文化逍遥。

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震災から5年

2016年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム
 東日本大震災から5年になる。
 震災関連死を含めると21000人の方が亡くなっている。岩手・宮城・福島の東北3県の被害が甚大だったために見落とされがちだが、茨城県や千葉県の太平洋側にも最大で7メートルを超える津波が押し寄せた。ここ千葉県でも旭市では死者・行方不明合わせて16人。浦安市などでは液状化の被害が大きかったし、千葉市でも沿岸地域やかつての湿地帯で液状化による家屋への影響が出た。
 旭市へは、以前短期間だが仕事で通っていたことがある。つまり、その時に津波が来ていれば自分も飲み込まれたかもしれなかったわけだし、助かったとしても帰宅できなくなっていただろう。それは、交通機関がマヒした東京にいても同じだった。実際、あの日わたしは東京の本郷で午前中まで仕事をしており、荷物が多かった為に早めに帰路につき、地震の40分まえに帰宅していたのは全くの偶然だった。

 5年前、今は亡くなった母はまだ存命しており、寝たきりの状態だった。テレビなどで追悼番組を見ていると、今も自問する。「仮にあの時、津波か原発事故により避難命令が出て、命の危険が迫り、各々で逃げねばならない状態になっていたとしたら、自分は母を残して逃げられただろうか」、と。
 助かるためには自分ひとりで逃げるしかないかもしれない。あるいは、それが生存の厳しさ、というものなのかもしれない。しかし、それをしていたら自分は今普通に生活を続けていけているだろうか。おいしく食べて、ゆっくり眠る、そんなあたりまえの生活が送れているとは思えない。実際、身近な人を助けようとして亡くなった人も多いと聞く。残されたものは、その苦しみを負っているだろう。今もって多くの人(17万人ともいわれる)が生活基盤を失ったままで、被災者が被災者を援助している状態に近い所も多い。最低でも、福島の原発が完全に廃炉になり、誰しもが安全と言えるまでに終息しなければ、この震災は終わらない。

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