King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

年度末に聞く悲愴

2024年03月31日 17時59分45秒 | 珈琲

ベートーヴェンビアノソナタ悲愴ショパンバラード第1番、ノクターン第1番ノクターン第2番ドビュッシーアラベスク第1番バッハパルティータ第1番ブラームスの8つのピアノ小品集と盛りだくさんな演奏会を聞きました。
場所はいつもの伝承館ホールで地元ピアニスト高橋望の演奏でした。
以前は譜面を睨みながら聞く人もいたので、かつてピアニストの本でやって欲しくないやるべきではない行為と読んだことがあったので、本人にどう思うか聞いたとことがありました。自分もやっていたから気にしないという答えでした。ですが、今回望氏は全ての曲は暗譜されていたようなので悲愴のような有名曲は同業者なら暗譜の上何を挟んでで何を省いてなんてのはお見通しなのかもしれません。私とて色んな人のCDの演奏は記憶していますがとにかく生演奏はCD以上に豊かな奏感を与えてくれ僅な音の違いなどより時空の変換のようなものを感じます。
またあるフォークシンガーの方に聞いた話では秩父の人はこことここが間違っていましたねと指摘されたとプロレベルの点検のような聞き方で楽しまれてないという指摘でした。それを敢えてなぜ私にしたかはその人が私のブログで
普段の感想を読まれているから話をしたようです。
解り合うこと通じ合うこととはと考えさせられるこの年度末に聞いた悲愴は今までに何度もCDで色んな人の演奏を聞いているのですが生演奏はなんともいえない贅沢な時間のなかにいる、それも聞いている時間だけでなく一連の朝から昼何を食べて今に至ったかという全てが特別なことと気付かせてくれる時間なのです。
なんでもないことが幸せだったと気付くとはドラマでも歌の歌詞にもありますが、そんな苦労や絶望を経験しなくても今が染み、今みた風景や朝眺めた山やお昼に食べたものや秩父という地が特別に思えて脳内麻薬もバシャバシャ湧きまくりなのです。
年度末最後の日曜でちょっと荷物の配送に出てあまりの暑さにビックリしいつもと違う車の流れにいらだったりしても、なぜか悲愴の音階を思い出して春だなあと皆さん遊びに来てるんだなあと思ったりしているのでした。
年度末の買付は色々な話をいただきましたが、この円安は一時的なものであり買い場は夏頃やってくると思います。
それでも紅海封鎖でどこの商社も問屋もモカやエチオピアは壊滅状態なのに当店はエチオピアモカイルガチェフのナチュラルを仕入れられたのです。
安いスペシャルティや味のよく珍しい豆などを売りにしてやっていけそうな春なのでした。





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