フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月24日(月) 雨のち晴れ

2019-06-25 12:55:25 | Weblog

9時、起床。

トイレに行き、顔を洗い、とりあえず書斎のパソコンでメールのチェックをしていたら、地震が来た。少し大きな揺れで(震度4だったそうだ)、本棚の前面に横済みしている本の一部が床に落ちた。

右側の本棚の 上から二段目から落下したのだ。2011年の震災のときには全部の段の横済みにしてある本が落下したから、そのときの揺れに比べたら大したことはなかったが、目の前で本が落下するのを見たのは久しぶりである。やっぱり横積はよろしくないな(背後の本のタイトルも見えないし)。とは言っても収納スペースがなぁ。いずれ研究室の本も持ってこないとならないことを考えると、いよいよ我が家の最後のフロンティア、いまは客間や一時的な作業スペースとして使っている1階の元両親の居住空間を植民地化するしかないのだろうか。

 トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

 仏壇の香炉の掃除をする。毎朝立てる線香の燃えかすがけっこうな量になっている。

新聞を敷き、ざるをおき、そこに香炉の灰を移す。 

ふるいにかけると細かな灰は新聞紙の上に落ち、線香の燃えかすだけが残る。 

灰を香炉に戻し、燃えかすは捨てる。ついでに仏壇の中の掃除をする。 

書斎の窓際に乱雑に積まれていた本(比較的最近購入した本)を一階の食堂のテーブルの上に持って行って、書庫に移すべき本、書斎のしかるべき場所に戻すべき本を仕分ける。

一階の和室の掘り炬燵の上のテーブルは書類の仕分け作業に使われている。 

2時半頃、昼食を食べに出る。陽が出てきた。 

でもまだ雨は止んでいない。天気雨である。 

先日昼食を食べた「大福」の前を通る。「食べ放題+飲み放題で2980円」とある。 

近くの別の中華料理店でも「食べ飲み放題2980円」と出ている。 いま、これがスタンダードなのか。後からネットで調べてみたら、ゼミのコンパでよく利用する高田馬場の「火麒麟」もやはり「食べ飲み放題」は2980円だった。ただし、ゼミのコンパではコース料理(食べ放題ではない)+飲み放題の学生プラン2570円でやっているようである。

「テラス・ドルチェ」に入る。 

ガパオライスを注文。注文するときマダムに「かなり辛いですがよろしいですか?」と聞かれる。はい、何度か食べているので、大丈夫である。 

炒めた鶏の挽肉はたしかに辛い。しかし、「おいしい」の範囲内の辛さである。お冷もお替りせずにすんだ。 

 セットのブレンド。そしてこの時間帯だとミニコーヒーゼリーがサービスで付いてくる。

店を出る頃には雨もすっかり上がっていた。 

「ノザワBAKE」に寄る。 

今日もテイクアウトのみの営業。メープルケーキとバナナカルダモンケーキを買って帰る。 

帰宅してしばらくしてスマホが見当たらないことに気づく。もしかした「テラスドルデェ」に忘れて来たかもしれない。その前に家のどこかにある可能性もあるので妻に私のスマホに電話をかけてもらう。一番可能性のある書斎で鳴るのを待ったが、何の音も振動もしない。居間に戻ると、妻が「書斎にあったの?」と聞いた。「いや、なかった」と答えると、「えっ、いま『もしもし』って出たのタカジさんじゃなかったの?!」と言うではないか。それはおそらく「テラスドルチェ」の若いマスターである。自分の夫の声かどうかわからなかったのだろうか。夫だと思い込んで聞くとそうなるのだろう。「オレオレ詐欺」というのが成立するはずだ。もう一度電話をかけてもらったら、再び「もしもし」と出て、やはり「テラスドルチェ」の人だった。すぐに受け取りに行く。妻曰く「タカジさんはホントによく忘れ物をするけど、ホントによく戻って来るわよね」。「どこに忘れたかを覚えている(推測できる)からだよ」と答えると、「そんなの自慢にならないわよ」と言われた。ごもっともです。

外出したついでに東急プラザの「くまざわ書店」で平山周吉『江藤淳は甦える』(新潮社)を購入。江藤の没後20年に合わせて出版で、800頁近い大著である。タイトルは江藤の小説『海は甦える』から取っている。平山は江藤が亡くなった(自殺だった)当時、雑誌の編集者をしていて、江藤が亡くなる数時間前に絶筆となる原稿を鎌倉の江藤の自宅で受け取っている。 

朝刊の一面の「江藤淳氏が自殺」の大きな記事を見ても著者は驚かなかった。すでに前夜、いち早く第一報を聞いていたからである。

 「自殺の新聞報道を見て私が驚いたのは、年齢のことであった。享年六十六、とどの新聞も報じていた。昭和八年(一九三三)生まれとされていたが、実は昭和七年(一九三二)生まれだったのだ。芸能人でもあるまいし、江藤淳ともあろう人が、なぜそんな小手先の変改をしていたのか。(中略)私は紙面の江藤さんの顔写真を見ながら、そのことばかり考えていた。今になって思うと、私は「自殺」という厳粛な事実をどこかで回避しようとしていたのだろう。は慶子夫人を亡くした後、心身ともに不安定な上に、一ヶ月前には軽い脳梗塞で入院していた江藤さんに『幼年時代』連載という無理を強いたのではないか。江藤邸の応接間で、自分の対応になにか落ち度はなかったか。平静だが、いつもの快活さはなかった江藤さんを、ひとつ冗談でも言って笑わせることができればよかったのに。いっそカップでも取り落として、逆鱗に触れれば、沈んだ気分は猛々しい闘争心に変化したのではないか。身を締めつけてくるような後悔の念から、年齢の疑問を考えることで目を逸らしたかった。」(9-10頁)

ジャーナリストの書く評伝は、学者が書くそれよりも読みやすい(たぶん一種のサービス精神が働いているのだろう)。大部な書物ではあるが、読み通すのに骨が折れることはなさそうだ。 

巻末の索引で「清水幾太郎」を調べたら3カ所で登場することがわかったので、とりあえずその3カ所に目を通した。私は戦前・戦中・戦後に活躍した知識人の評伝を読むとき、明治40年(1907)に生れ昭和63年(1988)に死んだ清水幾太郎の人生との接点や交点について見てみる習慣があるのだ。そうやって「清水幾太郎と彼らの時代」について考える。江藤淳は「彼ら」の一人である。

自他ともに認める江藤の代表作は『漱石とその時代』であるが、彼の死によってそれは未完(第5部まで)に終わった。

夕食はポトフ、茹でトウモロコシ、ご飯。食事のときにトウモロコシを食べるのは妻が我が家に持ち込んだ習慣である。子どもの頃の私はトウモロコシはトウモロコシ単独で食べていた。 いまでも食事のときにトウモロコシが出ると、少しばかり「えっ」と思う。

デザートに「ノザワBAKE」でテイクアウトしたケーキを妻と分けて食べる。妻はダイエットを心がけているようなので、私がケーキを買ってくると「えっ」と思うようである。 

 深夜、久しぶりにウォーキング&ジョギング。近所の専門学校のキャンパスの周りを10周(約4キロ)する。これでー700グラムである。

2時半、就寝。


6月23日(日) 曇り

2019-06-24 12:57:10 | Weblog

8時半、起床。

トースト、ハンバーグ、目玉焼き、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

朝からボリュームのある食事になった。最初、冷蔵庫の中に残り物のカレーのパックを取り出して電磁レンジで温めたら、それはカレーではなくハンバーグであった。ハンガーグ本体がデミグラスソースの中に隠れて見えなかったのだ。温めてしまった以上食べねばならなくなり、成り行き上、目玉焼きを焼いてハンバーグに添えたらこうなったのである。

 

昼食は冷やす中華。今シーズン初である。個人的に秋の三大味覚は秋刀魚、カキフライ、松茸ご飯だが、夏の三大味覚はなんだろう。秋ほど熱心に考えたことはないが(「絶対食べたい!」というほどのものがないので)、冷やし中華は有力候補だろう。後の二つは、そうだな、鰻重(丼)とカキ氷かな。いや、鰻重(丼)は通年メニューだから、非該当か。冷やしソーメン+天ぷらあたりかな。どうしても冷やし系のものになりますね。 

私が食後の散歩に出ようとすると、妻が神社(女塚神社)に旧いお札とお祓いの形代(ひとかた)を納めて来てと言う。

形代は手のひらにのるサイズの紙人形で、ここに氏名と年齢を書き、息を三度吹きかけてから、身体を撫で回す。つまり自分の分身を作るのである。

これを6月29日(日)にお焚き上げしてもらうのである。「非科学的」な行事であるが、「非科学的」なことは必ずしも悪いことではない。私はこれまでの人生で妖怪とか幽霊とかと出くわしたことは一度もない。ご先祖様の声を聴いたこともない。けれどその存在を否定しようとは思わない。そうした想像力ないし創造力は人間の社会、人々の生活を成立させている本質的な要素の1つであるからだ。ついでに言えば、「科学的」ということも一つの信仰である。

社務所は閉まっていたが(受け付けは15時50分まで)、賽銭箱の横にお札と形代を納める箱が置いてあった。 

「ノザワBAKE」に寄る。ところが、今日はテイクアウトのみだという。「日曜日なのにどうして?」と聞くと「壁から水漏れがして・・・」と悲しそうにおっしゃる。それは大変ですね。ヴィクトリアスポンジケーキとプレーンビスケットをテイクアウトする。 

 駅の方まで足をのばす。サンロードカマタ商店街のアーケード。「ほしいもの、きっとみつかる」。ベタなキャッチコピーである。糸井重里(おいしい生活)以前である。その昭和レトロな感覚が痛いような、懐かしいような。

「テラス・ドルチェ」に入る。

店内に入るまではアイスコーヒーを注文するつもりだったが、冷房がきついので、ホットにする。上着を着て来て正解だった。それでも寒いけどね。これからの季節、あちこちで冷房がきつくなり、暑いのに上着が欠かせないというパラドックスが発生するのである。みんな8年前の震災の後の節電のことなどすっかり忘れてしまったようである。 

帰宅して、書斎のパソコンに向かいながら、「ノザワBAKE」でテイクアウトしてきたビクトリアスポンジケーキを食べる。 

夕食はラムチョップ、サラダ、揚げの味噌汁、ごはん。 

ラムチョップの付け合せはズッキーニと玉ねぎのソテー。 

本棚を整理していたら、こんな本が出来てきた。潮出版から1969年から70年にかけて出版された『講座 日本の将来』全8巻の第5巻である。当時購入したものではなく古書店で購入したものである。 

巻頭論文の清水幾太郎「人間の条件」が読みたくて購入したのだと思う。清水の肩書きが「前学習院大学教授」となっている。この年の3月末に彼は定年まで10年近くを残して学習院大学を辞めたのである。 

読みだしたら止められなくなり、長いものではないので、最後まで読んだ。彼の著作の多くを読んでいる私にはとくに目新しい内容のものではなかったが、文章の旨さに引っ張られて最後まで読んでしまった。清水の文章の内容については多くの人が論じているが、その文体についてはちゃんと論じたものがないように思う。 この夏に別のテーマで清水に関する原稿を書く予定にしているのだが、文体という側面から論じてみるのも面白い気がしてきた。

2時15分、就寝。


6月22日(土) 曇り一時雨

2019-06-23 13:47:07 | Weblog

8時、起床。今日は夏至。

 夏至の日の手足明るく目覚めけり 岡本眸

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『なつぞら』。雪次郎が「川村屋」を辞めて演劇の道に進もうとしている。これはえらいことですよ(by ルーキー新一)。和菓子屋「雪月」の一人息子で、家業を継ぐために東京に修行に出してもらっている身である。職業選択の自由が基本の近代社会だが、家業のある家に生まれた子供(の一部)はその継承を期待されている。「この商売は自分たちの代で終わり」と親が思っている場合は別として、跡継ぎを期待されている子供はサラリーマンの家の子供のように「大きくなったら何になる?」と大人から(少なくとも親から)聞かれることはない。さて、雪次郎の乱はどう決着するのだろうか。ところで、彼は一人息子だが、なぜ「雪次郎」という名前なのだろうか。どこかで説明がありましたっけ?

雨模様の日の洗濯物たちは無口である。 「外で干してもらえるだけでよしとしなくちゃ」と思っているようである。

1時半頃、昼食を食べに出る。あてにしていた「マーボ屋」は臨時休業だった。 

りそな銀行向かいの中華居酒屋「大福」に入ってみることにする。 ここは初めて。

外の写真の「過橋米線 マーラー牛肉ビーフン麵」というのが前から気になっていたのだ。 ところが席に着いてメニューを見たがそれが載っていない。店員が注文を取に来たので、「外に写真が出ている・・・」と言おうとして名前が出てこない。何て名前だっけ。店員と一緒に外に出て、「これ」とを指差す。

運ばれてきたものを見て、「あらっ?」と思う。見かけが大分違う(野菜の量も肉の大きさも)。写真の方がずっと美味しそうだだった。 

アップで撮ると多少美味しそうに見えるかな(笑)。

がっかり気分で食べ始めたのだが、美味しいのである。スープも、麵も、とても美味しい。 人も麵もみかけではない(両方とも「メン」だ)。

辛い麵の後は甘味である。「スリック」に行く。 

今日は桃とカルピスのシフォンケーキにしよう。 

カウンター席に座る。目の前の壁に「ヒュッゲ カンダ・ハイム」のスケッチ画が掛かっている。マダムはこのマンションのオーナーなのである。 

紅茶はマダムン勧めでリプトンのヌワラエリア。 

来週、卒業生を3人連れて来る予定なので「仮予約」をする。店内のテーブル席は2人掛けのテーブルが2つだけなので、絶対に予約が必要である。

桃とカルピスのシフォンケーキ。「まやんち」のピーチメルバのシーズンが間もなく始まるが、ここで一足早く桃を賞味する。 

「夕食は中華でいい?」と妻が聞いた。昼も中華だったが、麺だったから、かぶることはないだろう。

麻婆豆腐、蟹玉、サラダ、ニュー麵(温かいソーメン)、ごはん。(写真は二人分です) 

デザートはキュウイ。 

 机の上を整頓する。だいぶすっきりした。散髪と同じで二カ月に一度くらい。もっとこまめにすべきかもしれない。

 

2時15分、就寝。


6月21日(金) 晴れ

2019-06-22 11:42:07 | Weblog

8時半、起床。

トースト、カレー、サラダ(+ゆで卵)、牛乳、紅茶の朝食。「昨夜のカレー」のある朝の食卓の幸福。

机の脇に小型の扇風機を置く。もう何年も使っていて、ときどき床に落としたりするものだから、スイッチを入れてもすぐに回らなかったりする(ポンと叩くと動き出す)。でも、風量がちょうどよく重宝している。クーラーはめったに使わない。室内全体がヒンヤリするよりも、風の涼しさの方が気持ちがいい。 音が静かなので切り忘れて外出してしまうこともある。

 扇風機いま机上吹く誰も居ず 山口みちこ

 床屋に行く。前回よりちょうど2カ月。そろそろ床屋に行こうかなと思ってから2週間ばかりだっているから、本当は、1ヶ月半くらで行くのがベストなのかもしれない。ご主人(リーダー格の人)の話では、夏場は客が増えるそうである。 

 散髪を終えて、昼食は「西洋料理SUZUKI」で。マダムに「お久しぶりですね」と言われてしまった。前回来たのが去年の10月であったから、なんと8カ月ぶりである。

「本日のランチ」(スープ、ビーフシチューとホタテのグラタンのワンプレートで1500円)も考えたが、久しぶりなので大好物の 海老フライ(1600円)を単品で注文。ナイフとフォークで食べるに相応しい大ぶりの海老フライが2本。海老フライは洋食屋のメニューの中では高い方だが、価格が高騰している鰻に比べると(比べることに意味があるかどうかは措くとして)割安感がある。

食後にコーヒー(400円)を注文すると、デザートが「おまけ」で付いてくる。これがこの店のお得なところで、カフェならコーヒーとセットで1000円はするだろう。次回は今回のように間を置かずに来よう。散髪をした後で寄るようにすればよいかもしれない。 

「西洋料理SUZUKI」は多摩川線の踏切のそばにある。線路沿いの道を駅へ向かう。

 

 その足で大学へ。

 5限・6限はゼミ。

5限は映画『ツレがうつになりまして。』を題材にしたグループ発表。いまや鬱は時代の病である。自分が鬱になること、自分の身近な人間が鬱になること、これはかなりの確率で経験されることである。私自身も、鬱病とまではいかないが、鬱的症状はこれまでの人生の中で何度か経験し、医者の処方を受けたこともある。あれは苦しいもので、「人生であの頃に戻りたいという時期はいつですか?」というよくある質問に答えるのにためらいがあるのは、鬱的症状と抱き合わせで戻るのはごめんだからである。

休み時間のスイーツはカステラ。

6限はテキスト(土井隆義『「宿命」を生きる若者たち』)を使った発表とディスカッション。「若者論」は自分たちのことだからディスカッションは活発になりやすい。ただ、よく思うのだが、おじさんたち(社会学者)が自分たちのことを分析したものを読んで、若者がそれを素直に受け入れることに私は少々違和感がある。「わかってねえな」「それは勘違いだよ」という反発みたいなものが全然ないのである。分析されて「なるほど」と思ってばかりでいいんでしょうか。 

8時半ごろ、大学を出る。駅に向かう途中、「松屋」の前にゼミ生たちがいた。ここで食事をしようとしているらしい。「先生もどうですか?」と言われたが、あいにくと「松屋」という気分ではない。一週間の授業を終えて、やれやれという気分で食事をしたいのである。

神楽坂で途中下車して「トンボロ」に寄る。  

カウンターの右端の席に座る。やあ、オードリー。 

タラコのスパゲティを注文。  

食後にAブレンド(浅炒り)。 

 デザート代わりにブドウパンのトースト(砂糖かけ)。 

先日、宙太さんから送られてきた写真を波鈴さんに見せる。「むこう(沖縄)でこんな酒場を見つけたそうですよ」と私が言うと、写真を見て、波鈴さんはニヤリとした。

 

「宙太」は「ちゅうた」と読む。『巨人の星』を知っている世代には主人公星飛雄馬の親友の「伴宙太」からの連想で「ちゅうた」と素直に読むだろうが、いまの若い世代は「そらた」と読んだりする。波鈴さんにしても「ハレー」と正しく読んでもらえることはまれで、「なみずず」ちゃんと女の子風の読み方をされることが多かったそうだ。ちなみに宙太さん波鈴さんは男三兄弟で二人の間には遊星(ゆうせい)さんがいる。名前のイメージとは違って堅実なサラリーマンをされているそうだ。

10時半、帰宅。

2時、就寝。


6月20日(木) 晴れ

2019-06-21 11:53:10 | Weblog

8時45分、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

最近の『なつぞら』。妹の問題(消息不明)はいったん収まり(「千遥のためにもアニメを描く」となつは決意する)、なつは再び仕事に向かう。職業上の成功と家族の幸福という二本立ては朝ドラの基本である。どちらか一本槍では、半年はきつい、視聴者に飽きられると制作側は考えているのだろう。ところで妹の「千遥(ちはる)」という名前、1940年代前半(戦中)生まれの女の子の名前とは思えない。明治安田生命のデータによれば、1940年生まれの女の子の名前ベスト10は、紀子、和子、幸子、節子、洋子、弘子、美智子、久子、文子、悦子である。「千遥」という名前は「子」を使わないという点で珍しく、同じ「チハル」でも「千春」という読み間違いの生じない字ではなく、「千遥」というひねった(読みにくい)字を使っている点で珍しい。要するに現代風の名前である。「大丈夫です」の場合と同じく、現代の風俗をドラマの時代に投影しているのだ。時代考証よりも視聴者が親しみやすいことを優先しているといえる。わかってやってるんですよね?(念のため)

昼前に家を出て、大学へ。玄関先にナツがいる。道行く人が「ナツ」とか「なっちゃん」とか、あるいは独自の名前で呼びかけると、愛想よく「ニャン」と答えたり、相手によっては道路まで出て行って体を触らせたりしている。幼い頃にきょうだいと生き別れ、その後、母親とも死に別れた小さな野良猫はこうやって生き抜いてきたのだ。千遥もそうやってどこかで生き抜いているのだろう。 

スロープの強い日差しを避け、スロープ横の早稲田アリーナの建物の横を歩く。

3限は大学院の演習。吉見俊哉「美智子妃と樺美智子ー転換期の女性像」と細見和之「高村三郎と永山則夫ー集団就職と体験」を読む。

〝「美智子」が「美代子」に代わり、「美」のつく女子名の主役を占めていたのは1930年代半ばから1940年代後半までの約10年間である。この時期に生れた多数の「美智子さん」が高校を卒業するのは1950年代半ばから60年代にかけてであった。いうまでもなく、この「美智子さん」世代の最も祝福されたケースが1934年生まれの正田美智子であり、最も悲劇的なケースが1937年生まれの樺美智子であった。〟(吉見 22頁 *数字は漢数字を算用数字に変換) 

演習を終えて、昼食。蒲田駅構内の弁当屋でかってきた崎陽軒の赤飯弁当。

この弁当の一番のごちそうは、ごま塩を振った赤飯である。たまに添付のごま塩を振り忘れて食べてしまうことがあり、そのときの「しくじり」感は筆舌に尽くしがたい。 

5限は講義「日常生活の社会学」。パワーポイントのファイルを入れたいつも使っているUSBがケースの中に入っていない。鞄の中でこぼれたのだろう。でも、大丈夫、ケースの中にはバックアップ用のUSBが入っている。年に一度使うかどうかだが、なかったら大変だった。 

6時半に大学を出る。

有隣堂でNHKの俳句と短歌のテキスト(7月号)を購入。

 葛餅の黄粉の上を蜜すべる 上野章子

葛餅好きの私が「うまいなぁ」と感嘆する句である。そうそう、蜜は黄粉の上にかけると黄粉に沁みこむのではなく、上をすべって皿に落ちていくのである。

 葛餅に蜜かけすぎし老紳士 たかじ

8時前に帰宅。

夕食はチキンと夏野菜のカレーライス、サラダ(+ゆで卵)。

もちろんお替りをする。カレーライスはお替りが基本である。 

『プレバト』を観ながら食べる。

  梅雨寒しコンビニは麻酔の匂ひ 東国原英夫

さすがである。ここは「臭」ではなく「匂」でなくてはならない。

カレーライスのお替りをしたので、深夜、ウォーキング&ジョギングをするつもりだったが、出そびれる。

1時、就寝。