昨日の夜ランニングにでると営業を始めた飲み屋の明かりとそぞろ歩く
酔客が目立ち、開いてる店も今までになく人であふれていました。
ニュースでは先週を上回る感染者だと報じ、桜の名所に人があふれる映像も
見られます。既にリバウンドが始まっているかのような報道の中、今朝は
聖火リレーがスタートしたと報じられましたが、そのよそよそしさととって
付けたような復興ということで福島スタートという虚構も同感も共感もない
映像となっていました。
なぜあの時中止にしなかったのかとならないといいのですが。
まあ海外からの観客を諦め、それでもやる意味があるのかとつくづく思うのでした。
前にも書いたようにオリンピック需要とは主に道路や施設の建設需要でそれらは
もう完成しており、恩恵は受けているのです。あとはインバウンド需要ですが、それは
海外からの観客でそれらを受け入れないことになった以上、あるのは感染の拡大の
危険しかないのです。それでもやるのかというのはもはやIOCのマフィアのような
拝金主義のためとしか思えません。
今の自由時間はアマゾンビデオでは『ミスターロボット』で、読書時間は文芸春秋でした。
その文藝春秋は芥川賞発表の刊で買われたものですが、実はもうその目的というか最近の
受賞作に魅力はなく読む気もなかったのですが、家人がおうち時間充実にと買ってきたもので
久しぶりに受賞作を読むことになりました。
宇佐見りん『推し、燃ゆ』です。
ニュースで受賞の報を聞いた時にはその名前から興味があったのですが、直ぐに今までの経験上
やはりいいかと思ったのです。そして、実際に読んでみてもそれは変わりませんでした。
アイドルを支持し貢ぐことで生活が成り立つ高校生がそのアイドルが引退してしまうことになり
陥る顛末と自己発見という物語としてはよくあるものです。ただ、アイドルを推すという気持ちとか
それにのみ生きる意味を見出すという特殊ケースが共感を生むかというとそれは甚だ無理なものと
いうのが現実ではないでしょうか。
それに推しを研究し分析した結果をブログに書き一定の読者も得てガチ勢と認定も得るに至り、その
成功があれば現実の高校生活や勉学もその経験で乗りきれるはずと思えてしまいます。
まあしかし、それがアイドルがファンを殴り炎上してアイドルもやめてしまうという喪失の中、
主人公が陥る境地がテーマなわけで推しにより成功してしまったら物語が成り立たないのです。
まあそんな基本的欠陥を含んだ構成で喪失からの再生というのはよくあるテーマであるし、
自己修復か自己再生、自己発見となれば文学的共感とか感動とかになるわけです。
選者の人の評でも齢も環境も違い共感出来ずそれでもこの作に票が集まったというのは
この構図という構成が王道であり、票を入れやすかったのかというくらいの読後感に
なってしまいました。
時代はコロナ禍での生活であり、その新しい生活様式が言われる中、人類が考えるべき指向性
とか新しい時代に新しい虚構が必要な気がしました。
現実には先週書いたようにこの一週間と一年を比べてやり遂げる達成感とその後に現れる
完ぺきに戻ったものがもたらす物足りない感じとかを感じてつまりこの自粛生活も晴れて
解除になってもそれは期待し待ち焦がれた割に訪れてみるとあまりに普通なのだろうという
気もし始めています。
つまり、今の新様式とか新しいコロナ禍での生活がもたらしたものやこれからもたらすものは
ぜひ今書いておかなくてはいけないことだという気が余計しました。
人類が選択した脱炭素社会で私たちが思っている以上にこの後環境は激変してくるのではと
思います。それはコロナで経験した人と接しない生活とか密にならない生き方とかそれでも地域と
人が連携して生きていく術とかを模索する時でそれは携帯電話がただの電話からスマホになり
ネットと生活、キャッシュレス社会を加速しているように今後は車がスマホと一体となり、
ガソリンから電気となり、移動と仕事の概念も変えていくと思われます。そんな今だから書けること
やテーマが取り上げられていない不満ばかりが残る芥川賞でした。
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