King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

科学的でないことが好まれる理由

2004年10月28日 12時49分05秒 | 日々のこと
最近の映画とか、テレビのドラマの主題で必ず出てくるのが
超常現象です。死んだ人が生き返ったり、不思議な力を持った人が当たり前に
出てきて何らかの科学的説明がありません。

これは映画だから当たり前、と言い切れるでしょうか。

同じような話で、オカルトのような科学をみんな信じているということ。
テレビで繰り返される健康番組もそうです。
お風呂が健康に良いとか、どこのつぼが良いとか水が良いとか。
ある食品が良いと番組に取り上げられるとそれが売れに売れて商品棚から
消えるとか。

とりわけ健康のために体を動かした方が良いという至極まっとうな話に
飛びついてみんなが運動をするかいえばそうではありません。
禁煙をするかといえば、そうではありません。まあ、以前から比べれば
ウォーキングと称して歩く人が出てきたり、喫煙人口が1/3になったとか
確かに変わっては来ていますが、馬鹿みたいなオカルトの方が
信用されるという現実は変わりません。

風水という占いの一種も、複雑な計算尺を使うことから、科学的なんだと
思っている人がいます。家のどこそこに何色のものを置くとか、ふつうに
考えて日本中の人がそうしたとして、日本中金わまりがよくなったり、
豊かになったりすると考える方がおかしいです。科学以前の問題として。

人間の弱いところの現れでしょうね。
『アフターヘダーク』読みました。これもそんなことに関係するかな。
コメント
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