フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月10日(土) 小雨のち曇り

2012-03-11 03:18:14 | Weblog

  8時半、起床。

  ブログの更新をしてから、朝食兼昼食。シチュー、トースト(2枚)、ハチミツ、ラフランスのジャム。シチューでトーストを1枚食べ、もう1枚をハチミツとジャムで半分ずつ食べる。ハチミツは学生からの、ジャムは卒業生からの頂き物だが、すこぶる美味しい。

  今日は写真美術館か映画館に出かけるつもりでいたのだが、昼寝をして目を覚ましたら3時を過ぎていたので、遠出はやめて、ジムにいくことにした。筋トレ2セットとウォーキング40分。昼寝の後で頭も身体もすっきりして気分がいい。

  帰宅してメールをチェックしたらあまりすっきりしない案件が届いていた。事務所に電話をして、情報を収集し、対処の方針を決める。3月も問題は山積だが、粛々と対処し、コツコツと処理していくほかはない。そして職務の時間とプライベートの時間を峻別することが肝心だ。やっかいな問題であるほど、四六時中ではなく、決まった時間の中でそれと向き合うことである。

  夜、木曜日に録画しておいた『最後から二番目の恋』を観る。中井貴一と小泉今日子のやりとりが楽しい。楽しい会話や気のきいた会話は日々の生活を味わい深いものする。


3月9日(金) 小雨

2012-03-10 09:32:15 | Weblog

  6時50分、起床。バタートーストをかじりながら、7時半に家を出る。久しぶりの朝の通勤電車に乗って、大学へ。

  浦野院長の代理で本部での会議(拡大基本問題懇談会)に出席。「秋季入学」についての意見交換。10時まで。

  教務室に戻り、新学期に使うテキストに目を通す。

  弘前大学の高瀬君が1時に研究室にやってくる。昨年6月の彼の結婚式以来である。奥さんも出身大学の先生を訪問中とのこと。夕方から二人で大阪に井上芳雄のコンサーを聴きに行くそうだ。結婚生活はどうと尋ねたら、「規則正しい生活になりました」という。夜は11時半には寝て、朝は6時半に起きる毎日だそうだ。そのためこれまで深夜に書いていたブログの更新ができなくなってしまった。食生活も、昼食は奥さんの作ってくれる弁当、夕食も必ず家で一緒に食べるのだそうだ。えっ、そうすると、昼食にラーメンとかは食べられないわけ? 「はい、それは週末に二人で外食するときに食べるのです」とのこと。ふ~む。昼食は「好きなものを食べる自由」を行使する一番の機会であると考えている私には考えられない生活である。でも、まあ、新婚一年目だからね。仲良きことは美しきかな。「すず金」で鰻重を食べ、「カフェゴトー」でココアを飲む。

  ゼミ論集が研究室に搬入された。去年の一期生のゼミ論集の表紙は赤だった。今年(二期生)は橙である。来年(三期生)は黄、再来年(四期生)は緑・・・と虹の7色の順番にしようかと考えている。7色の背表紙が本棚に並んだらきれいであろう。8期生はどうなるのか?それはそのときが来たら考えます。

   夜、ゼミ一期生のSさんと二期生のTさんが研究室にやってきた。二人にどういうつながりがあるのかと聞いたら、Tさんが以前からSさんとお話をしたいと思っていて、今日ようやくそれが実現したのだそうだ。できあがったばかりのゼミ論集をTさんにあげる。Sさんも欲しそうだったのであげる。


お土産をいただく

  しばらく研究室でおしゃべりをしてから、「五郎八」に食事に行く。一品料理をあれこれ注文し(私とSさんはビール、Tさんはウーロン茶)、最後に揚げ餅そばをシェアーして食べる。


薩摩揚


卵焼き


揚げだし豆腐


田楽


まぐろの山かけ


カキ丼の上だけ(わがままな注文)


揚げ餅そば(一皿を三人で)


お新香(〆のお茶を飲みながら)

  あれこれおしゃべりをしていて、気付いたら10時近くになっていたが、食後のコーヒーを「シャノアール」で飲みながら、さらに1時間ほどおしゃべりを続けた。Sさんとは卒業以来だが、まるで先週ゼミがあったかのように、何の違和感もなくおしゃべりを楽しめた。これはSさんの人柄に負う所が大きい。

  12時、帰宅。ほどなくしてTさんからケータイにメールが届き、卒業前に先生といっぱい話ができてよかったですと書いてあった。そうか、そういわれてみると、ゼミ生の一人一人と教室の外で話をする機会はあまり持てなかったなと思う。もちろんゼミ論の個別指導や個人的な相談事には応じてきたが、それはそうした機会を積極的に求めてくる学生に対してであって、こちらから働きかけたわけではない。単純に私が忙しかったせいもあるが、現代の学生気質はそうした関係性を苦手としているのではないかという思い込みも私にはあった。その思い込みは必ずしも的外れではないとは思うものの、学生たちがみなそうであるわけではないということも忘れてはなるまい。


3月8日(木) 曇り

2012-03-09 00:28:33 | Weblog

  8時半、起床。ウィンナーとキャベツの炒めとご飯の朝食。

  午後から大学へ。今日は成績発表(2・3年生)と再試験(一・二文生)がある。事務所へ行って、自分の担当科目の再試験の答案を受け取り、採点し、成績を提出する。

  昼食は「maruharu」で。本日のサンドウィッチ(チキンとアスパラのカレー炒め)とコーヒー、イチゴミルクゼリー。

  高層棟の工事中のフェンスに1985年当時の大学近辺の絵地図や昔の校舎の絵が貼られた(藪野健画)。当時の飲食店なんかも細かく描きこまれていて、洛中洛外図みたいで楽しい。1985年といえば、私は31歳で、結婚して上の子が生まれた年だが、私はまだ大学院のオーバードクターだった。その2年後に助手に採用されるのだが、もちろん2年先のことなどわからないから、いま風の言葉でいえば高学歴ワーキングプアで、個人史的にはかなり厳しい時代だった。法学部の教員図書室のTAのアルバイトをしていて、若き日の鎌田総長とはよくお目にかかった。

  馬場下の交差点あたりを見ると、いま「銀だこ」のある場所に立ち食い蕎麦の「池田家」があった。文キャンの正面には「まんぷく」という食堂があった(そこの調理人だった高橋さんが「まんぷく」が店仕舞いをした後にいまの「たかはし」を開店したのだ)。「三朝庵」の向いに「カナリア」という品のいいご夫婦がやっている洋食屋があった。ここのスタミナライス(略して「スタライ」)はよく食べた。「オトボケ」は当時すでにあった。いま文キャンに一番近いカフェは「フェニックス」だが、当時は文キャンのすぐ脇に「ブルボン」という喫茶店があって、私はよく利用した。建物はいまもそのまま残っていて、マダムが一人で住んでおられる(はずだ)。いまの「カフェ・ゴトー」は以前は「ル・プティ」という喫茶店だった。地下鉄の駅を上がった角には「オリエント」という大きめの喫茶店があった。入った記憶のない店もある。「いちふく」や「ルナ」や「バタカップ」や「キャリオカ」や「BUN」といった店がそうだ。縁がなかったのだろう。

  早稲田通り沿いの古本屋の多くはいまも営業を続けている。明治通りとの交差点にあった「古屋万年筆店」は残念ながらもうなくなってしまった。絵には描かれていないが、その隣には鯛焼屋があったはずだ。「ヤマノヰ書店」は当時はここにあったのか。

  私自身は本部キャンパス周辺はあまり馴染みがないのだが、きっと私のブログをご覧になっている方の中には懐かしい場所であろうから、載せておきます。

  リーガロイヤルホテルが建つ前の大隈講堂の周辺。大隈会館(旧大隈重信邸)の食堂はなかなか風情があったと思う。カキフライをよく食べた記憶がある。友人のKはここで結婚式を挙げたのだった。

  四半世紀というのはそれなりの歳月なのだとしみじみと思った。 

  生協の書店で新学期の教科書を注文する。授業初日は4月6日だ。


3月7日(水) 曇り

2012-03-08 01:31:01 | Weblog

  7時半、起床。焼きソーセージと紅茶の朝食。

  チュンは下痢から普通のフンをするようになった。即効性のある薬のようである。これなら今日は家を出ても大丈夫と思われる。というわけで、10時に家を出て、大学へ。

  11時から26号館地価のスタジオで基礎講義のコンテンツ(総説)の再収録を行う。今年度のコンテンツは3月11日の震災から5日目に収録したもので、話の中に震災のことも出てくる。2011年度限定バージョンなのだ。再収録はワンテイク、20分ほどで終了。

  収録を終えて、同じ建物の15階にある「西北の風」で昼食をとる。ナポリタンを注文。ここのナポリタンの特徴の一つはウィンナーソーセージとハムの両方が入っているところ。肉感豊かなナポリタンなのである。食後のコーヒーを飲みながら、日誌をつけたり、メールを打ったり。

  文キャンに戻って、教務室で仕事。

  卒業生のNさんがお子さんを連れて研究室に来てくれた。卒業生が研究室を訪ねて来てくれることはちょくちょくあるが、お子さん連れというのは初めてである。名前は龍晴(りゅせい)、お父さん似である。昨年5月の生まれで、最近つかまり立ちができるようになった。最初は少し緊張気味であったが、すぐに私に馴れて、笑顔を振りまいてくれるようになった。そのうち眠くなってきたのか、お母さんのおっぱいを求める仕草をするようになり、Nさんがここで授乳していいですかというので、私はしばらく退室。授乳待ちで外の空気を吸う。それほど寒くはない。

  おっぱいを飲んで眠るかと思いきや、龍晴君は元気である。カフェゴトーに行く。ここでもすっと上機嫌であった。私の膝に乗ったり、高い高いをしてあげると大喜びであった。カフェのお客さんたちにわれわれはどのように見えていたのだろうか。父と娘と孫であろうか。年の離れた夫婦と子供であろうか(Nさんは今年で37歳になる)。主観的にはそのどちらでもなく、叔父さんと甥っ子という気分であった。

   結局、龍晴君はお昼寝をすることなく、われわれはずっと彼をあやしながらあれこれ話をしたが、Nさんが帰宅してからくれたメールでは話し足りない気分だったそうだ。時間的なこともあるだろうが、話題が勢い子供中心であったためもあるだろう。「北の国から」とか、村上春樹の小説とか、われわれには共通の話題がけっこうあるはずなのである。それはまた別の機会ということにしましょう。とにかく今日は龍晴君のお披露目の会だった。

  二人を見送って、教務室に戻り、6時過ぎまで仕事をして帰る。

  書斎に入ると、チュンが私の気配を察知して、ピョンピョン飛び跳ねた。大分元気を回復してきた。籠から出して掌に乗せると、私の指を噛んだ。うん、噛む力も戻ってきて、ちょっと痛い。痛いが、嬉しい。


3月6日(火) 晴れ

2012-03-07 01:04:04 | Weblog

  8時、起床。昨夜は書斎の暖房は切らずにおいた。チュンの様子は昨夜よりもいくらかよいようである。幸い今日は暖かい。午前中に「小鳥の病院」へ連れて行く。いつもは小さな籠に入れていくのだが、今日は左手の掌の中に入れていく。その方がチュンは安心するのだ。これまでもこうして散歩をすることがあった。チュンは指の間から外の景色を物珍しそうに眺めていた。

  チュンを診察台の上に乗せるとちょうどフンをしたので、先生はそのフンを診て、餌(雑穀)が消化されずに排出されていますねと言った。消化不良か。確かにこのところずっと下痢気味であった。先生は消化機能を回復させる薬を調合し、これを葡萄糖液に溶かしてスポイトで飲ませてくださいと言った。薬が処方されると病院に来たかいがあった気分になるのは人間の場合と同じである。

  帰宅してさっそく薬を葡萄糖液で溶いてスポイトで飲ませる。くちばしの付け根の部分に横から水滴を落とすと反射的に口ばしをパクパクして飲む。5、6滴与える。なんだか苦そうな薬であるが、その方が薬らしくて効目がありそうな気がする。苦い薬を飲まされて、怒ったのか、チュンが私の指を噛む。噛む力があるのはよいことである。噛む力の強弱で元気かどうかがわかる。

  練った餌を与える。時間が経つと硬くなるので、ちょっとずつ何回も与える。薬を飲んで、消化のよいものを食べ、水分を補給し、暖かくして身体を休めていれば、だんだん体力が回復してくるはずだ。そう信じて、今日は一日小雀の看病。


暖かくして眠ること