King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『邪魅の雫』読了

2007年05月09日 23時14分40秒 | 日々のこと
邪魅の雫をやっと読み終わりました。
今まで、通勤時間に1時間15分の電車での時間があったので、
往復と寝る前と読書時間は豊富でした。
しかし、この京極堂の本は通勤時に読むには厚過ぎるのです。
そして、今回のやっと出た京極堂シリーズということで出た早々に
買ってありましたが、通勤電車に持ち込むには弁当箱のように
がさばるのでただ積んであるだけでした。

いつ読んでやろうかとその厚みと装丁を見るたび楽しみに
よだれそそる思いでいました。そして先月から少しづつ読み出した
のですが、これは相当読む人を選ぶ本だと思います。
京極堂の事を知っているおなじみさんならまだしも、はじめて
このシリーズを読んだ人だと、きっと途中で読むのをあきらめる
でしょう。ネットでさらった他の書評でも酷評しているものや劣化
だと言っている人もいます。

私はスカーペッタシリーズほど劣化がひどくないと思います。
この本はこの本で斬新な切り口になっています。しっかり
ついて行って物語の最後まで京極堂を味わいましょう。
世の中デジタル化して行き、全ての事が記号や簡単な
区分けにされて単純化されていく傾向ですが、人間社会に
はまだまだ1と0で割り切れない物が多く、それをひとたび
読み間違えると、黒装束の憑き物落しが必要になります。

それは現代の世でも同じです。まさか本当に拝み屋を
呼んでくることはないですが、読み直しや歴史認識は
誤らずに生きていかなくてはと思います。最近の中国の
経済発展や拉致被害、領土問題などに接するたびに
歴史とは権力者による公式文書に記載たれたものという
認識は、真にぴったりな表現だと思います。

この本のスタイルは、確かに読みづらくいろんな話が次々に
いろんな人の口から語られていくので、こんがらがって何が
なんだか解らない状態が2/3位まで続きます。しかし、
それをがんばって乗り越えれば、カタルシスに到達できます。
いつもの拝み屋も出てきます。出番の少ない天才探偵も
実は物語の中心だったんだと改めて感じます。

そして、もしかすると今後の京極堂一派の強力なライバルの
誕生なのかもしれないとふと思ったりしました。しかし、最後の
幕引きがありそれはないようです。

正直に白状すれば、私も最初のぐだぐだが続くところで
もう読むのやめようかと思うくらい訳の解らない状況に
追い込まれました。それを救うのが、おなじみのキャラクターたち
です。青木君だったり、準主役の関口君だったりします。
彼らを知らない人が読んだら果たして最後まで読みきれるのか
と要らぬ心配までしてしまいました。
読み終わるとやはり京極堂だったなと、全てフィードバックして
楽しめます。長いとか冗長とかいう批判もあるようですが、
これがすっきりしていたら京極堂ではなくなってしまいます。

じっくり黒装束の拝み屋が出てくるのを待ちましょう。
コメント
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