King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

焙煎機の心

2015年01月24日 11時25分07秒 | 珈琲
こりゃあだめだと思ったような目指すものと違う
豆が焼き上がることがあります。

しかし、それが意外といつもの豆よりうまかったり
失敗だと思った豆がこリゃ売らなけりゃと思う味に
仕上がっていたりという事はたまにあります。

自分一人で焼いているとこんな失敗のような成功は
きっと焙煎機に意思があり、おれの力を知れよと
その力の片鱗を表すのではないかと思われます。

というのはそんな失敗のような成功はいつも焼いている
豆にほんのわずかな変調というか不満というか違和感が
漂うことで、焙煎機をいじることになります。

そのいじり方で排気の吸い込みが格段に上がったり
今まで以上にカロリーを上げることが可能になったり
今まで以上に繊細な調整を要求されるようになったり
焙煎の要求に応えるかのようにあちこちいじり清掃し
調整しみがきそして焼くという繰り返しが単に焙煎機
との会話ではないのだと確信します。

それは豆の声だったり、珈琲という抽出液からの声
だったり、自然と秩父というこの地と日本人という
アイデンティティーとそんな諸々全てを感じて考える
果てにあることだと感じます。

茶室という小宇宙がお茶の世界で必要だったというのも
味わうということとはそういう精神世界の構築であり、
そんなものが整ったうえで伝えることもあるのだと
思うこのごろです。

King Diaryも家元制にしようかなどと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする