フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月15日(木) 晴れ (前篇)

2018-03-17 20:48:47 | Weblog

8時、起床。

トースト、カレー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の午後は妻が自宅で講習会。私は散歩に出かける。

近所の専門学校は今日は卒業式のようだ。

恵比寿に行く。久しぶりに山種美術館へ。駅から徒歩15ほどである。

ところが何回か来ている道なのに途中で間違ってしまった。渋谷橋の交差点で、歩道橋を渡って、写真右手の道(駒沢通り)を行く(直進)べきところ、左手の道(明治通り)に行ってしまったのである。 

なぜ間違ったのかを後から考えてみるに、歩道橋の上がり下りのときの螺旋階段が原因ではないかと思い至った。もしこれが直線の階段であれば勘違いは生じなかったと思う。ぐるぐる回ることで方向感覚に狂いが生じてしまったのだろう。

さらに、写真は歩道橋を下りたところなのだが、手前の小さな横断歩道を渡って右折しなくてはいけなかったのだが、私はもう一つの横断歩道を渡って直進してしまったのである。これは歩道橋を渡る前に「直進」ということが頭にあったからである。

こういう錯覚って都市ではよく生じる現象なのではないかしら。まぁ、私がぼんやりしていたということもありますけどね(笑)。

 春うらら西も東もおぼろかな たかじ

もちろんそのときは間違った道を進んでいるとは思っていなかった。街角の風景を楽しみながら歩いていた。

家を出るとき鞄に入れて来た結婚式の出席通知を路傍のポストに投函する。5月に論系ゼミ4期生のヨウさんが結婚式を挙げるのだ。

道端のお稲荷さんにヨウさんの幸せを祈願した。しかし、このとき、「こんなところにお稲荷さんがあったかな」という小さな疑問は生じてはいた。

美術館らしき建物はまだ見えてこない。美術館緒手前にあるはずのお気に入りのカフェも見えてこない。実はこのとき私は明治通りを恵比寿からお隣の渋谷までの道のりの半分ほどをすでに歩いていたのである。

ようやく美術館と思しき建物に着いて中に入ってみたら全然関係のないビルだった。ここに至ってもしかしたら自分は間違った道を歩いているのではないかという疑念が生じた。道行く人に「山種美術館はこの近くでしょうか?」と尋ねたところ「ヤマタネ美術館? さあ、聞いたことがありませんが」と言われる。遠くか近くは別として「山種美術館」という名前くらいは知っていてよさそうなものだが、きっと美術に関心のない人だったのだろうと思いながら、ここでようやくスマホでマップを確認したところ、現在位置と山種美術館がかけ離れた場所に位置することがわかった。

それからはスマホのマップを頼りに山種美術館までたどり着いた。えらい遠回りをしてしまった。

あの白いビルがそうである。

美術館に入る前にいつもそうするように手前にあるカフェでランチをとることにする。さきほど、間違った道を歩きながら、なかなかこのカフェが見えて来ず、おかしいな、潰れてしまって跡地にビルが建ってしまったのかと思っていた。

このカフェは、私が来る時間帯(平日の午後)のせいかもしれないが、いつも空いていて、ゆっくり食事をすることができる。

「道を間違う」ということについて考える。ある場所(たとえば恵比寿駅)から目的地(たとえば山種美術館)へ行くという場合には「道を間違う」ということはある。今日の私がそうだ。ところで、人生の岐路において「道を間違う」ということはあるのだろうか。特定の人生目標を設定した場合にはそれはある。と思えるが、実は、その人生目標を達成できなかったのは「道を間違えた」結果ではなく、人生目標の設定そのものを間違えた(無理があった)場合が多いのではないだろうか。たとえば「将棋の名人になりたい」とか「宇宙飛行士になりたい」とか「大金持ちになりたい」とか。そういう目標はこの道を進めば必ずそこに到達できるというものではないからだ。

ある状況に置かれているとき、「自分はどこで間違ったのだろうか」と過去に思いをはせることがある。「あのときああしていれば今日の苦境はなかったろう」と。しかし、もし「あのときああしていたら」確かに今日の苦境は避けられたかもしれないが、別の苦境に直面することになったのではないだろうか。過去のある時点にもどって人生をやり直すことで、その後の人生のある負の要素の発生を抑えられたとしても、他の部分がそのままということはありえず(すべては相互作用するのだから)、別の負の要素が発生したのではないだろうか。いいとこどりの人生というものを考えるのは虫がよすぎるだろう。

ずいぶん歩いて喉が渇いていた。レモンティーで喉を潤す。

そしてスープ(クラムチャウダー)を単品で注文。 最初はホットサンドも頼もうと思ったのだが、スープだけでも十分だった。

カフェと美術館の間には古い商店のある一角がある。

タイムトンネルから出てきたような少年。

果物屋があり、八百屋があり、

魚屋がある。肉屋はないのだろうか。

ようやく山種美術館緒の前まで来た。

現在開催中の展覧会は「桜さくらSUKURA2018」。次回の「琳派」も楽しみだ。

チケットを購入して、すぐに入場・・・ではなく、

まずは美術館併設のカフェ「椿」で一服。*写真は閉館時間が来て、美術館を出るときに撮ったもの。

展覧会ごとにそのテーマに合わせたオリジナルの和菓子を青山の老舗「菊家」が提供している。

5種類の和菓子の中から「うたげ」と名付けられた一品を注文する。

美しく(食べるのがもったいない)、そして胡麻風味のこしあんが美味しい。

お茶には塩漬けにされた桜の花が。

展示場は地下にある。

山種美術館は山種証券(現・SMBCフレンド証券)創業者である山崎種二が集めたコレクションをもとに1966年に開館した日本初の日本画専門の美術館である。

入口の扉が開くと、

土田麦僊の「大原女」を使った今回の展覧会のポスター。

今回、この作品だけが唯一カメラ撮影を許可されている。屏風絵だが、ポスターでは真っ直ぐに伸ばされて撮影されている。

ほどよい広さの会場にはほどよい数の桜を描いた名画が並んでいた。音声ガイダンに耳を傾けながら、閉館時間の5時までいた。

東山魁夷の「春静」、奥村土牛の「醍醐」「吉野」、小林古径の「入相桜」、加山又造の「夜桜」、石田武の「春宵」「月宵」、奥田元宋の「湖畔春耀」などがとくに見事だと思った。

会期は5月6日まで。もう一度来てみたい。リアルな桜の季節が終わった頃に。そしてあの練り切りを食べるのだ。残り4種、全部食べてみたい。「椿」で全部食べるのは難しいだろうが、テイクアウトも出来るので、可能である。

美術館を出て、さきほどの古い商店のある一角を通る。

恵比寿駅前まで徒歩15分。こんなに近かったのか。 

 時刻はまだ5時半。今日は木曜日だから東京都写真美術館は8時までやっている。行ってみることにしよう。

(後半に続く)


3月14日(水) 晴れ

2018-03-16 13:20:07 | Weblog

8時、起床。サラダのみの朝食。今日は午前中にカフェの約束がある。

10時半に矢向駅で論系助手の川副さんと待ち合わせ、「ノチハレ珈琲店」へ行く。 彼女には去年の4月に生れた一人息子の惟平(いへい)君がいる。できたら一緒に連れてきて、私とのツーショットを撮りたかったようだが、ハイハイやつかまり立ちで活発に動き回る月齢なので、今回は断念された。

「ノチハレ珈琲店」には念のため昨日予約の電話を入れておいたが、しておいたよかった。店内はほぼ満席だった。奥様の出産のため18日を最後にしばらく(予定では3か月間)休業期間に入ることになっているこのカフェにみなさんやってきているのだ。

 キープしておいたいただいていたのは店の奥の二人用のテーブル席だったが、入口横の明るいカウンター席が空いていたので、そこに座らせていただいた。

メニューを見て、フードは何にしようか考える。実は、「ノチハレ珈琲店」には「パン日和あをや」からの流れで来ることがほとんどなので、すでに食事は「あをや」で済ませていて、「ノチハレ」ではコーヒーだけ、あるいはコーヒー+スイーツという注文しかしてこなかったのであるが、「あをや」と同じく「ノチハレ」も自家製パンが評判のお店なのである。

ピザトースト。

 トースト(特製ジャムとバター)。

シェアしていただく。美味しかった。朝食が軽かったこともあり、ペロリと食べてしまった。それは彼女も同じで、いま授乳中の彼女は、常時食欲があり「無限に食べられるんです」と言う。ほ、ほんとか?! 授乳中の女性はみんなそうなのか?! 

 マヨタマトーストを追加で注文しようかと考えたが、この後もう一軒カフェに行くつもりなので、飲み物だけにしておく。

私はリンゴジュース。

彼女は練りココア。 

東日本大震災があった年に博士課程に進んだ彼女は、博士課程に在学中の6年間、被災地をフィールドとした地域社会学的研究に没頭した。「疾風怒濤の6年間でした」と彼女は言う。気持ちがいっぱいいっぱいになって、突然思い立って、海外逃亡(東南アジア方面の旅行)に出かけたことも何度かあるそうだ。

そして2年前から現代人間論系の助手になった。去年、お子さんの誕生・育児とお父様の介護・死という大きなライフイベントを立て続けに経験した。この4月からは東洋大学の社会学部の助教になることも決まった。よいことも辛いことも、短期間にたくさん経験すると、うつ病になるリスクが高まるという研究があるが(ホームズの社会的再適応尺度)、彼女はストレスをストレスと感じるゆとりもないくらい必死の1年であったようだ。タフですね。でも、反動が来ないかちょっと心配です。

保育園のお迎えには2時にこちらを出ればよいということなので、もう一軒カフェにお付き合いください。 

 矢向→川崎→大井町と移動して、「pottery」へ。大井町駅周辺の飲み屋街には心惹かれたようである。私は知らなかったが、彼女は修士の頃、神楽坂の料亭に住み込んでいて、将来は旅館の女将になるのではないかと思われていたそうである。

 「pottery」の前の通りの河津桜はすでに葉桜になっている。 

「こんにちは」とマダムに挨拶をして、お気に入りの入口左側の半円形のテーブルに座る。 

珈琲とタマゴトーストを注文。

 これを食べたかったので、「ノチハレ」でマヨタマトーストを追加注文しなかったのだ。

彼女は最近あれこれ家電製品を買い込んでいるそうだ。食洗機、乾燥機付の洗濯機、電子レンジ、大きな冷蔵庫・・・家事労働の負担の軽減のためである。「夫も私のリクエストに全面的に賛成してくれました」。 

夫の枕元にこの本を置いておいたのが功を奏したようである。

 狩野さやか『ふたりは同時に親になるー産後の「ずれ」の処方箋』( 猿江商会)

著者は一文の社会学専修の卒業生で、私とも何度かカフェをしたことがある。子どもの誕生という幸せなはずの出来事の後に訪れる夫婦の危機(産後クライス)の原因とそれへの対処法を書いた本である。これから出産を迎える方、育児中の方の必読書といってよい本です(大袈裟でなく、ほんとに)。

 

作戦成功ですね(笑)。これからは気持ちがいっぱいいっぱいになっても、突然思い立って一人で海外逃亡するとうわけにはいきませんから、いっぱいいっぱいにならないようにすることが肝心です。メンタルはタフのようですが、それを過信しないで、日頃からストレスの低減・解消の工夫をお忘れなく。4月からの新生活になれた頃にまたカフェでもいたしましょう。今度は惟平君も一緒でしょうか。

りんかい線に乗って帰る彼女とは大井町駅で別れた。

夕食はポースソテー、ひじきと大豆の煮物、味噌汁、ご飯(ご飯と味噌汁の位置が逆ではないか)。 

ポークソテーの付け合せはスナップエンドウとエノキ茸のソテー、トマト。 

 川副さんからお土産にいただいたお煎餅(地元のお煎餅屋さんのもの)をお茶受けにいただく。 

卒業生で画家の櫻井あすみさんから本をいただいた。

 小松佳代子『美術教育の可能性ー作品制作と芸術的省察』(勁草書房)

 あすみさんは東京芸大の大学院で美術教育の勉強と創作をされていたが、本書には彼女の修士論文を加筆修正した「贈与としての美術・ABR」という論考が収められている。*ABRとは、Arts-Based Research(芸術に基づくる研究、芸術的省察による研究)の略である。 

併せて個展のご案内もいただいた。

櫻井あすみ展「虚像とアクチュアリティ」

 会期と時間:4月6日~29日(ただい金土日のみ)12:00-19:00

 会場:TS4312(丸の内線四谷三丁目駅17番出口から徒歩1分、セブンイレブンの隣のサワノボリビル9F)

初日(6日)のお昼に行けたらと思います。

2時、就寝。


3月13日(火) 晴れ

2018-03-15 12:51:53 | Weblog

8時、起床。

チャーハン、サラダ、紅茶の昼食。

大学に出る前に「マーボ屋」で昼食をとる。

先日、初めて食べて美味しかった豚肉と卵と木耳のオイスターソース炒め(つまり木耳肉=ムース―ローのこと)を注文。

うん、やっぱり美味しい。

地下鉄の駅を出て、キャンパスに向かう途中、「あゆみブックス」の前に行列が出来ている。なんだろう?

これでした。早大生にはお馴染み『マイルストーン』。授業の難易度や評判か書かれている。昔、『ワセクラ』というというのがあったが(もしかしてまだあるのか?)、ゴシップや辛辣な評価が満載で、あれはあれで読み物としては面白かった。 

教員ロビーにあれこれのものが届いていた。

学園誌『Shinsho(新鐘)』。今回の特集は「家族」。

私が学部や大学院のセミ生数人とやった座談会も載っている。

人間科学部の助手の本多真隆さんから新著(博士論文がもとになっている)をお送りいただいた。

 本多真隆『家族情緒の歴史社会学』(晃洋書房)

ありがとうございます。

論系の同僚で今年度末をもって退職される増山均先生の古希記念論集を頂戴した。

 増山均『アニマシオンと日本の子育て・教育・文化』(本の泉社)

添えられえていたお手紙に、先生が2001年に早稲田大学に赴任されてからの日々のことが回想されていたが、その時期は私が二文の教務主任(学担)や現代人間論系の準備委員、運営主任、文化構想学部の教務主任(教担)をしていた日々と重なり、感慨深いものがあった。

4月から現代人間論系の専任になられる阿比留久美さんからも御本をいただいた。

 弘前大学学生・教員研究会らぶちるLove for Children(編集代表:深作拓郎・岸本麻依)
 『大学生が本気で考える子どもの放課後―弘前大学生の地域参加とプレイワーク実践』(学文社) 

ありがとうございます。

早稲田社会学会の機関誌『社会学年誌』の最新号(59号)。 

学文社に注文しておいた『変容する社会と社会学』(重版)10冊も届いていた。

キャンパスの桜は卒業式(26日)前に開花しそうである。

いまは閑散としたキャンパスだが、もうすぐ学生たちが戻ってくる。

新記念会堂(早稲田アリーナ)の工事も着々と進んでいる。写真からはそのように見えないかもしれないが、本体部分は地下に造られているのである。見えているのは屋上部分で、いずれ盛り土がされ、「戸山の丘」となる。

 

ゼミ論集の版下原稿を業者(協友印刷)に渡す。表紙の色は桜色(ピンク)に決定。

蒲田に戻ったのは街に灯が灯る頃。春宵という言葉を使ってもいい気候だ。

夕食はカレーライス。

妻はポトフを作るつもりだったらしいが、「ポトフを食べるには暖かい」ということで、カレーに変更になった。材料はそんなに変わらない。

デザートは私が東急駅ビルの「林フルーツ」で買ってきたあまおう。甘い!

「林フルーツ」の向かいにある「メリーチョコレート」で妻にホワイトデーのプレゼントを買ってきた。

宙太さん(元「SKIPA」店主)が近々湘南の方へ引っ越してそこで就職するというので、急遽、今度の土曜日に蒲田で会うことになった。「男同士カフェ2」である。

友人のKに連絡をとってみたら、体調もゆっくりとではあるが順調に回復している様子だったので、4月末に久しぶりに茅野の彼の別荘「和楽亭」を訪問する約束をした。

 春服や会いたき人に会いにゆく たかじ

2時、就寝。 


3月12日(月) 晴れ

2018-03-14 21:47:39 | Weblog

8時、起床。

晴天だ。今週は晴天週間らしい。

トースト(+甘夏とレモンとラムのコンフィチュール)、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

庭の彼岸桜の蕾がいよいよ膨らんできた。でも、普通のソメイヨシノの開花が今年は早そうなので、それほど先行感はないかもしれない。

昼食は「マーボ屋」に食べに行く。

よくマスターが食べているものを注文した。

青椒肉絲やきそば。

青椒肉絲を焼きそばに掛けたものだが、単品で注文するときの青椒肉絲と同じではない。

あんかけになっているのだ。

「マーボ屋」の麺は上品な細麺だ。

デザートの杏仁豆腐はサービス。

銀行にお金を引き下ろしに行く。ゼミ論集の製本・印刷代だ。学生から徴収するが、一時的に私が立て替えておく必要がある。明日業者と会って話を詰めるが、15万あれば足りるだろう。

帰りにコンビニに寄ったときに雑誌を2冊購入。

『OZmagazine TRIP 春の電車旅』

房総半島を横断する小湊鉄道+いずみ鉄道の旅なんかいいなあ。

『OZmagazine 横浜さんぽ』

 鎌倉はときどき行くが、横浜はずいぶんと行っていない。海街と港街の違いかもしれない。

夕方、「phono kafe」にちょっと顔を出す。 

ケーキセットを注文。

アプリコットと胡桃のケーキ、あずき茶。

「phono kafe」が今秋で閉店するということをみんなが知ってか、最近は大原さんとおしゃべりをしたいお客がさんが増えたそうだ。みんな名残惜しいのだ。9月末までの営業ということに本決まりらしい。あと6か月か。カウントダウン感覚が出て来ましたね。

今日、「カフェ・スリック」の神田さんが、3月21日から(25日まで)の展示会「いきものばかり」のDMを置かせてくださいと挨拶に来たそうだ。すでにブログでは一度紹介したが、もう一度。

夕食はサーモンのソテー ホワイトソース掛け、明太子、玉ねぎの味噌汁、ご飯。

付け合せはアスパラとエリンギのソテー。

デザートはいただきものの桜のカステラ。

明日、ゼミ論集の版下データを業者に渡す。いつもであれば表紙から奥付まで全部のページ(316ページある)をプリントアウトして渡すのであるが、今回は電子ファイルで渡す。一つのファイルにはできないので、ファイルに通し番号を付ける。それと問題は表紙の色である。これまで毎年色を変えてきたが、だんだん色選びが難しくなっている。今回はどうしよう。桜色(ピンクとも言う)にしようかしら。

ファイルの最終点検をしていたら深夜になってしまった。

3時、就寝。 


3月11日(日) 晴れ(完成版)

2018-03-13 12:06:30 | Weblog

8時、起床。

トースト、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。今日はハム多め。

今日は二月に一度の句会の日。11時に家を出る。大手町で東西線に乗りかえるとき、これまでの習慣で、最後尾の車両に乗ろうとして、場所が神楽坂の「SKIPA」(年末で閉店)から「カフェゴト―」に替わったことに思い至る。大学に行くときのように前の方の車輛に乗る。

12時からの句会に12時に到着。すでに私以外の出席者は全員お揃いだった。

本日の出席者は、八木さん、明子さん、紀本さん(主宰)、あゆみさん、萬笑さん、たかじ(私)の6名。窓際の大きなテーブルを予約しておいた。ここは句会にもってこいの場所だ。

各自の投句をまとめた紙が紀本さんから配られる。投句のみの参加者が今回は3名おり(蚕豆さん、恵美子さん、花さん)、俳句の数は9名×3句=27句。通常は選句は、天(5点)、地(3点)、人(1点)が各1句なのだが、今回は作品が多いからということで、天1句、地2句、人2句としたいと説明があった。

紀本さんが各句を二度ずつ読み上げる。静かなカフェの空間にその声が響く。

そして選句の開始。

私は次の句を選んだ。

 天 青い空弾けるあぶく梅の花

 地 窓あればひとつずついて春の月

 地 気配して振り向く先に雛の段

 人 寝間着て転がっている桜餅

 人 研ぎ澄ます三半規管衾雪(ふすまゆき)

全員の選句が終ったところで、一人ずつ(紀本さんの左隣のあゆみさんから右回りで)自分が選んだ5句を披露していく。 

入選句は以下の通り(作者名は講評の後に明らかにされる)。今回は票が分散した。特選でも8点で、それが3句あった。分散した理由は粒ぞろいで頭抜けた作品がなかったという理由のほかに、今回は投句だけの人が3人と多く、作品が多い割に選ぶ人が少ないというアンバランスの問題もあると思う(これについては紀本さんが当日参加できない人もラインを使って遠隔参加できるやり方を考えてみたいとのことだった)。

8点 窓あればひとつずついて春の月 あゆみ

 萬笑さんが天、私が地を付けた。「田ごとの月」というのがあるが、これは「窓ごとの月」である。「ひとつずついて」(「ひとつづつあり」ではなく)と月を擬人化することで、春の月が窓から人びとの生活を見つめているような情景を詠んでいる。春の夜のファンタジックな句である。

8点 さりさりと鉛筆尖らす春の夜 明子

 八木さんが天、あゆみさんが地を付けた。今回の兼題は「音の響きのある言葉を入れる」だった。特選句3作品のうち2作品が兼題の句だった。鉛筆を削る音はふつう何と表現するだろう。「さりさり」は独特の表現だ。そして鉛筆を「尖らす」という表現はどこかしら怖いものを感じさせる。春の夜のホラーかもしれない。

8点 春の猫ミャオン彼方のアオンかな 萬笑

 明子さんが天、紀本さんが地を付けた。「ミャオン」が猫の声であることはわかるが、「アオン」は何だろうとみな思ったはずである。作者の説明ではこれも猫の声で、遠くから聞こえてくる声は「アオン」と聞こえるのだという。そういわれるとそういう気もしてくる。今回、萬笑さんは「空間の奥行き」(遠近)ということを意識して句を詠んだとのこと。『プレバト』で人気の夏井いつきさんの本で勉強したそうだ。

7点 気配して振り向く先に雛の段 八木

 私と萬笑さんが地、あゆみさんが人を付けた。人形に生気が感じられるというのはよくあることである。そのちょっと不気味な「あるある」感を詠んだ句である。ちなみに前回から句会に参加した八木さんにはまだ俳号がない。冗談で「山羊さん」にしたらどうかと私が言ったら、真面目な八木さんは「それはちょっと・・・」と答えた。「メエ~」と答えてほしかった(特待生レベル)。

6点 寝間着て転がっている桜餅 明子

 紀本さんが天、私が人を付けた。「いる」という動詞は終止形と連体形が同じである。なので「いる」の後に名詞(桜餅)が来ると「転がっている桜餅」とも読める。これは明子さんが得意とする技法で、転がっているのが省略された主語(私=作者)のようでもあり(そばの桜餅が目に入っている)、桜餅のようでもある(葉を寝間着=バスタオルに見立てている)という二重性が句の面白みになっている。

6点 青い空弾けるあぶく梅の花 花

 私が天、明子さんが人を付けた。一見、小学生の作った句のようにも見えるが、青空(水面のようでもある)を背景にして咲き誇る梅の花を「弾けるあぶく」と表現したところは鋭い。私は近所の梅園でよく梅を見ているので、この的確な表現に感じ入った。桜ではなく梅だからこその句である。

5点 お花見みたいにさいごの晩餐 紀本直美

 あゆみさんが天を付けた。「最後の晩餐」と表記しなかったのはあのダ・ビンチの名画を連想して「死の前夜の食事会」となるのを避けるためだったと説明があった。つまり送別会みたいな賑やかなものを想定しているということだ。ただ、私は「最後の晩餐」でもよかったんじゃないかと思う。葬式のお通夜や初七日の法要でも「故人は賑やかなのが好きな人だったから、しめっぽくならないでいきましょう」とかよく言いますよね。

4点 空港で雪の小箱が待っていた 蚕豆

 明子さんが地、紀本さんが人を付けた。蚕豆さんはいま旭川に住んでいる。空港は旭川空港だろう。「雪の小箱」とは何だろう。なんだかファンタジックだ。萬笑さんは「上空からみた空港の建物」ではないかと独創的な意見を述べた。私は「指輪の入った小箱」ではないかと言った。つまり空港に到着した女性に彼氏がプロポースをするのだ。「そんなベタな」と女性たちは言った。紀本さんが蚕豆さんにラインで問い合わせたら、「指輪の入った小箱」だった。男ってロマンチックなんですよ。 

3点 雨水から深き眠りの日を重ね 蚕豆

 八木さんが地を付けた。雨水(うすい)とは二十四気の1つ。雪が雨に変る頃(2月19日頃)である。だんだん春眠暁を覚えずになって行くわけです。

3点 LINEありまた明日ねと卒業式 花

 明子さんが人を付けた。「ああ、この感じ。この季節ならではです」ととても感情移入をされながら言ったからみんな思わず笑った。乙女の気持ちを持ち続けているのだろう。

3点 屋上に宣言一つ春の風 明子

 あゆみさんが地を付けた。春は決意のときなのだろう。「私もいろいろ決意をしたので、この句は私の気持ちにピッタリです」と明子さんがいったので、またみんな笑った。この「春の風」を春一番と解釈すれば、「宣言」とは「今日、関東に春一番が吹きました」という気象庁の発表になる。

3点 振り向けど赤い椿の落つるだけ 恵美子

 萬笑さんが地を付けた。河東碧梧桐の代表作「赤い椿白い椿と落ちにけり」を想起させる。椿は大きな花だから、落ちるときに音が聞こえる(ような気がする)のだろう。「振り向けど」はやや甘いか。

3点 シャタンバタン錆びたスタンド跳ねる春 あゆみ

 紀本さんが地を付けた。「スタンド」って何とみんな思ったが(まさか「ジョジョの不思議な冒険」じゃないよね)、「自転車を止めるときのスタンドです」という作者の説明に「あっ、そうか」と一堂納得。普段から自転車を使っている人ならすぐにわかったはずである(作者の夫はすぐに理解してくれたそうだ)。

2点 そわそわとふゆみずたんぼに舞う鳥よ 蚕豆

 八木さんと紀本さんが人をつけた。「ふゆみずたんぼ」(冬水田圃)という言葉には私も惹かれたが、「そわそわと」と「舞う」という言葉の組み合わせがしっくりこなかったので、採らなかった。「そわそわと」だと田圃に降りて歩き回っている感じがする。

1点 パカプシュとビール枝豆春の夜 花

 萬笑さんが人を付けた。「ビール」は夏の季語、「枝豆」は秋の季語、そして「春の夜」。これは酔っ払いの句ですね。

1点 クツクツと雪踏む朝の空は青 八木

 萬笑さんが人を付けた。「クツクツが靴と靴音をかけておやじギャグみたい」と評した。「私じゃありませんからね」と私が言うと、「私の句です」と八木さんが手をあげた。「青い空」ではなく「空は青」としたところをもっと評価してもいいでしょう。

1点 さくらさくぷううふくらむふうせんがむ 恵美子

 八木さんが人を付けた。みんなこの句が紀本流の模倣だとわかっているが、八木さんはまだわかっていないようで、素直に人を付けられた。みんながすれっからしなんです。

1点 弟の結婚式は暖かだ 紀本直美

 明子さんが人を付けた。俳句の形式(5・7・5)をとった散文ですけどね。

1点 研ぎ澄ます三半規管衾雪 萬笑

 私が人を付けた。てっきり蚕豆さんの句かと思ったら、萬笑さんの句だったので驚いた。「衾雪」(ふすまゆき)というのは「布団を敷いたような一面の雪」のこと。みんな知らないし、そもそも読めないでしょう(要ふりがな)。シーンとした静寂。

1点 三月の山三月の雨が降る たかじ 

 あゆみさんが人を付けた。これで私はかろうじて坊主を免れた。先日の松本旅行は二日目は雨だった。三月の山に三月の雨が降るのは当たり前だが、その雨は三月ならではのものである。リフレインの効果も狙った。「三月の街三月の風が吹く」というのも考えた。いろいろと作れそうである。特許申請しようかしら。

入選句の数が多かったので、一句一句の講評時間は短い。本来は、その句を選んだ人の意見ばかりでなく、選ばなかった人の意見ももっと聞きたいところである。前者中心になるのはよいとしても(みんなほめられて伸びるタイプである)、それだけではほめあいになってしまう。批評精神も大切だ。このへんの兼ね合いは難しいところである。

次回の句会は5月13日(日)。兼題は「日」(明子さんの出題)。

場所を替えて食事会は馬場下の交差点にある老舗の蕎麦屋「三朝庵」で。日曜日に営業してくれているのはありがたい。

テーブルの数は多く、時間もランチタイムをちょと外しているので、すんなり座れる。

入り口脇の帳場に女将さんがいて、そこで食券を買うシステム。天ぷら蕎麦(萬笑さん)、かしわ南蛮蕎麦(八木さん)、あんかけ蕎麦(たかじ)、もり(紀本さん)。

私の注文したあんかけ蕎麦を見て、みな「それは何ですか?」と聞いてきた。珍しいのだろう。実際、帳場の女将さんも「お珍しい」と言った。私がこれを注文するのが「お珍しい」のではなく(私は「三朝庵」に来るようになったのはごく最近だ)、あんかけ蕎麦を注文する客が「お珍しい」のだろう。私には東京の老舗の蕎麦屋のかけ汁は辛い(濃い)ことが多いのだが、こうやってあん(とろみ)かけにするとまろやかな味になって美味しいのだ。具から判断するにおかめ蕎麦のあんかけですね。

喫茶店での句会からの蕎麦屋での昼食。いい流れでした。

蒲田に着いてから「ちよさ鮨」で巻物と稲荷を買って帰る。蕎麦だけでは夕食まで待てない気がしたからだが、松本の「ガルガ」で購入した小池千恵さんの長皿を早く使って見たかったというのもある。

午後6時になろうとしている西の空。ずいぶんと日が長くなった。

 夕食はジンギスカン(風)焼肉、豆腐と梅肉とオクラ、かき玉汁、ご飯。

2時、就寝。