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わたしのレコード棚ーブルース125 Willie Love

2021年03月22日 | わたしのレコード棚
 ウィリー・ラブ(Willie Love)は、かなりドライブするファンキーなピアノを弾き、ブルースというよりR&Bに近いミュージシャンだ。歌は、まあ、あまりうまいとは言えないが、声の質がハウンド・ドッグ・テイラーに似ているようにも聞こえ、なんとなく味わいがある。1906年11月4日にミシシッピー州ダンカン(Duncan)で生まれ、1953年8月19日に同州の州都ジャクソン(Jackson)で亡くなっている。我が家にある音源は少ないが、ソウル・ブルースの歴史を語るうえでは、重要な人だ。


 ミシシッピーのTRUMPETレーベルのLP、AA-702。このブログ「わたしのレコード棚ーブルース124」のビッグ・ジョー・ウィリアムスで取り上げたLPの表面で、ピアノに向かうウィリー・ラブの姿が印象に残る。写真をよく見ると、着ているスーツはヨレヨレで、靴下をはいていないようだ。当時のミュージシャンの生活が垣間見える様で、身につまされる。

 録音は「Willie Love & His Three Aces」というグループ名でクレジットされている。1951年7月25日分が2曲で、この時のバックを務めたのは、Elmore JamesとJoe Willie Wilkinsがギターとバックコーラス、Otis Greenがテナーサックス、ドラムスは不明だがprobably(たぶん)としてAlex Wallaceとなっている。さらに、同年12月1日分の4曲では、Little Milton Campbellがギター、T.J.Greenがベース、Junior Blackmanがドラムスという構成。
 このレコーディングデータを見て「おおっ・・」と思った人もいるかもしれない。後にブルースファンなら知らない人はいない、というくらいの2人がバックでギターを弾き、コーラスをつけている。言うまでもなく、エルモア・ジェイムスとリトルミルトンである。下の写真2枚は、LP内の解説書にあるもの。


 エルモア・ジェイムス、この録音時33歳。この翌年1952年に、このLP と同じTRUMPETレーベルに、ロバート・ジョンソンから学んだともいわれる「Dust My Broom」を吹き込みヒット。その後、シカゴに出ることになる。エルモアは、第2次世界大戦中の海軍での兵役を終えた後、弟が経営していたラジオショップを手伝っていたという。そこで、修理などを通して電気技術を身に付けた、と言われている。この写真では、小さめのソリッドギターを構えているが、後には色々と工夫して、独自の音色をものにしていったらしい。


 この録音時リトルミルトンは、わずかに16歳だったはず。すでに、ギターのテクニックは完成の域に近づいている。写真は、後のものかもしれない。いずれにしろ、これ以降才能が認められ、ソウル・ブルースの世界でギターリスト・ヴォーカリストとして活躍することとなる。亡くなったのは、2005年8月4日だった。


 LPの解説にある写真は、全体でこんな感じ。中央に写っているのはジャクソンにある「Dianne's Lounge(ダイアンズ・ラウンジ)」という店で1980年の撮影、と書かれている。国道沿いにあるクラブのような店だろう。一人では、怖くて入れそうにない。

 ウィリー・ラブは酒に溺れた生活を送っていたという。この録音の2年後、彼は46歳で亡くなった。

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