King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

清志郎をプロファイル

2020年03月15日 14時02分43秒 | 日々のこと

3月5日放送のプロファイラーは『忌野清志郎 キング・オブ・ロックの憂鬱』でした。

例によって録画して先ほど見るといつものようになぜ死んでこうも定期的にとりあげられるのは

どんな需要があるのかと思ってしまいます。

 

私が清志郎のコンサートに通っていたころは3000人位のキャパの会場がメインですが、会場によっては

当日券があったり地方ではソールドアウトも難しいようなそんな寂しいファンとしてはそんなに売れない

人で、本人もヒット曲が欲しいとか売れたいとかいうものをメディアに語っていたし、同時代の小田和正とか

桑田佳祐と比べるとヒット曲の数も一度の動員数も違うわけですが、決して実力的に力負けしているとは

ちっとも思わないのです。

 

今回今までのように取り上げられてまた新事実とか新発見があったわけでもなく、いつものような

内容だったわけで、ゲストの大宮エリーなどは自身のHPで夢と野望の人生という題にしていますが、

間違いです。スタッフが適当なのでしょうが、ゲストとしてもどうせ適当な仕事をしているのだろうことは

想像できてしまいます。

 

今回の番組で少し違うとすれば声帯をとることを勧められるが拒否してあえて死を近くしたという点が

問われたことです。

 

番組では語られませんでしたが、ファンは最後のアルバムでは声がかすれひどい歌声でその異常は

発表のある前から感づいた人が多かったのですがそれは大っぴらには批判されることもなく、ただ、

入院から復帰するときにNHKのsongsという番組で歌ったときに前よりいい声だと声がかかったり

ファンは実際に声にすることはなくても知っていたのです。そして映像で流れた復活祭とされた最後の

武道館ライブの映像で何度も出てきた完全復活しちゃいましたという本人の言葉にファンは酔ったの

ですがその一年と三か月後に死の報に接するのです。

 

キングオブロックと公言しても彼ならだれも文句言わないし、だれもが認めるというのも彼だからと

いうのも納得ですが、ファンとしてはこのフレーズに何やら苦いものも感じるのです。

というのも彼が出したアルバム『King』これはキングレコードにあてこするようないみもあり

彼独特のセンスともはやキングとつけてもだれからも文句は来ないということで付けたと本人も

命名のいわれを述べており後に出したのが『GOD』でおいおいどこまで行くのという危ぶむ感じも

やばい流れのようなものも感じていたのも事実です。しかし、それをやってしまうのが清志郎であり

声帯を失ってまで生きないというのもキングオブロックの生きざまでありファンへのすべてが

メッセージだったんだなあといつも思います。それを生半可なプロファイルで番組にして語られるのも

はんちくなゲストに語られるのも実に面白くないのです。まあでも流れれば録画してみてしまうわけで録画は他の

番組のように消すこともできずということになるのです。私のハードディスクにはそんなのばかりです。

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