King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

モカものすごいところ

2016年08月07日 12時50分50秒 | 珈琲
自分がスバルにしたからか町ですれ違う車が
意外にスバル車の増加を感じます。

その性能の高さと安全性などアピールする点が
多いのにもかかわらずあまりに知名度と販売力が
弱いため世に出ない車と思っていましたが、意外と
よくすれ違います。

やはりわかっている人は解っているのだと勝手に
思うのでした。

一方威嚇的なデザインと派手な電飾の車ばかりが増えて
やたらまぶしく夜などそんな光が必要かと思ってしまいます。

車好きは色々なタイプがいて、古い車を愛する人や、
新車を常に乗りたがる人や、とにかく車を大事にして
床の間に飾るばかりに磨き上げる人などその愛し方も
それぞれです。

でもほとんどの人が誰かに誇示する為にそういった行為が
終始しているのが大方ではないでしょうか。

誰かに自慢したかったり、乗せて自慢したかったり、
人とは違うというのを誇ったりするのです。

一方実用主義の人もいていらない装飾やらオプションを拒否して
洗車なども滅多にしないという人もいます。

そのくせ、足回りにタイヤやらを交換してマフラーを付け替えたりと
いじっていたりします。

珈琲も人それぞれで自分はブルーマウンテンしか飲まないという
人がいたり、モカが一番だという人がいたりします。

そもそもモカの何を知っているのか、ブルマンの何を重んじているのか
聞いてみると明確に答える人もいますが、ほとんどはそんなこと聞かれること
すら思ってもいないのです。

そんな脳内マニアは結構います。

最近当店でも味の話をすると妙な切り返しを受けるからと味の
話をする人はめっきりと少なく、独自の珈琲論など滅多に聞きません。

こういう珈琲が飲みたいのだという切実な訴えも相談もないのです。

わざわざ当店のようにわかりずらい辺鄙な店に足を運ぶくらいだから
当然珈琲についてのこだわりがおわりかと思いますが、なにをどうしたい
というものも具現しずらいらしいのです。

そんな悩みの人に珈琲の根源的なメッセージを受けてみませんかと
よく出すのがエチオピアのモカです。

こんな暑い日でもこの一杯で生き返るようです。
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作らないことでの保存と復興

2016年08月07日 12時29分44秒 | 日々のこと
先の100分で名著は坂口安吾の堕落論でした。

戦後の復興に対して奈良や京都の文化財に金を投じるより
停車場をつくれという精神の健全性を説いたところは現代に
通じるところがあります。

いま日本は多額の景気浮揚のための財政出動を重ね、膨大な
負債を抱えています。

さらにオリンピックまでやってその財政支出もどれだけ膨らむのか
という感じです。

そもそもこれだけ公共事業やらエコポイントやら地方創生事業など
やってもちっとも景気浮揚せず失われた20年といわれる状態なのか
今までやってきたことを見直して増税と福祉切り捨てをどうするのか
考える時期に来ているのではないでしょうか。

東日本大震災や熊本大震災で復興が言われていますが、金が余っている
なら熊本城などすぐにでも国の財政で立て直すべきですが、しかし、これは
このままこれ以上崩れない程度で済ませてもいいような気がします。

というのは今ドイツなどは城を売りに出す人が増えているといいます。

中では1ユーロなどという破格値もあります。

なぜかというと建て直す金がないために所有権を譲り金のある人に
修繕を託すというのです。

日本の城は観光用に建て直した鉄筋のものが多いのですが、ドイツでは
城は当時の建て方でしか修復は許されず手間も金もかかるといいます。

神戸淡路大震災の時には崩れた建物や新たなショッピングモールを
建造したものの人々が戻らなかったりスラム化したりと課題が明らかに
なったという報道がありました。

それを受けて建物や施設を元通りにしても産業は戻らないという
人重視の復興が求められています。

しかし、予算を付ける人はやはり箱物重視で執行しても効果の検証や
復興の工夫にはまだまだという印象が拭えません。

ここで人々はもう一度堕落論を読んで復興とは考えて有効な施策を考えるの
もいいのではと思いました。
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夏休み希望

2016年08月07日 10時44分25秒 | 日々のこと
熱波にあぶられるここ数日。

テレビではリオデジャネイロオリンピックが開幕し、
毎年繰り返す原爆の日の話題があふれます。

わが町内ではこの炎天下の中、毎年恒例の床下消毒と
いう行事があります。

私が理事の時に参加してそのものすごい業務実態を
経験しましたが、なぜこんな暑い最中にやらなくてはならないのか
謎です。

消毒の機械を道がないような山の斜面の家に運び上げたり
回る家々でああだこうだの話があったり、やってみなければわからない
ことの連続です。

やってもらう方も朝からいつ来るかと準備をして落ち着きなく
朝飯を食べてゆっくりと珈琲も飲めません。

この床下消毒をやっている町内というのはもはや秩父でも
少数派らしく現代の建築様式ではベタ基礎の家が多くそもそも
消毒の必要がないというのです。

私が子供のころ、この消毒というのは家全体を薬剤散布して
いましたが、それがいつの間にか床下だけとなったのです。

そうそうこういう昔はとか私が子供のころはとかというフレーズが増えたのは
危険水域を感じさせます。

自分はそういう昔語りはしないと思ってきただけにそれでもそれが出てくる背景が
経験とか歴史とか必要になっているのだなと感じるのです。

そもそも毎年繰り返す原爆の日と終戦記念日に戦争を繰り返さないという誓いとか
平和の願いとかいわれますが、この終局の時代背景とか日本の動きとかについてもっと
日本人は見直してさらに自戒し平和への思いも考えていった方がいいのではと
毎年思います。

つまり、この終局の仕方がまずかったからいまだに解決しない北方領土問題や
原爆投下につながったのではないかと考える方が先だと思うのです。

当時の鈴木貫太郎内閣の発足当時すでに硫黄島陥落、四月には旗艦戦艦大和も沖縄に向かう途中に沈没という状況でこれからは如何に終局をするかというのが
焦点であり、戦後処理が1945年4月には各首脳が話し合い、ヤルタではソ連と米、英に
よる密約があり、終戦処理が話し合われていました。

それを知らずヒットラー自決とドイツ降伏を五月に知り、内閣は陸軍の本土決戦と
徹底抗戦を退け敗戦を受け入れるわけですが、頼みにしたのはヤルタ密約で参戦して
くるソ連に中立的な立場である国として仲介を頼むのです。

この時の情報として国際的な力関係から大国の次の目線を全く顧みずにとにかく
強硬な国内勢力から国体の護持という真に守るべきものの意義とかこの辺の権力中枢と
国家意思の動きを顧みてこそ平和への付託も露になるのではないかと思います。

よく、小説や映画などで終戦を描く場合日本の一番長い日として玉音放送を
必死に守り終戦に至ったという描き方で当時の終わり方も多くの無垢の国を守る
心で貫徹された感動秘話に仕上げています。

そして、終戦記念日として15日を特別な日としているわけですが、これは日本だけ
のことで、これについて疑問を持つ人はいません。

問題は四月に軍人のかつての英雄であり、レジェンドを総理大臣にして終局を
模索しなければならなかったという点であり、最低でもソ連の参戦を許さず
原爆投下のない歴史が可能ではなかったかを考えるのは今の平和を考える上で
重要ではないでしょうか。

まずは日本だけが終戦というと八月十五日をあげて全く疑わないし、その後も
ソ連は連合軍総指揮官の攻撃中止も無視して各地で攻撃を継続し、戦艦ミズーリ
上での終戦文書調印も無視して戦闘を続け、樺太、対馬、歯舞、積丹、択捉、国後を
占領しやっと攻撃を中止ます。

もし、八月十八日に出された北海道上陸命令が実行されていれば北海道さえ侵略されたままになっていたでしょう。

多くの日本人はこういった歴史的事実は知らず、八月十五日に全てが終わったという
歴史認識を受け入れ、毎年黙祷しそのまま思考停止しているように見えます。

八月十五日は終戦記念日は記念日でよいとして、それは平和が実現した日ではないという
歴史認識と国際標準的認識として第二次世界大戦の終戦は九月二日であるという現実を
知り、それがなぜかというところまで考えないといけないでしょう。

これが毎年この時期考えることです。

今年の夏はさらに暑く、昨年のように伊香保ハワイデイにも行ってなくてそろそろ
本格的な夏のリゾートがほしいところです。

ところがいま出かけるとどこに行くにしてもものすごい渋滞と人の波というのが
毎年の定番です。

近場の伊香保辺りがお手軽でやはりベストなのかも。

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