King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

アイス珈琲の安らぎ

2014年07月26日 23時50分10秒 | 珈琲
最近よく思うのは、子供の頃の自宅前の風景です。

まだ舗装もなく、下水も施設されてなくて、牛や馬が
通っていました。

牛を飼っている農家も秩父市内にあり、西武秩父駅の所には
県立の高校がありました。

そこにも牛がいて人動物が力を合わせて暮らしていたという
風景がのどかに広がっていたのです。

しかし、それは機械にとってかわられ農家では高価なトラクターや
ホークリフトが普通に動いていて、旧市内といわれる地域には
もはや牛や馬はいません。

市の火葬場の隣に乗馬クラブがあり、祭りに使う馬が飼われて
います。

うちの上の羊山には観光用に意味もなく羊が飼われています。

かつてはそれは皆農事に携わる大事な役割があったはずです。

観光としての役割や良質な肉を供給するという農事と観光と
いう観点からもっと土地と資源を有効利用して食と観光に発展
させてもいいところです。

千葉のマザー牧場などは食堂にジンギスカン料理があり、
しぼりたての牛乳などもあるわけですが、秩父は高原牧場の
牛や牛乳会社などもなくなり、農業の衰退は目に見えて進んで
意味のない残骸のようなものばかりになっています。

これは税金の消費でほそぼそとしかたなくやっているものや
補助金の枠内で人を雇い事業としているためその後の発展を
狙っていたり、さらに企業的に農業を産業として展開しようという
考えも見られません。

今携わっている人たちの年齢を思えば、仕事と人材などトータルに
考えてにこれからは企画的に戦略的展開を試みるべきでしょう。

まあそんなことは言わずもがなで、日々上から下りてくる案件を
無地やり過ごすことにすべてである人に期待するのも無理な
ことなのか止まらない過疎化と空地の目立つ秩父の将来に
思うことばかりです。

かつてこんな暑い日にはどこか冷房の効いた喫茶店に寄りこみ
アイスコーヒーで新聞を読むという午前中を過ごしていましたが、
そんなお気に入りの場所というのが実際には秩父で探すのが
困難である事実に阻まれてしまうことがありました。

たったそれだけの楽しみも冷房が効いた部屋と安心して飲める
珈琲がそもそもそんなに揃っていないのです。

大概の喫茶店がアイスコーヒーは業務用のパックものであり、
専門店ならアイスがないなど味という点で飲める店がありません。

しかし、今は水出しで本格的な喫茶店の味が簡単にできてしまい
ます。

長年喫茶店の黒いアイスコーヒーと同じものが当店もできないか
悩みましたが、最近そのまっ黒い色に関しては追及しないことに
しました。

それがなくても十分に薫るアイス珈琲は、それだけで価値があり
何も加えずそのままストレートでごくごく飲めるのです。

それが水出しだと冷蔵庫に水と豆を入れて一晩おくだけで味わえる
と喜ばれています。
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