の地域交流フォーラムへの出張(講演)は高知と八戸に決まりましたとのこと。高知と青森の校友のみなさん、よろしくお願いします。

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日時:2012年5月27日(日)
場所:高知県高知市(高知新阪急ホテル)
   校友会高知県支部共催
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日時:2012年10月13日(土)
場所:青森県八戸市(八食センター)
   校友会青森県支部共催
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   ところで、高知新阪急ホテルはわかるが、八食センターって何だろうとネットで調べたら、大きな市場ではありませんか。NHKの「朝イチ」の産直LIVEのレポーター、篠山輝信みたいな気分だ。

  11時に家を出て、大学へ。今日もいい天気。 

  1時から学生面談を一件。それを終えてから、「志乃原」に昼食をとりに行く。途中の道で、中国語の楊先生と一緒になり、あれこれおしゃべり。共通の話題がけっこう多いことに気づく。今度、安くて美味しい中華料理の店を紹介しましょうといわれる。先生がそういうのだから、これは期待できそうだ。

  「志乃原」では定番の野菜天せいろを注文する。 

   食後のコーヒーは「フェニックス」で。懸案が1つ片付いて「やれやれ」という気分。しかし、これは教務的経験則なのだが、懸案が1つ片付くと、新たな懸案が1つ生まれるので、束の間のやすらぎである。

  筑波大学の野上元先生から『戦争社会学ブックガイド 現代世界を読み解く132冊』(創元社)を頂く。戦争社会学?

  「本書は、戦争に関する社会学的探究の数々を列挙し、中規模の問題領域のなかで結びつけるとともに、それらの問題領域の数々を並べて、いわば戦争という現象を探究するためのアイディアのネットワークを作りあげることに目的がある。/本書がブックガイドの形式をとったのは、「アイディアのネットワーク」なるものを可視化するために、書物という存在の単位性や具体性、あるいは参照のしやすさが非常に有効だと考えたからである」(10頁)。

  なるほど。私自身の研究テーマである「近代日本における人生の物語の生成と変容」との関連でいうと、近代化=個人化という趨勢の中で、いわゆる15年戦争の期間は、個人化の趨勢が反転して全体化(お国のための物語の台頭)が見られらたわけだが、その辺りのことを戦争社会学という「アイディアのネットワーク」を活用することでほりさげて考えてみたいと思う。

  野上先生には新学期から文化構想学部・文学部のブリッジ科目「現代人とメディア」を担当していただくことになっている。

  5時半に大学を出る。品川駅で下車して、エキナカのダロワイヨでホワイトデー用のマカロンを購入する。同じようなことを考えている人間がたくさんいて、エキナカは混雑していた。

  蒲田駅で妻と息子と待ち合わせて、「三州家本店」で食事をする。〆鯖、本鮪(2人前)、牡蠣フライ、鳥の唐揚げ、ポテトサラダ、鳥豆腐(3人前)、黒鯛のかぶと煮、ご飯(3人前)を注文。飲みものは全員ウーロン茶。これだけ注文して6千数百円なり。満席だったが、アルコール類を注文せず、普通にご飯を食べていたのはわれわれだけだった。

 

 

 

  帰宅して、風呂を浴びてから、新学期の授業の準備、本日のブログの更新。


3月13日(火) 晴れ

2012-03-14 01:03:18 | Weblog

  8時半、起床。筍ご飯と卵焼きの朝食。

  昨年の6月以来、歯科医院へ行っていないので、春休み中に検診と(必要があれば)治療をすませておこうと、予約して出かける。虫歯らしきものはなく、下の歯の歯石を除去してもらい、歯茎のチェックを受ける。歯茎のチェックというのは、色を見るとかではなく、歯と歯茎の間に金具を差し込んでどのくらい深く入るか(歯周ポケットの深さ)を計るというもので、もしこれを乱暴にやれば、立派な拷問として通用するものである。私なんか、すぐに口を割ってしまうこと確実である。

  昼から大学へ。一文時代の文芸の卒業生のSさんが研究室にやってくる。民放のTV局の記者をしているが、現在は5月に出産を控えて、休職中である。類は友を呼ぶとでもいうのか、先週は10ヶ月の乳飲み子を抱えた卒業生がやってきて、今週は妊婦さんである。二人とも37歳で、晩婚ではないが、晩産である。

  食欲はあるのと尋ねると、すこぶるありますとのことなので、「たかはし」へ行く。春鰹のお刺身定食に肉豆腐を1つ追加で頼んだら、お店の人が気をきかして二皿に分けてくれた。Sさん、ご飯を少し残したものの、完食したのには驚いた。お腹に赤ちゃんがいるせいなのか、それとも昔からそうだったのか(よく覚えていないが、後者かもしれない)。

   春鰹は若い鰹で、さっぱりしていて、臭みもない。爽やかな早春の味わいである。肉豆腐は汁と豚肉の甘味が、春鰹の刺身と絶妙のバランスをとっている。 いい組み合わせだと我ながら思う。

 

  食後のコーヒーは「カフェ・ゴトー」で。TV局というハードな職場で、男性と一緒にやってきた人が、産休で一年職場を離れるというのは、心理的にはなかなか大変なことのようである。まだ産休は始まったばかりだが、朝起きて、さて今日は何をしようか、したいことが何もなくて、暗澹たる気分になるそうだ。もちろん家事などはあるわけだが、それは自分を生き生きとさせてくれるものではない。入社して13年、すっかり仕事人間になってしまっている自分に唖然とする思いだそうだ。これといった趣味がなく、地域の人間関係も作ってこなかった。上野千鶴子が『男おひとりさま道』で描いている定年退職後の男性そのままである。

  でも、今日は私の研究室を訪問するという明確な行動予定があってよかったねというと、Sさんはニッコリと微笑んだ。その笑顔は学生の頃と少しも変わらない。

  まあ、赤ちゃんが生まれて、育児という行為に追われる毎日になったら、気持ちも変化するのではなかろうか。家事は同じことの繰り返しだが、育児は日々新しい発見の連続であるはずだから。ただし、新しい発見をしていこうという気持ちが必要だとは思う。参考になると思うので、先週来室したNさんのブログを紹介しておいた。

  今度来るときは赤ん坊を連れて来ますとSさんは言った。研究室の入口に「母親教室」という看板を出そうかなと思った。

  教務室で7時まで仕事をして、大学を出る。

  8時、帰宅。今夜の献立はジャーマンポテトと豚肉の野菜スープ煮。


3月12日(月) 晴れ

2012-03-13 03:00:49 | Weblog

  8時、起床。焼きソーセージ、レタス、トースト、ラフランスのジャム、紅茶の朝食。

  10時に家を出て、大学へ。本日は晴天なり。

  教務室で雑用をすませてから、教務副主任の小林先生と所用で西麻布へ。普段あまりいかない地域である。大学からの直線距離は近いが、早稲田→(東西戦)→高田馬場→(山の手線)→代々木→(大江戸線)→六本木→(徒歩)→西麻布というルートで、1時間かかった。大学⇔自宅とほぼ同じだ。


六本木ヒルズ

  用向きは2時間で終り、六本木の駅に戻る途中にあった博多ラーメンの「赤のれん」という店で、遅い昼食をとる。奥の席にサングラスをかけた見覚えのある人がいると思ったら、タモリさんであった。近くにテレ朝があるから、「ミュージュックステーション」の仕事の合間なのではないかと思う。フタッフであろうか、若い男性3人と一緒で、聞こえて来る話の中に何人も歌手の名前が出てきていた。

  博多ラーメンを食べるのは久しぶりであったが、思ったほどこってりしてはいない。豚骨の臭みもない。タモリさんが来ているのだから、これが本来の博多ラーメンなのだろう。卓上の胡麻と紅しょうがを入れて食べると、スープとよく合って美味しかった。


ラーメン+煮玉子

  ミッドタウンに寄るという小林先生とはここで別れて、私は大学へ戻る。六本木→(日比谷線)→日比谷→(千代田線)→大手町→(東西線)→早稲田というルートを使ってみると、こちらの方がいくらか近かった。最初に大江戸線に乗ろうとすると、地下深くまで降りないとならないので、それにけっこう時間がかかるように思う。新しく出来た地下鉄ほど深いところを走っているのである。


「仲間」の時代

  4時過ぎに大学へ戻り、用件をすませた報告のメールなどを書く。

  6時半に大学を出て、7時半に帰宅。風呂を浴び、夕食。今日の献立は筍ご飯に春野菜の天ぷら、菜の花の胡麻和え、蛤と菜の花の吸い物。菜の花がだぶっているのが少し気になるが(「孤独のグルメ」の井之頭五郎ならば気にするであろう)、妻に言わせると、だぶっているのではなく、菜の花尽くしなのだそうだ。それならばいっそ天ぷらにもしてほしかったと思うが、ともあれ、旬の食材を使った料理はすごぶる美味しかった。

  筍ご飯のおかわりをして、食後、眠くなり、仮眠をとるつもりで蒲団に入ったら、3時間ほど寝てしまい、夜中に起き出して、ブログの更新をする。ただいま午前3時。

  本日、大学の方へ、牧野智和さんから届いた本の紹介をしておこう。彼の博士論文が元になった本で、『自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探究』(勁草書房)である。これはいい本です。読んでいないのにわかるのかというと、本書を構成する諸論文は雑誌に発表されたときに読んでいるので、わかるのである。


3月11日(日) 曇りのち晴れ

2012-03-12 01:18:42 | Weblog

  8時半、起床。鱈子とご飯の朝食。

  女子マラソンのTV観戦の途中、11時過ぎに妻と家を出て、娘の劇団の公演を観に、神楽坂に向かう。電車の中でケータイのワンセグ放送を観る。野口みずきは残念だった。

  早めに着いたので、神楽坂の路地を歩いていて見つけた「トンボロ」というカフェで昼食をとる。   


神楽坂は脇道が面白い


右の「トンボロ」、左の「SKIPA」、中でつながっている。


ロイヤルミルクティ(アイス)とサンドウィッチとクロックムッシュ


丁寧な作りのサンドウィッチだった パンはトーストで

  「獣の仕業」第5回公演「せかいでいちばんきれいなものに」。
  ストーリーらしきものはある。パンフレットの「あらすじ」にはこう書いてある。

    三月、女たちの元へ一通の手紙が届いた。 『ぼくはきみを愛している』
    その手紙を手に、女たちはある部屋へやってくる。
    部屋の中にはずっとニュースが聞こえている。 『安心してください』
    女たちを集めた男は尋ねた。昨日なにをしていたのか、と。彼女たちはやがて話し出す。
    たのしかったこと、つらかったこと、昨日までの自分の持ち物を。
    それらはすべて「昨日までの事」だった。

    男は続けて尋ねた。「彼」の事を。彼について、知っている事を。

    彼女たちは順番に話していく。彼との出合い、あるいは別れ際の出来事を。
    本当は彼はどれなのか。どれが正しい彼なのか?
    そして別の場所、今日より一ヵ月も前、雪の積もる図書館では館長が寄す処(よすが)に語りかけていた。
    寄す処は館長から「彼」の日記帳を託されるのだが・・・。

  なるほど。「彼」についてのアイデンティティの物語のようでもあり、「彼」を喪失した女たちのアイデンティティの物語のようでもある。しかし、「あらすじ」を読んでいなければ、ストーリーはわかりにくい。それはいつものことだ。彼らの芝居にとって重要なのはストーリーよりも、言葉と身体、そして音響と照明である。とくに今回の芝居は言葉だ。これまで観た彼らのどの芝居よりも言葉があふれていた。あふれかえっていた。言葉の洪水。制御されない言葉のシャワー。統合されない言葉の無数の断片。最近の「インハイス」の朗読劇、つかこうへいの「飛龍伝」、彼らが経験したこの二つの芝居も言葉があふれていたが、朗読劇は独白中心で、「飛龍伝」は会話中心であったが、「せかいでいちばんきれいなものに」は、独白も会話もあるが、中心となるのは呼びかけであった。誰への? 観客への呼びかけである。役者たちは、はっきりと客席に顔を向けて、呼びかけていた。訴えていた。何を?かけがえのないありふれた日常を。すでに失われてしまったありふれた日常を。これでもか、これでもかと、ふりしぼるような声で訴えていた。ピアニストがフォルテシモで鍵盤を叩き続けるように訴えていた(ときにピアニシモで語る場面があるので、観客は「ふー」と息をつくことができる)。このストレートな、ある意味で愚直ともいえるストレートな表現は、彼らにとってのリアリズムなのであろう。もちろん私たちは、そして彼らも、日頃、こんなふうには語らない。こんなに大きな声で、こんなに早口で、こんなに身体をよじりながら、こんなにレトリックを駆使して語ったりはしない。でも、こんなふうに語ってみたいという気持ちがどこかにある。そうしないのは、日常的な世界でそれをしたら、周囲から、おかしな人、あぶない人、恐ろしい人と思われてしまうからである。演劇という非日常的な空間であるからそれができるのである。非日常的な空間で語られることは、だから、日常的な欲望である。日常的なものへのむきだしの欲望である。そうしたことを自覚的に試みたのが、今回の芝居だったのではないか、そういう感想をもった。役者たちはそれぞれの持ち味を生かしての熱演だった。次回は、今回とは趣を変えて、余裕のあるクールな演技も観てみたい。

  観劇を終えて、神楽坂の街を歩く。日曜日は歩行者天国のようである。  

  甘味処「花」で一服。日曜日は定休日のはずが、なぜか営業している。クリームあんみつを食べる。女将さんはあいかわらず話好きである。 

  坂道を飯田橋まで歩く。

 

  蒲田に戻り、家に帰る前に、しばらくぶりに「緑のコーヒー豆」に立ち寄る。虫の知らせというやつだったのだろう、店内に「急なことですが、3月16日をもって閉店いたします」との貼紙が出ていた。今週の金曜日ではないか。「閉店されるのですか?」と店の方に尋ねると、「はい」と苦笑された。何か事情があるのだろう。3年半の営業だった。カフェラテとホットドックを注文し、日誌をつける。 閉店までにもう一度来ることができるだろう。

  私の日常生活の構成要素であるカフェが1つなくなってしまうと思うと、淋しい限りだ。