昨日のランニングは、とっぷりと日の落ちた中
久々のナイトランとなりました。
実は、『1Q84』を読み終わり、よいよ読後の感想
を書いておくことが出来ると思っていたのですが、
ここの所お昼休みに本を持って公園に出かけると
いう行動が定着していたのも、雨とこの本のおかげ
でしたが、その行動が終わり変わるのを惜しんで
少し、読むのを控え、最後の数ページを残していた
のも月曜日には終わりにしました。
しかし、読み終わったら、別に是非言わなければ
ならないことや、世の中が変わって見えることも
ないのです。
読んでいるときの、あの公園で過ごした時間だけが
あの本の世界を共有した1Q84を歩いた生きた時間な
感じで、改めて語りたいとも思わないのでした。
これは『悼む人』を読んでいたときと同じです。
それはそれでまた書きますけど。
もうすでに過去のことです。
総合的に一言だけ書いておくと、米国の映画やドラマ
や世界における自分たちのスタンスというのが、
実にシンプルにして簡単であり、米国から発信される
作品もそれらを反映して、実にシンプルな主題なもの
ばかりであるということです。それに反して、日本の
作品は色々言うことはあるが、いいたいことは結構
深く沈められていてすぐには解らないようになって
います。
誰でも簡単にたどり着けないが、知りたいと思えば
思うほど味が出てくるような構造になっており、昨今の
米TVドラマがこの日本の手法を取り入れてきてヒット
しています。特にLOSTなどではそう感じます。
もともと一回こっきりの話が多かった米ドラマがつづき
物を作るようになったのは、日本の朝の連続テレビドラマ
の手法を学んだのではないかと昔感じました。
うけないとすぐに打ち切り終了になる米ドラマでは、
いくつもの謎を追いかけて続いていくという手法はかなり
冒険だったと思います。
しかし、ER以来小説の世界と映画とテレビの世界が互いに
歩み寄ったような印象を受けます。それに、日本の思考も
かなり研究され、単純なテーマばかりの米国ものというのは
姿を見せなくなったのです。ただ、映画の世界ではそうでも
なく、世界的ヒットを作るような映画も実に簡単なメッセージ
しかありません。
最近のクリントイーストウッド作品だけがいろいろと
考えさせる仕組みをいくらか持っているのが印象的です。
さて、また話が大分それたところで、夜のランニングコース
の様子を書きたいと思いますが、その前にこの夜走る理由と
なったひとつの理由を書いておくと、昨日はあめ薬師と
呼ばれるお寺の縁日で、その縁日にやりたいとずっと思って
いたことを実行したためなのですが、それは幼年期への憧憬
ともいえる郷愁感溢れる物です。
先日私のゆかりの縁日であるある神社のお祭りに出かけた
時には、その規模も内容もずっと様変わりしていて、ちと
悲しい感じになったのですが、今回のあめ薬師はいまだに
変わりなく、そのいわれも形態もそのままでした。
ちょっと変わったなというところは、境内に長い行列が
できていたのですが、どうやら新聞に折り込まれた広告
に名前やメールアドレスなどを書き入れて持っていくと
それだけで福引が引けるらしく、長蛇の列となっていました。
何でお寺も個人情報を集めるのか、ちと不思議な感覚を
持ちましたが、私はもちろんそんな行列に加わることも
なく、数年前からやりたいと思っていたことを実行しました。
それは、あめ薬師のあめを買うことと、金魚すくいの金魚
をゲットすることです。
飴は、大きな飴を露天商が目の前で鉈でぶっかいて袋
詰めしている様が豪快で、このお祭りの名物にもなって
います。今更飴がなめたいわけでもないですが、この
飴を昔は必ず買っていて、お祭りにはその他露天商から
粉飴の吸えるパイプとかほうずきの笛とか金魚すくいとか
風船ヨーヨーとか必ず買った露天が郷愁を誘います。
今までは何かと見てみたいと思いつつもそのままになって
いたのですが、今回は色々時間をやりくりしてでもでかけて
やってみることになりました。
久しぶりのあめ薬師は、相変わらずにぎやかでなんだか
安心しました。
飴を売る露天はひとつだけでしたが、それも健在でした。
小さい袋が300円でした。
しかし、これを食べ終わるのにどのくらいかかるでしょうか。
味見でもらった飴はお祭り見物の最中ずっと口にありました。
昔と同じ味かは定かではありません。
こんな味だったんだろうか。
前回は、昔の思い出が大事なものならば、それはそれで
とっておくという教訓がありながら、今回もまたそれを
壊すかもしれない行動をとってしまいました。今回は
壊れるまでいきませんでしたが。
郷愁は郷愁、思い出は思い出の中でとっておくべきです。
それで夜中に走り出したわけですが、ひとつ感じたことは
夜はいろいろなものが匂い立つということです。
まず一番最初にかいだのは、おしろいばなの強い香り
です。
そして、くちなし、夜の匂いと様々なものが匂い立ちます。
心なしか、いつもより速く走れるような気がします。
これは夜の特典です。
驚いたのは、このコースで私以外に走る人は今までは
ほとんど皆無でしたが、昨日は三人も走っていました。
歩いている人は相変わらずいますが、あんまり効果ないと
思いますよそんな運動では。ま、余計か。
久々のナイトランとなりました。
実は、『1Q84』を読み終わり、よいよ読後の感想
を書いておくことが出来ると思っていたのですが、
ここの所お昼休みに本を持って公園に出かけると
いう行動が定着していたのも、雨とこの本のおかげ
でしたが、その行動が終わり変わるのを惜しんで
少し、読むのを控え、最後の数ページを残していた
のも月曜日には終わりにしました。
しかし、読み終わったら、別に是非言わなければ
ならないことや、世の中が変わって見えることも
ないのです。
読んでいるときの、あの公園で過ごした時間だけが
あの本の世界を共有した1Q84を歩いた生きた時間な
感じで、改めて語りたいとも思わないのでした。
これは『悼む人』を読んでいたときと同じです。
それはそれでまた書きますけど。
もうすでに過去のことです。
総合的に一言だけ書いておくと、米国の映画やドラマ
や世界における自分たちのスタンスというのが、
実にシンプルにして簡単であり、米国から発信される
作品もそれらを反映して、実にシンプルな主題なもの
ばかりであるということです。それに反して、日本の
作品は色々言うことはあるが、いいたいことは結構
深く沈められていてすぐには解らないようになって
います。
誰でも簡単にたどり着けないが、知りたいと思えば
思うほど味が出てくるような構造になっており、昨今の
米TVドラマがこの日本の手法を取り入れてきてヒット
しています。特にLOSTなどではそう感じます。
もともと一回こっきりの話が多かった米ドラマがつづき
物を作るようになったのは、日本の朝の連続テレビドラマ
の手法を学んだのではないかと昔感じました。
うけないとすぐに打ち切り終了になる米ドラマでは、
いくつもの謎を追いかけて続いていくという手法はかなり
冒険だったと思います。
しかし、ER以来小説の世界と映画とテレビの世界が互いに
歩み寄ったような印象を受けます。それに、日本の思考も
かなり研究され、単純なテーマばかりの米国ものというのは
姿を見せなくなったのです。ただ、映画の世界ではそうでも
なく、世界的ヒットを作るような映画も実に簡単なメッセージ
しかありません。
最近のクリントイーストウッド作品だけがいろいろと
考えさせる仕組みをいくらか持っているのが印象的です。
さて、また話が大分それたところで、夜のランニングコース
の様子を書きたいと思いますが、その前にこの夜走る理由と
なったひとつの理由を書いておくと、昨日はあめ薬師と
呼ばれるお寺の縁日で、その縁日にやりたいとずっと思って
いたことを実行したためなのですが、それは幼年期への憧憬
ともいえる郷愁感溢れる物です。
先日私のゆかりの縁日であるある神社のお祭りに出かけた
時には、その規模も内容もずっと様変わりしていて、ちと
悲しい感じになったのですが、今回のあめ薬師はいまだに
変わりなく、そのいわれも形態もそのままでした。
ちょっと変わったなというところは、境内に長い行列が
できていたのですが、どうやら新聞に折り込まれた広告
に名前やメールアドレスなどを書き入れて持っていくと
それだけで福引が引けるらしく、長蛇の列となっていました。
何でお寺も個人情報を集めるのか、ちと不思議な感覚を
持ちましたが、私はもちろんそんな行列に加わることも
なく、数年前からやりたいと思っていたことを実行しました。
それは、あめ薬師のあめを買うことと、金魚すくいの金魚
をゲットすることです。
飴は、大きな飴を露天商が目の前で鉈でぶっかいて袋
詰めしている様が豪快で、このお祭りの名物にもなって
います。今更飴がなめたいわけでもないですが、この
飴を昔は必ず買っていて、お祭りにはその他露天商から
粉飴の吸えるパイプとかほうずきの笛とか金魚すくいとか
風船ヨーヨーとか必ず買った露天が郷愁を誘います。
今までは何かと見てみたいと思いつつもそのままになって
いたのですが、今回は色々時間をやりくりしてでもでかけて
やってみることになりました。
久しぶりのあめ薬師は、相変わらずにぎやかでなんだか
安心しました。
飴を売る露天はひとつだけでしたが、それも健在でした。
小さい袋が300円でした。
しかし、これを食べ終わるのにどのくらいかかるでしょうか。
味見でもらった飴はお祭り見物の最中ずっと口にありました。
昔と同じ味かは定かではありません。
こんな味だったんだろうか。
前回は、昔の思い出が大事なものならば、それはそれで
とっておくという教訓がありながら、今回もまたそれを
壊すかもしれない行動をとってしまいました。今回は
壊れるまでいきませんでしたが。
郷愁は郷愁、思い出は思い出の中でとっておくべきです。
それで夜中に走り出したわけですが、ひとつ感じたことは
夜はいろいろなものが匂い立つということです。
まず一番最初にかいだのは、おしろいばなの強い香り
です。
そして、くちなし、夜の匂いと様々なものが匂い立ちます。
心なしか、いつもより速く走れるような気がします。
これは夜の特典です。
驚いたのは、このコースで私以外に走る人は今までは
ほとんど皆無でしたが、昨日は三人も走っていました。
歩いている人は相変わらずいますが、あんまり効果ないと
思いますよそんな運動では。ま、余計か。