2/22(月)、神田の岩波ホールで映画『火の山のマリア』を観た。2015年、グアテマラ他の作品
中米グアテマラの先住マヤ民族の血をひく一家の生活を通して、その根の深くにある問題を問いかける映画と言えるだろう。
主人公一家の話すのはカクチケル語というマヤの言葉で、一家はグアテマラの共通言語であるスペイン語は話せない。結果、しかるべき福祉を受けられず、通訳をする土地の実力者にだまされてしまう。火山の麓に生まれ、暮らし、そこに祈る素朴な暮らしは失われてゆく。主人公の少女は「巫女」の性質を持つかのように描かれ、山霊と交接するかのようなシーンが印象的だ。
全体を通して、悲劇的な内容が一貫して語られる。観終わって、この映画がどの位な「現実」を語っているのか、と思わざるを得なかった。映画なので、誇張もあるだろう。が、少なくともスクリーンに写っているのはグアテマラの大地であり、演じているのはマヤの人達だ。それだけでも、出かけてゆく価値はある映画だと思う。
中米グアテマラの先住マヤ民族の血をひく一家の生活を通して、その根の深くにある問題を問いかける映画と言えるだろう。
主人公一家の話すのはカクチケル語というマヤの言葉で、一家はグアテマラの共通言語であるスペイン語は話せない。結果、しかるべき福祉を受けられず、通訳をする土地の実力者にだまされてしまう。火山の麓に生まれ、暮らし、そこに祈る素朴な暮らしは失われてゆく。主人公の少女は「巫女」の性質を持つかのように描かれ、山霊と交接するかのようなシーンが印象的だ。
全体を通して、悲劇的な内容が一貫して語られる。観終わって、この映画がどの位な「現実」を語っているのか、と思わざるを得なかった。映画なので、誇張もあるだろう。が、少なくともスクリーンに写っているのはグアテマラの大地であり、演じているのはマヤの人達だ。それだけでも、出かけてゆく価値はある映画だと思う。