こりゃあだめだと思ったような目指すものと違う
豆が焼き上がることがあります。
しかし、それが意外といつもの豆よりうまかったり
失敗だと思った豆がこリゃ売らなけりゃと思う味に
仕上がっていたりという事はたまにあります。
自分一人で焼いているとこんな失敗のような成功は
きっと焙煎機に意思があり、おれの力を知れよと
その力の片鱗を表すのではないかと思われます。
というのはそんな失敗のような成功はいつも焼いている
豆にほんのわずかな変調というか不満というか違和感が
漂うことで、焙煎機をいじることになります。
そのいじり方で排気の吸い込みが格段に上がったり
今まで以上にカロリーを上げることが可能になったり
今まで以上に繊細な調整を要求されるようになったり
焙煎の要求に応えるかのようにあちこちいじり清掃し
調整しみがきそして焼くという繰り返しが単に焙煎機
との会話ではないのだと確信します。
それは豆の声だったり、珈琲という抽出液からの声
だったり、自然と秩父というこの地と日本人という
アイデンティティーとそんな諸々全てを感じて考える
果てにあることだと感じます。
茶室という小宇宙がお茶の世界で必要だったというのも
味わうということとはそういう精神世界の構築であり、
そんなものが整ったうえで伝えることもあるのだと
思うこのごろです。
King Diaryも家元制にしようかなどと。
豆が焼き上がることがあります。
しかし、それが意外といつもの豆よりうまかったり
失敗だと思った豆がこリゃ売らなけりゃと思う味に
仕上がっていたりという事はたまにあります。
自分一人で焼いているとこんな失敗のような成功は
きっと焙煎機に意思があり、おれの力を知れよと
その力の片鱗を表すのではないかと思われます。
というのはそんな失敗のような成功はいつも焼いている
豆にほんのわずかな変調というか不満というか違和感が
漂うことで、焙煎機をいじることになります。
そのいじり方で排気の吸い込みが格段に上がったり
今まで以上にカロリーを上げることが可能になったり
今まで以上に繊細な調整を要求されるようになったり
焙煎の要求に応えるかのようにあちこちいじり清掃し
調整しみがきそして焼くという繰り返しが単に焙煎機
との会話ではないのだと確信します。
それは豆の声だったり、珈琲という抽出液からの声
だったり、自然と秩父というこの地と日本人という
アイデンティティーとそんな諸々全てを感じて考える
果てにあることだと感じます。
茶室という小宇宙がお茶の世界で必要だったというのも
味わうということとはそういう精神世界の構築であり、
そんなものが整ったうえで伝えることもあるのだと
思うこのごろです。
King Diaryも家元制にしようかなどと。