King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

お雑煮の餅と正月と

2015年01月04日 11時00分16秒 | 日々のこと
皆さんそれぞれのお正月の過ごし方があるようで、
秩父の新年も暮れから花火が上がり、除夜の鐘が
あちこちから響き、人は神社に向かいます。

この普段は神社にも行かない人がお正月は神社に
お詣りして、お雑煮を囲うという家族の姿が標準
のようです。

我が家でもこのお餅を巡り問題が持ち上がりました。

我が家の近くのお菓子屋さんより毎年お餅を買って
いしたが、昨年そこのご主人が亡くなり、あっさりと
事業は廃業となり我が家の毎年の安寧の元が路頭に
さまようことになったのです。

それほどそこのお餅がおいしかったので、さてどうしよう
となったわけで、日常の安心や幸福感も実にもろいもの
であることを知らしめました。

しかし、結果はどうでしょう。

古くからある別のお菓子屋さんから買ったり、農家の
餅とかいろいろ試した今年はまた、色々な出会いと
発見があったのです。

自分が幸福と満足を感じていた事実もこのように
視点を変え時に立場を変えてみれば新たな発見と
発展があるのです。

そもそもなぜ餅を正月に食べるのかとか正月の風俗の
もとは実に迷信臭く非科学的なものです。

それをそれと気付きつつ、それをやめることはでき
ないのです。

情報過多で時の膨大なうねりの中で時代に流されそうな
現代ですが、ふと立ち止まり自分の状況を客観的に
見直してみるのも必要だと感じるお雑煮の餅でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする