フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月5日(月) 雨のち曇り

2012-03-06 01:58:14 | Weblog

  8時、起床。バター、はちみつ、トースト、紅茶の朝食。

  9時半頃家を出て大学へ。大学へ出る前に理工社に寄って、ゼミ論集の版下を渡す。表紙はオレンジ色に決める。今週の金曜日に搬入される予定。

  大学に着いて、学生の面談を一件。

  12時半から多元文化論系の先生方と懇談。

  2時から運営主任会。

  その後、あれこれの雑用。

  8時半、帰宅。チュンに餌をやろうとして、様子がおかしいことに気付く。ちゃんとした体勢をとることが困難で、横になったり、仰向けになったりしている。だんだん足腰が衰えてきているのはわかっていたが、ちょっと急である。元来、未熟児であったが、食欲だけはしっかりあって、それでもってきたところがある。餌や水分をとれなくなったらいけない。掌で握ってやって温めたり、電球の下で寝かせたりして暖をとらせる。しばらくそうしておいて籠の中に戻すと自分から水を飲んだり餌をついばんだりする。これを何度かくり返す。

  いま午前2時になろうとするところ。消灯して、書斎を出る時刻だが、どうにも気になって、出られずにいる。


3月4日(日) 曇り

2012-03-05 02:58:27 | Weblog

  7時、起床。どんよりとした曇り空。

  朝食は抜きで、昼食は鶏鍋の残りでご飯。

  夕方、ジムへ行く。今日は筋トレはせず、1時間ずっと有酸素運動をする。5キロのウォーキングで400キロカロリー=月見そば一杯分を消費。新学期が始まるまでに2キロ減が目標である。

  ジムの後は「シャノアール」で読書。今日、アマゾンの宅配便で届いた本の中の一冊、米長邦雄『われ敗れたり コンピュータ棋戦のすべてを語る』(中央公論新社)を読む。1月14日の対コンピュータ将棋ソフト「ボンクラーズ」との一戦をめぐる語りである。30年前にもなるが、米長は『人間における勝負の研究』(祥伝社、1982)という本を書いた。将棋をベースにした勝負哲学であり、人生論である。当時の私の愛読書といっていい本で、教えられるところが多かった。今回の本はいってみれば「コンピュータにおける勝負の研究」である。60歳で現役を引退した68歳の老剣士がロボット剣士といかに戦い、そして敗れたのか、その記録である。コンピュータとの対戦が決まってから約100日間、米長は酒を絶って対コンピュータ用の戦法を研究した。そして後手番の初手「6二玉」という一手を指した。かつて坂田三吉が木村名人に対して後手番の初手「9四歩」と右端の歩を突いたことがあるが、坂田の場合は一種の心理戦(木村名人をカッとさせようとする)であった。米長の「6二玉」はそうでなく(感情を持たないコンピュータに心理戦を挑むのはナンセンス)、前例のない一手を初手に指すことで、コンピュータの記憶回路の中のデータベースをチャラにする意図である。米長の構想は功を奏して、中盤、優勢な局面を作ることに成功したが、一手の判断ミスから敗れてしまった。その判断ミスとは彼我の角と角の筋がぶつかりあった局面で、彼が交換を避ける一手を指したことである。

  「ここで私は角交換を恐れず堂々と中央で戦い、そして中央の優位を磐石なものにしたあと、相手の玉に迫るか入玉するのか―おそらく後者の入玉の作戦を取ると思いますが―を選ぶ。そう指せば、この将棋は完璧に勝てたのだと思います。相手からの視線を避けた。そのとき、これまで微笑んでくれていた勝利の女神が、私を見捨てたのです。/なぜ、これだけの準備をし、万全の態勢を築いておきながら、私は勝てなかったのか。なぜ神は私に、勝ちを与えなかったのか。この答えが見つからず、私は数日間眠れず、悶々として過ごしてきましたが、ここにきて、答えがはっきりわかってきたのです。そうか、あの視線を避けたその姿勢を、神は許さなかったのだ。だから私は勝つことができなかったのだ。」(105頁)

  角交換を避けたのはコンピュータの強さを知っているからである。だからできるだけ派手な戦いを回避して、つまり大駒の交換を回避して、じわじわと位で押していくような戦い方を米長は選んだのであるが、大事なところで、安全策が裏目に出てしまったということである。優勢から勝勢へと進むためには、どこかで決断の一手が必要なものだが、その決断において米長は躊躇ってしまったということである。ここで米長はあるエピソードを語る。それは、戦いの前に彼が妻に「私は勝てるだろうか」と聞いたところ、妻は「あなたは勝てません」と答えた。「なぜだ」と聞くと、妻は「全盛期のあなたと今のあなたには、決定的な違いがあるんです。あなたはいま、若い愛人がいないはずです。それでは勝負に勝てません」と答えたそうだ。これは余談だが、私が助手だった頃、研究室のメンバーと高田馬場の中華料理店で食事をしているとき、米長が愛人と思しき若い女性と一緒にいるのを見たことがある。彼の華麗な女性遍歴はつとに有名であった。

  「そして私は妻の言葉を思い出すのです。そうか、俺に若い愛人がいたならば、あれを避けるようなことはしなかっただろうな。/なぜならば、若い女性は、戦いから視線を避けるような私に対して「それでもあなたは男なの?そんな意気地なしでいいの?」と言ってくれるからです。若い愛人がいるというのは、そういう問いかけにさらされるということであり、思考に勢いが生まれます。雄としての勢い、アドレナリン、脳内物質、そういうものが出るのです。/妻の「若い愛人を持たないからあなたは勝てない」というあの言葉は、やはり現実的に愛人を作れというアドバイスではないでしょう。私にその勢い、迫力、何事にも恐れぬ姿勢が欠けているよ、というアドバイスだったのです。この日の私はあまりにもまじめで、慎重すぎた。それを戦いの女神は許さなかったということなのでしょう。/隠居に幸せはこない。そのことを思い知らされた一局でした。」(106頁)

  米長らしい人生哲学であるが、彼の人生哲学の中にはこうした奥さんの語りがときどき登場する。まさに勝負師の妻という感じである。

  念のために言うが、私が彼の人生哲学から一番影響を受けているのは、こうした部分ではない。私が影響を受けているのは彼の「惜福」という考え方である。これを彼は幸田露伴の『努力論』から学んだと書いているが、要するに、自分が幸福なときは、それを浪費しないで貯めておきなさいといことだが、「惜福」は実は第一段階で、次に「分福」という段階があり、これは幸福を自分のためだけに消費するのではなく、周囲の人たちに分け与えなさいということだ。それが結局は幸福をより大きなものにしてくれる―情は人のためならずに似た発想といえるだろう。「惜福」+「分福」の考え方に私はなるほどと感じ入り、いまでも心がけている。たとえば美術館や映画館で素晴らしい作品と出会えたときなどは、家族にケーキをお土産に買って帰るというのは「分福」の卑近な例である。実は、「分福」の後にさらに「植福」という段階があって、世の中のために何か善事をすることをいうのだが、これはあまり自信がない。


3月3日(土) 晴れ

2012-03-04 01:56:20 | Weblog

  7時半、起床。晴天だ。週末の晴天は心がはずむ。

  近所のコンビニにパンを買いに行く。ついでにマカロニサラダ、ティーバッグ(ダージリン)、唐揚棒(竜田揚げ)を購入。今日は朝食をしっかりととろうと思う。


自宅前の私道の向うにセブンイレブンがある。


朝の女塚(おなづか)商店街


自宅二階のベランダのスリットから身を乗り出す「はる」 

 
本日の朝食(+はちみつを塗ったパンを半切れ)

   あれこれのメールへの対応。昼食はあんまんと肉まん。

  午後から大学へ。今日は学士入試、転部試験が行われているが、私はそれとは別の用件。4時から6時まで教務的会合。

  7時半、帰宅。風呂の前に食事にする。今夜は鶏鍋。

  夜もあれこれのメールへの対応。まもなく2時になる。寝よう。


3月2日(金) 小雨

2012-03-03 00:30:04 | Weblog

  7時半、起床。トースト、チーズ、紅茶の朝食。

   間もなく卒業するゼミ生の一人からメールがあって、彼女は品川にある会社に勤めるのだが、今度蒲田に引っ越すことになったという。蒲田-品川は京浜東北線で10分である。絶好のロケーションではあるが、蒲田のどこか尋ねたら、西蒲田7丁目。私は西蒲田5丁目だから、そのうち駅の周辺で出くわす日がくるだろう。

  11時に家を出て、大学へ。12時から本部で芸術学校の運営委員会。本部の入口には大学のキャラクターであるワセダベアーの着ぐるみを着た人が立っている。ご苦労様です(嘘です)。


今回もカレーライスではなくサンドウィッチが出た。

  戸山キャンパスに戻って、1時から教務-事務連絡会。2時間ほどかかる。

  引き続いて、特定の案件についての事務方との相談。毎年、6月1日に職員の方の異動があるから、それまでにすませておかなくてはならないことがいくつかあるのだ。

  今日は1年生と4年生の成績の発表があった。1年生は進級にかかわり、4年生以上は卒業にかかわる。さっそく二文の学生から「日常生活の社会学」の再試験の申込みがあった。再試験は3月8日である。

  夕方、「maruharu」に食事に行く。前回、老婦人が美味しそうに食べていた焼きうどんを注文し、前菜代わりにポンカンとオレンジのゼリーを食べる。焼きうどんは七味を振りかけていただく。うん、美味しい。デザートはロールケーキとコーヒー。

 

  10時、帰宅。ゼミ論集の校正済み原稿をコースナビにアップし、ゼミ生たちに最後のチェックをするようメールで伝えてから、風呂に入る。土日で最後のチェックをして、月曜に製本業者に渡す。

    『八日目の蝉』が日本アカデミー賞で圧勝した。よい作品であることは間違いない。でも、独り占めはないだろう。これまでも日本アカデミー賞は独り占めのケースが多い。選考が大雑把な感じがする。


3月1日(木) 晴れのち曇り

2012-03-02 08:18:25 | Weblog

  7時、起床。トースト、チーズ、紅茶の朝食。

  10時半に家を出て、大学へ。昨日が寒かっただけに、今日は暖かく感じる。

  昼食は「フィニックス」で。スパゲティ・ミートソースとサラダとコーヒー。午後からの会議資料に目を通す。 ここの中央の大きなテーブルは資料を広げるのに最適である。

  1時から必修基礎演習担当者説明会。2月10日の説明会に出られなかった先生方を対象としたものである。

  2時から教授会。今年度最後の教授会であるが、いつもより短時間で終る。最後に今年度をもって定年退職される3人の先生、西本武彦教授(心理学)、小林繁教授(フランス文学)、木村裕教授(心理学)の挨拶があった。どなたも挨拶が短い。いつの頃からだろう、こうしたときのスピーチの時間が短くなったのは。

  教授会終了後、打ち合わせや相談がいくつかって、6時半からの「西北の風」での教員懇親会に30分ほど後れて参加。

  懇親会終了後、研究室に戻り、ゼミ論集の版下を鞄に入れて自宅に持って帰る。本当の最後の仕上げは自宅でやる。  

記念会堂前(3月25日の卒業式はここで行われる)

  10時半、帰宅。風呂を浴びてから、録画しておいた『最後から二番目の恋』を観る。木曜の夜の楽しみである。中井貴一と小泉今日子の言葉のやりとりは実に面白い。テンポがよくて、臨場感にあふれている。脚本通りに(アドリブではなく)やっているのだとすると、岡田恵和の脚本はすごい。アドリブを入れているのだとすると、二人の役者の瞬発力はすごい。来週の木曜日も楽しみだ。