King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『それから』読了

2015年06月20日 12時24分13秒 | 読書
『三四郎』を読み、続いて『それから』を
当然のように読み進めました。

若い時に親しんだストレイシープや青木繁の
海の底の女の絵だとかが出てくるたび、ここで
出て来たんだとかおーこれこれと懐かしく感じ
今になってこの本を読んで解ったこととかそういう
ことだったのかとか年をとってわかったことも
多々あり、若い時にこう感じたという事も思い出したり、
現代の作家が漱石によってできているという事実も
強く感じました。

そして、瑞々しく描かれる明治の代が実に現代に
通じる現代人の憂鬱が既に明治時代にも存在し、
我々平成の世の人が如何に物質的に豊かになり、
情報に敏感になったものの既に明治の代にあった物から
脱却できていないという事実も感じ愕然とするのでした。

漱石の本など自殺者や友人の妻に思いを寄せる無産の人
とか世の中に何の影響もないどうでもいい人を主人公に
描いているのに、なぜ現在も読み継がれているのか
それが解る気がしたのが今回の読み直しです。

この項続く
コメント
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