フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月25日(水) 晴れ

2018-12-27 12:32:20 | Weblog

8時半、起床。

パン(「パン日和あをや」のクリスマスディナーで食べきれなかったのを持ち帰った)、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

 カフェ仲間のSさんから「グッディ」が年内で閉店すると教えていただいた。

 店の外にそれらしい告知の貼紙などはないが、本当だろうか?

私はこの店にはときどき来るが、馴染みの店(馴染みの客)というほどの頻度ではない。だから知らなくても不思議ではないのだが。

 「昭和の喫茶店」である。実際に30年以上前に開業されたのかどうかは知らないが、店内の雰囲気は明らかに「昭和の喫茶店」である。マスターご夫婦は年配の方だが、高齢を理由に閉店されるほどではない。やはり、例の条例(2020年までに都内の飲食店は全面禁煙)が作用しているのだろうか。ここに来る客の多くは喫煙者だ。全面禁煙にすれば長年の馴染み客の一部(小さくない一部)を失うことになるだろう。代わりに全面禁煙を歓迎する新たな客が増えるかもしれないが、そういう損得計算だけで個人経営のカフェは営まれているわけではない。マスター、マダム、常連客、そしてその周辺に私のようなたまに来る客、さらにその外側にたまたまその日初めて来た客、そういう同心円構造で個人経営のカフェは成り立っている。それが地域社会の中で「サードプレイス」(インフォーマルな公共の場所)として根付いている。その長年の構造を変えてまで店を続けることの意味はないと閉店に踏み切るカフェが最近増えている。蒲田で言えば、「カフェドコバ」がそうであるし、「グッディ」もそうなのかもしれない。

本日のランチセットからスパゲッティ・ミートソースを注文する。 

常連客とおぼしき2人の年配の女性がマスター夫婦と話をしている。やはり年内閉店は本当のことらしい。

食後のコーヒー。この店で飲む最後のコーヒーである。 

グッバイ、「グッディ」。

昨日に続いて「ノザワBAKE」に顔を出す。

 昨日は強風で出ていなかった看板や立看が今日は外に出ている。 

シュトレーンが出たいたので、それとコーヒーを注文。 

カフェでシュトレーンをメニューに出す店はそんなに多くはないだろう。最初、クリスマス用に一本2000円で店に並べるつもりだったそうだが、それでは買ってもらえないだろうと思い直し、「カットして出すことにしました」とノザワさんは言った。 

 帰宅すると野良猫のナツが一階のテラスにやってきた。腹が減っているらしいが、室内には入って来ない。野良猫のプライドか、今年は我慢しているようだ。しかし、これからさらに寒くなるそうだから、いつまでやせ我慢が続くだろうか。

エサを待ちながら(私がエサをくれるだろうことは信じて疑わないようである)、背後を気にしてときどき振りむいている。

 室内で食べれば他のネコを警戒する必要はないものを。

夕食は豚シャブ。 

安い、簡単、旨い。 

 食後に「ノザワBAKE」で買ってきたシュトレーンとネーブルのパウンドケーキは妻と分けて食べる。

さて、年賀状だ。今年はこのフィギュアを写真に撮って使う。 

葉書の上半分を図柄にして、下半分に俳句と文章を書く。このパターンはずっと続いている。違うのは、ある時期までは歳時記などからもってきた誰かが作った俳句を使っていたが、最近は自作の句を使っていることである。

昔、プリントごっこで年賀状を作成してときは、図柄が乾くのに時間がかかったが、いまは年賀状ソフトとレーザープリンターで短時間で作成できる。印刷した賀状に直筆の添え書きをして、深夜に完成。

近所のポストに投函。

 飛んで行けみんなの元へ年賀状 たかじ

2時半、就寝。


12月24日(月) 晴れ

2018-12-26 12:13:35 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、牛乳、紅茶の朝食。

今日は午前中に年末の墓参り。自宅の近くの花屋で仏花を買って、駅へ向かう。 お寺へのお歳暮はチョコレートの詰め合わせにした。店員さんに「クリスマスの包装にいたしますか?」と聞かれたので、「お寺さんにさしあげるので普通の包装にして下さい」と答える。

鶯谷駅前の陸橋。 晴れてはいるが、風が冷たい。

言問通りの先にスカイツリー。 

今日の墓参りは妹と二人。  

 お参りをすませ、昼食は「かわしま」で蕎麦を食べようと思ったら満席で、入谷の駅(日比谷線)の近くの蕎麦屋「寿々喜」に入る。

 鍋焼きうどんを注文。

 卵のとろりとした黄身にうどんを絡めて食べるのが旨いのだ。

妹はアサリ丼付のもりそば。 

 蒲田に戻ってくる。

久しぶりに「ノザワBAKE」に顔を出す。12月は週末に予定が立て込んでいたため全然顔を出せなかったのだ。 看板が出ていないので、一瞬、休みかと思ったが、風が強いのでひっこめているとのこと。

 ちょっとだけクリスマス気分の店内。でも、クリスマス用のケーキとかは販売していない。

コーヒーをハンドドリップで淹れていただく。(マシーンもあるが、お手すきのときはこちらの方がよい)

レモンのパウンドケーキと一緒にいただく。 

ジャーマンビスケットをサービスでいただく。 

お隣のスペイン料理の店「パパノエル」のマスターが顔を出した。営業は夕方からで、準備の合間によく顔を出されるらしい。ノザワさんも仕事終わりに「パパノエル」で食事を することを楽しみにしている。

この後にやってきたご夫婦の女性が社交的な方で、ノザワさんや私とおしゃべりをした。早稲田大学の教育学部のご出身で、フリーランスのライターをされているそうだ。いろいろなテーマで(注文主の需要に応じて)記事を書いておられるが、飲食店の紹介記事もよく書かれるそうだ。お店に足を運ばないでネット情報だけで記事を書くライターもいるそうだが、彼女は必ず店に足を運んで、自分の目と耳と舌で経験したことしか書かないことをモットーにしているとのこと。あたりまえのことのようだが、それをやていると足が出る(原稿料が安いため)こともよくあるそうである。たくさんの飲食店を回って気づいた「流行る店の法則」のようなものがあるそうで(たとえば、トイレがきれいなこと)、メニューでいえば、「カレー」と「ホットドッグ」があるといいですよと、ノザワさんに勧めていた。「スキッパ」にはどちらもあったなと思いながら、私はその話を聞いていた。

夕方から妻と「パン日和あをや」に出かける。クリスマスティナーを食べるためである。 

 食前に妻はアルコールを注文したので、私もノンアルコールのスパークリングワインのようなものを注文。

カラフルサラダ。 

生ハムとソーセージの盛り合わせ。

ミニスープ。

パンの盛り合わせ。(とにかくパンが美味しいので、追加してもらって、いつもメイン料理に行く前にお腹がよくなる) 

カマンベールディップ。 

手羽元の白ワイン煮。 

リンゴの赤ワイン煮 クリーム添え。 

ドリンクは紅茶をチョイス。 

隣りのテーブルにいらした妻と同年配の女性客とマダム・ご主人との話が弾んだので、クリームココア(今月のドリンク)を追加で注文。

「パン日和あをや」には2時間ほど滞在した。今年も美味しかったです。ごちそうさまでした。 

8時半、帰宅。

「ノザワBAKE」でお土産に買ったレモンピールのビスケットを食べる。 

「獣の仕業」の芝居の感想をブログにアップする。

2時、就寝。


12月23日(日) 曇り、一時小雨

2018-12-25 01:58:57 | Weblog

8時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

お昼に家を出て、妻と吉祥寺へ。

2時から劇団「獣の仕業」の公演が「櫂スタジオ」である。

第13回公演「THE BEAST」。劇団創設10周年ということで、劇団名から取ったタイトルの芝居である。

開演の20分ほど前に劇場に入ると、いつものように役者たちはすべに舞台の上にいて、ウォーミングアップのようなパファーマンをしている(上演中ではないのでカメラはOKとのこと)。

平田オリザによると、演劇は3種類の対話を内包している。第一に、舞台上での登場人物同士の対話。第二に、劇団内における(稽古を通しての)作家、演出家、役者相互の対話。第三に、劇場における表現する側とそれを観る側の対話である(平田オリザ『演劇入門』1998)。彼がその本を書いた20年前は、SNSはまだ普及していなかったから、いまならば第四に、芝居の後に後にネット空間で交わされる対話を加えるべきだろう。今回の公演『THE BEAST』は第二の対話、すなわち劇団内における作家、演出家、役者相互の対話を主要なモチーフにしている。通常の公演では、一番表に出ない、観客には聞こえてこない舞台裏の対話である。それを今回、表舞台上に持ち出したのだ。ある意味、内輪ネタであり、自己言及的な危うさ(「クレタ人はみんな嘘つきだ」と一人のクレタ人が言った、みたいな)の漂うテーマである。

劇団「獣の仕業」は同じ大学の演劇部のメンバーを中心にして(彼らの卒業直後に)発足し、公演ごとに客演のメンバーを得て、今日まで芝居を続けてきた。発足時20代前半であった中心メンバーはいま30代前半であるが、この10年間で舞台を去った(劇団を離れた)者もいる。私は全13公演すべてを観て来たので、メンバーの出入りについてはわかっているが、個々の事情については知らない。しかし、学生の頃とは違い、社会人となった彼らが、職業生活や家庭生活と演劇活動を両立或いは鼎立させていくことは簡単ではあるまいということは簡単に想像がつく。彼らにとって演劇を続けること、演劇人でありつづけることの意味は何なのか。それを自ら問おうとしたのが、今回の芝居である。

ストーリーはSF的である。「かつて地球に多く生息していた“エンゲキジン”という動物が滅びようとしていた。あるものは子供ができたため、あるものは演劇で食っていけず、あるものは・・・・そして千年後。とうとう地球上のエンゲキジンはある男ひとりになってしまった。男はかつて十年続いたある劇団のメンバーだったが、昔の仲間との思い出を忘れることができずに、滅んだ仲間を泥で作り稽古を繰り返していた。そんな彼の元にひとりの女がやってくる。女は言う。「私の名はシュジンコウ。月からやってきた“カンキャク”最後の生き残りです」 千年の時を越え、エンゲキジンとカンキャクが出会う。そして再び演劇が始まる―」(本公演のチラシより転載)

最後のエンゲキジンと最後のカンキャクとの間でこんな会話が交わされる場面がある。

 最後のカンキャク「エンゲキジンは死んだらどうなるの。」

 最後のエンゲキジン「シャカイジンという動物に変わる。」

 最後のカンキャク「シャカイジン? 死んだわけではないの。」

 最後のエンギジン「いいじゃないか、泥も結構いいもんだよ。」

私は思わず吹き出しそうになった。しかし、グッとこらえた。もし笑えば、それは自らに返ってきて、自嘲的な笑いになるからだ。私は泥人形の一体かもしれないのだ。

 

論理的に考えれば、ほとんどのエンゲキジンは同時にシャカイジンでもある。日常用語で社会人とは労働市場(社会)に出て自らの生活の糧を得ている人のことである。実際、獣の仕業のメンバーも定職にしろアルバイトにしろ職業生活を送りなら劇団員としての活動を続けてきた。ここでいう「エンゲキジンが死ぬとシャカイジンになる」というのは、演劇活動が生活(人生)の中心から消失することを意味する。演劇活動の消失は、エンゲキジンにとって心臓の鼓動の停止であり、ただのシャカイジン(=泥人形)になることである、と。ここには「演劇」というものに至高の価値を置く少々高慢な考え方がある。おそらくエンゲキジンたちもそのことは自覚しているだろう。しかし、「演劇」をオンガクジンにとっての「音楽」、エカキジンにとっての「絵画」、ガクモンジンにとっての「研究」などと等価なものであると考えるならば、「エンゲキジンが死ぬとシャイジンになる」という表現は、それほど突飛なものとはいえなくなる。ただし、「演劇」がいま挙げた他の至高の価値に比べて、「金にならない」という点と「一人ではできない」という点でより際立っているということは忘れてはなるまい。「金にならない」ことに時間とエネルギーを注ぐことは反資本主義的であり、「一人ではできない」ことに時間とエネルギーを注ぐことは反個人主義的である。つまり現代社会のあり方への批判的スタンスがここにはある。だからこそエンゲキジンであることを止めることは、一種の「転向」、社会体制への屈服であるように感じられるのだろう。

ここで社会学的な視点を導入すると、「演劇」はエンゲキジンだけのものではない。泥人形であるただのシャカイジンも日々の生活の中で「演劇」を続けている。家庭という舞台、学校という舞台、職場という舞台、電車内という舞台、カフェという舞台・・・ただのシャカイジンもさまざまな舞台を掛け持ちしながら、日々、「演劇」を続けている。ある舞台では主人公として、ある舞台では脇役として、ある舞台ではエキストラとして、というのは正確な言い方ではなく、それらを通して、その人が主人公であるような「私の生活(人生)」という「演劇」をしているのだ。エンゲキジンは、「私の生活(人生)」というリアルな(そして無自覚な)「演劇」の中で、劇中劇のように、フィクションとしての(自覚的な)「演劇」をしているわけである。

リアルな「演劇」には不純物が多く含まれる。つまらない台詞、くだらないストーリー。そして純粋な観客の不在。そこでは役者はすべて同時に観客であり、純粋な観客というものはいない。誰もが自分の演技に夢中で、他者の演技をちゃんと観ていない。しかし、フィクションとしての「演劇」には洗練された台詞、練られたストーリー、そして純粋な観客が存在する。リアルな「演劇」からはめったに得られないエクスタシーをフィクションとしての「演劇」はもたらしてくれる。それが「演劇」の魅力であり、魔力である。

このことはわれわれがなぜ「演劇」を観るのかの説明にもなっている。われわれは不純物の多いリアルな「演劇」の主人公であるが、フィクションとしての「演劇」の観客となることで、エンゲキジンとエクスタシーを分かち合っているのだ(その取り分はエンゲキジンよりも少ないものであるけれども)。本日の公演時間は85分。いつものように純度の高い時間と空間であった。 フィクションとしての「演劇」はリアルな「演劇」の世界とは明確に時間と空間によって仕切られている。私たちはそこに入り込み、そしてそこらか出て来る。そしてリアルな「演劇」の世界に戻って行く。その前後で、リアルな「演劇」の世界は少しばかり違ったものになっているはずである。なぜなら、フィクションとしての「演劇」はリアルな「演劇」の外側にあるわけではなく、実は、リアルな「演劇」の内部にあるからである。劇中劇というのはそういう意味である。フィクションとしての「演劇」にはリアルな「演劇」の世界をその内部から活性化する作用がある。

手塚優希はますます演技の幅を広げている。

小林龍二は、その初期を知っている観客からすると、予想もできなかったほどの演技力を身に付けた。

雑賀玲衣はいつも輝いている。

きえるの役への没入の仕方には息を飲むものがある。

客演の二人、松本真菜美と松村瀬里香は、私は初めて観る役者であったが、松本は小生意気なエンゲキジンを、松村は「たまたま」のエンゲキジンを、獣のテイストで演じ切っていた。

メリハリの効いた照明(寺田香織)と音響(新直人)はシンプルな舞台に広がりと奥行きを与えていた。

脚本と演出の立夏は、今回の芝居で10年間のエンゲキジン生活で溜まったおりのようなものを吐きだして(間接話法によってだが)、次の10年(未定だが)に向かって歩みを進めていくだろう。

お疲れ様。次回作も楽しみにしています。

駅に戻る途中にあるレストランカフェ「ハティフナット」で食事をする。

「櫂スタジオ」に来たときはいつもここに立ち寄っている。

 

私は茄子のカレードリア(正確な名前ではないと思います)。

妻はミートドリア(同じく)。

トマトとモッツァレラチーズのサラダ。

タコのマリネ。

食後のドリンクは、私はクリームソーダ(イチゴ)。妻はロイヤルミルクティー(お酒入り)。

店を出るともう日が暮れていた。

夕食としては早い時間だったので、蒲田に着いてから駅の構内の弁当屋で、マイセンのカツサンドを買って帰る。

 

エンゲキジンは差し入れを糧に生きていて、マイセンのカツサンドはその定番らしい。

2時、就寝。


12月22日(土) 小雨のち曇り

2018-12-23 11:53:58 | Weblog

7時半、起床。

サラダ(りんご)、牛乳、紅茶の朝食。昨夜はゼミの懇親会で食べ過ぎた。トーストは抜く。

妻が昼食を「ヒトナミ」に食べに行こうかと言った。年末年始は何かと食べ過ぎになるので、健康的な食事を意識的にとりたいといことだろう。同意。12時の予約を電話でしてから、12時15分前に家を出る。途中の郵便局で妻は年賀状を投函した。私はまだ書いていない。

ぴたり12時に到着。店先に何か出ている。

無農薬野菜セット(500円)。1つ購入。

メイン料理は今日は3種類。スイーツにバナナケーキのほかにカボチャのプリンが加わっている。「がんばりました」とクドウさんが言った。(でも、私は今日はプリンは食べられないのです)

私は鰤の塩焼きをメインにそうざい3品、霧島鶏の豆乳クリームソースをメインに惣菜二品を注文した。

妻は霧島鶏のクリームソース、スペイン風オムレツ、冬瓜とキノコと桜エビの煮物。

私は鰤の塩焼き、

冬瓜とキノコと桜エビの煮物、

小松菜と菊芋と人参の胡麻炒め、

蒸し野菜の味噌ドレッシング。

いったん帰宅して、1時間ほどしてから「まやんち」へ行く。クリスマスケーキと紅茶をここでいただこうというわけである。

内乱工事が終わった内覧会のときに予約をしておいたのだ。紅茶はダージリンとアッサムの2種から選ぶ。私はダージリン、妻はアッサムをチョイス。

「まやんち」のクリスマスケーキはキャラメルクリームのブッシュドノエル。少しビターな大人のクリスマスケーキである。

「まやんち」を出て、その足で私は大学へ。今日は冬至。戸山キャンパスの向かいの穴八幡神社はこの日が一番混雑する。「一陽来復」のお守りが今日から売り出されるからだ。私も自分の家の分と親戚の分を買い求めるのだが、夜になって、混雑が緩和されてからだ。

 

4時に卒業生のメグミさん(論系ゼミ5期生)が研究室にやってきた。3月の結婚式の案内状をもってきてくれたのだ。7月、10月、そして今日。会うたびにスリムになっているが、たんにダイエットで痩せているのではなく、ボクシングのエクササイズでやっているから、身体が引き締まって行く感じですね。

入籍はすでに11月22日(いい夫婦の日)に済ませている。この指輪は婚約指輪だと思うが、結婚指輪は3月の挙式のときに交換するのだろう。

写真の前撮りはすでに済ませたそうだが、数百枚も撮って、気に入った写真は数枚しかなかったそうだ。「私、うまく笑えないんです」とメグミさん。自分では笑っているつもりなのに、写真を見るとあまり笑っていないのだという。スナップ写真であれば、無理に笑う必要はないというのが私の持論であるが、結婚式用の写真とあればそういうわけにもいくまい。

わかりました。笑顔いっぱいの写真を撮りましょう。カメラの液晶画面を反転させて、自分がどう映っているかを見られるようにして、セルフタイマーで写真を撮る。これで自分の笑顔を確認できる。さらに動作(一瞬のピース)を加えることで動作と笑顔を連動させる。顔の筋肉だでなく体全身も使って笑顔を作るわけだ。

そうやって撮った写真がこれ。いい笑顔です。

私も彼女と同じダブルピースで。

彼女をキャンパスの門のところまで送る。 

次に会うのは挙式のときですね。どうぞよいお年を!飛躍の年でありますように!

混雑も大分緩和されてきたので、穴八幡神社へ。あっさりとお守りは購入できた。

7時過ぎに帰宅。

夕食はにしん蕎麦、蕪と挽肉の煮物。

蕪は今日「ヒトナミ」で購入したもの。まろやかな甘さです。

食後にメグミさんからいただいたチョコレート(新婚旅行のお土産)を食べる。

真夜中、「一陽来復」のお守りを指定の場所に貼る。場所は毎年変わる。今年は「とらう」の方角に向けて、「さるとり」の方角の壁に貼るのだ。

 2時、就寝。


12月21日(金) 晴れ

2018-12-22 13:47:48 | Weblog

8時半、起床。

ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。昨日、夜食(鯛焼き&牛乳)をとってしまったので、今朝はトーストを抜く。こういう微調整はを怠ってはならない。

1時過ぎに家を出る。「カフェ・スリック」に年内最後の挨拶に行く前に昼食をすませておこう。先日に続いての「登亭」。

ランチタイムのピークが過ぎて(たぶん)、客はいなかった。ご主人がカウンターでアイスクリームを食べていた。

先日はラーメンだっが、今日は五目炒飯を注文。ピーマンがのっているのには驚いた。たいていの子どもは炒飯が好きだが、同時に、たいていの子どもはピーマンは嫌いだ。この炒飯は大人のチャーハンだ。スープは先日食べたラーメンのスープと同じものである。たまにラーメンのスープと炒飯のスープが別の店があるが、変に凝る必要はない、ラーメンスープでいいのだ。

「登亭」と「カフェ・スリック」は1分と離れていない。ドアを開けt中に入ると、マダムはクリスマスフィフォン(予約)のクリームの製造に余念がなかった。一年で一番忙しい時期である。明日明後日は大学生の娘さんが店に出てくれるそうだ。

年内最後ということで、一番好きな定番の紅茶シフォンを注文。紅茶はラプサンスーチョンをチョイス。 

「よいお年を」の挨拶をして店を出る。

戸山キャンパスの向かいの穴八幡神社では明日の冬至の日から「一陽来復」のお守り頒布が始まる。今日は嵐の前の静けさだ。

3時から院生の研究指導(Cさんの修論)。

5限・6限はゼミ。

まず4年生の待つ441教室へ。今日は年内最後のゼミ=ゼミ論の提出日だ。コースナビからファイルで提出すると同時に、プリントアウトしたゼミ論を教室で提出する。その場で簡単なチェックをして受け取る。

ゼミ論の舞い。

ゼミ論の提出を済ませてから、3年生そして来年度からゼミ生となる2年生の待つ231教室へ。3つの学年が揃う合同懇親会は年に一度のことだ。

司会進行は3年生のこの二人。

軽食とスイーツの準備もOK。

まずは新人の2年生の自己紹介(今日は13名中9名が参加)。彼らは論系ゼミ11期生となる。

13名中、男子は3名。今回もはやり少数派だ。そして同姓(アオキ)が2人、同名(カレン)が2人いる。同姓同名はいなかった。でも、この先、いつ出現しても不思議ではない。

 大久保ゼミへようこそ! 頑張ってください。

続いて3年生の自己紹介。ゼミの中核となって、頑張って下さい。当面の課題はインタビュー調査の編集版の作成です。

司会の一人、M君は自己紹介で一発芸を披露していた。

受けたのかどうかは微妙である。

そしてゼミ論を提出し終えたばかりの4年生が後輩たちへのアドバイスを兼ねた自己紹介を行った。

4年生のアドバイスに神妙に聞き入る3年生たち。

来年は君たちが前に立つ番である。

4年生はお疲れ様でした。でも、これで終わりではありません。ゼミ論集の編集のための一連の作業が待っています。

余興はクイズ。イントロ曲名当てクイズは私は一問もわからなかった。

優勝したのはこのグループ。

ゼミ生あるあるクイズ。最後の一問は「S君の左の目じりの皴は何本?」だった。(正解は8本!)

 最後に全員で記念撮影。 最前列が2年生。

私も入って。 

この後、3年生と4年生は場所を学外に移して(高田馬場の「火麒麟」)、飲み会。

この店は安くて、美味しくて、サービスもいいのでよく利用する。

本日の会費は2500円(飲み放題)。

本日の料理の数々。

テーブルを回って写真を撮る。

7時半から3時間ほど滞在。

店の前で本日最後の集合写真。

この自撮りは成功とはいいがたい(笑)。

駅へと向かう。

彼らはまだまだ行くようである。私はここで失礼。よいお年を!

京浜東北線で人身事故があり、運転見合わせのため、品川から京急で帰る。品川で乗車したときは久しぶりに経験する鮨詰め状態だったが、駅が進むごとに乗客が降りて、京急蒲田に着くころには普通の満員電車になった。

12時、帰宅。

竜王戦第7局、羽生が広瀬八段に敗れて、竜王位を失い。27年ぶりの無冠となった。絶対王者にもいつかこういう日が来ることはわかっていたが、互角、あるいは羽生の方がいくらか差しやすいと思われた局面から彼が間違えて敗れるというのは全盛期の頃に見られなかった負け方である。羽生善治、48歳。はたして「四十八歳の抵抗」は可能だろうか。

2時、就寝。