8時半、起床。ウィンナーとキャベツの炒めとご飯の朝食。
午後から大学へ。今日は成績発表(2・3年生)と再試験(一・二文生)がある。事務所へ行って、自分の担当科目の再試験の答案を受け取り、採点し、成績を提出する。
昼食は「maruharu」で。本日のサンドウィッチ(チキンとアスパラのカレー炒め)とコーヒー、イチゴミルクゼリー。
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高層棟の工事中のフェンスに1985年当時の大学近辺の絵地図や昔の校舎の絵が貼られた(藪野健画)。当時の飲食店なんかも細かく描きこまれていて、洛中洛外図みたいで楽しい。1985年といえば、私は31歳で、結婚して上の子が生まれた年だが、私はまだ大学院のオーバードクターだった。その2年後に助手に採用されるのだが、もちろん2年先のことなどわからないから、いま風の言葉でいえば高学歴ワーキングプアで、個人史的にはかなり厳しい時代だった。法学部の教員図書室のTAのアルバイトをしていて、若き日の鎌田総長とはよくお目にかかった。
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馬場下の交差点あたりを見ると、いま「銀だこ」のある場所に立ち食い蕎麦の「池田家」があった。文キャンの正面には「まんぷく」という食堂があった(そこの調理人だった高橋さんが「まんぷく」が店仕舞いをした後にいまの「たかはし」を開店したのだ)。「三朝庵」の向いに「カナリア」という品のいいご夫婦がやっている洋食屋があった。ここのスタミナライス(略して「スタライ」)はよく食べた。「オトボケ」は当時すでにあった。いま文キャンに一番近いカフェは「フェニックス」だが、当時は文キャンのすぐ脇に「ブルボン」という喫茶店があって、私はよく利用した。建物はいまもそのまま残っていて、マダムが一人で住んでおられる(はずだ)。いまの「カフェ・ゴトー」は以前は「ル・プティ」という喫茶店だった。地下鉄の駅を上がった角には「オリエント」という大きめの喫茶店があった。入った記憶のない店もある。「いちふく」や「ルナ」や「バタカップ」や「キャリオカ」や「BUN」といった店がそうだ。縁がなかったのだろう。
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早稲田通り沿いの古本屋の多くはいまも営業を続けている。明治通りとの交差点にあった「古屋万年筆店」は残念ながらもうなくなってしまった。絵には描かれていないが、その隣には鯛焼屋があったはずだ。「ヤマノヰ書店」は当時はここにあったのか。
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私自身は本部キャンパス周辺はあまり馴染みがないのだが、きっと私のブログをご覧になっている方の中には懐かしい場所であろうから、載せておきます。
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リーガロイヤルホテルが建つ前の大隈講堂の周辺。大隈会館(旧大隈重信邸)の食堂はなかなか風情があったと思う。カキフライをよく食べた記憶がある。友人のKはここで結婚式を挙げたのだった。
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四半世紀というのはそれなりの歳月なのだとしみじみと思った。
生協の書店で新学期の教科書を注文する。授業初日は4月6日だ。