King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

寒い夜にはレトロ体験で

2015年01月08日 23時51分23秒 | 日々のこと
昨日は久しぶりに夜走ってきましたが、その際
秩父で撮影されている珈琲屋ものがたり紅雲町
珈琲屋こよみのセットは元の店の姿に帰っていて
撮影が終了していることを知りました。

後は春のドラマ放映を待つのみとなりました。

さて、そんな架空の街の物語がなぜ秩父の一角で
撮影されたのかということについては諸々の条件が
あるなか、納得できる住民側からの答えとして
街並みが持つ力があると思います。

それを実感できる体験を今日はしてきました。


それは何かというと、すっかり御無沙汰なジムでの
トレーニングの後に今まで行ったことのない今にも
つぶれそうな銭湯に行ってきたのです。

ついこの間まで、秩父には三件の銭湯がありましたが、
増える日帰り温泉施設とは裏腹に庶民の施設で、住民の
日頃の湯としての銭湯はまたいつなくなるともしれぬ
施設です。

つい先日、三件のうち一件が無くなり、これはいつまで
残りの二件もという感じになりました。

となると無くなる前に行っておかなくてはならないと
思い行ってきました。

銭湯というのは接点のない人にはまるで気にならない
目立たない裏路地にあり、利用したことがなければ
別にその存続など関係ない話でしょう。

私などは、幼年期は毎日利用していた施設であり、
幼い日の思い出とともに関係する記憶は数多くあります。

無くなってしまう前に見ておきたいという衝動と同時に
この寒さの中走った後とかジムの後にすぐにお風呂に
入りたいのに自分の家の風呂を沸かす時間が惜しいと
なるとこういった施設も利用し甲斐があります。

別に日帰り温泉施設でもいいのですが、混んでいて
あの独特の臭いと入浴感があまり好きでなくて、今回は
一度もまだ入ったことがない道生のたから湯にしました。

場所もさることながら全体の佇まいはいつ消えてしまっても
不思議でない、時代と時に忘れ去られたような異次元スポット
のようです。

昔のままがそのままあるという不思議な空間で極上の
リラクゼーションとか清潔感とかとは関係なく、自分の
スィートスポットをぐいぐいついてくる感覚は一般の
人に理解できるでしょうか。

例えば一度も銭湯なる物を経験したことがなく、所謂
スーパー銭湯のような日帰り温泉を利用している人
からすれば只のおんぼろ施設としか感じないのでしょうが、
幼い日の自分にあっているような感覚にとらわれる私には
とてもたまらない経験となりました。

こんな時代に取り残された施設もいつまであるか解らない
となるととても惜しい気持ちになり、またいつか訪れたい
と同時に多くの人に昭和体験をしに秩父に来て銭湯も観光
ルートのひとつにしてもらいたいと思うのでした。

ちなみに入浴料が370円。壁画は銭湯定番の富士の絵でした。

秩父でハイキングや旅ランをした後に、または同じくレトロな
パリー食堂で食事して銭湯に入るという懐かしい昭和や大正に
旅してみるという銭湯を加えた旅ははいかがでしょうか。
コメント
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