『三四郎』を読み、続いて『それから』を
当然のように読み進めました。
若い時に親しんだストレイシープや青木繁の
海の底の女の絵だとかが出てくるたび、ここで
出て来たんだとかおーこれこれと懐かしく感じ
今になってこの本を読んで解ったこととかそういう
ことだったのかとか年をとってわかったことも
多々あり、若い時にこう感じたという事も思い出したり、
現代の作家が漱石によってできているという事実も
強く感じました。
そして、瑞々しく描かれる明治の代が実に現代に
通じる現代人の憂鬱が既に明治時代にも存在し、
我々平成の世の人が如何に物質的に豊かになり、
情報に敏感になったものの既に明治の代にあった物から
脱却できていないという事実も感じ愕然とするのでした。
漱石の本など自殺者や友人の妻に思いを寄せる無産の人
とか世の中に何の影響もないどうでもいい人を主人公に
描いているのに、なぜ現在も読み継がれているのか
それが解る気がしたのが今回の読み直しです。
この項続く
当然のように読み進めました。
若い時に親しんだストレイシープや青木繁の
海の底の女の絵だとかが出てくるたび、ここで
出て来たんだとかおーこれこれと懐かしく感じ
今になってこの本を読んで解ったこととかそういう
ことだったのかとか年をとってわかったことも
多々あり、若い時にこう感じたという事も思い出したり、
現代の作家が漱石によってできているという事実も
強く感じました。
そして、瑞々しく描かれる明治の代が実に現代に
通じる現代人の憂鬱が既に明治時代にも存在し、
我々平成の世の人が如何に物質的に豊かになり、
情報に敏感になったものの既に明治の代にあった物から
脱却できていないという事実も感じ愕然とするのでした。
漱石の本など自殺者や友人の妻に思いを寄せる無産の人
とか世の中に何の影響もないどうでもいい人を主人公に
描いているのに、なぜ現在も読み継がれているのか
それが解る気がしたのが今回の読み直しです。
この項続く