King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

どんなかわかるのが

2012年01月30日 10時01分14秒 | 珈琲
色々接客をしているとその人が出している
無言の欲求というのを受け取るのは大事だと
感じます。

重要な要素と言ってもいいでしょう。

ただ、単純な事を欲求して来店する人も
いるし、何か怖いもの見たさとか、探訪
ということでとにかく覗きに来てみたというのも
最近の傾向ではあることです。

珈琲豆屋に来ているというのは、おいしい珈琲を
探してというのが大きいと思います。

そして、その人その人に欲求する味かイメージが
あるものです。

それは話してみると感じる事が出来ることも
あります。

本人も気がつかないけれど今の、今までの
珈琲に不満を持っていて珈琲に掛ける物が
あるのだけれどそれはなんだか解らないと
いう切実な場合もあれば、ひょっとしたら
あるかもしれないという夢の話の続きを
しに来た場合もあるのです。

でも、継続して来店している人と勇気を振り絞り
訪ねてきた人と出会ってしまった的に顔を出した
人と日常の珈琲に重みを置くかおかないかの違いが
話してみて現れます。

切実な感じが満たされた様を見ることもあるし、
自分が何に対峙したか理解されないこともあり、
これはこれで面白いのです。

これらの事を総合するともっと広がりのある行動で
静かな欲求を満たすこともできるのではと感じます。

人の欲求というのは意外と解決という解がないのが
理解されない物です。

それでも答えを用意し続ける事。結末のシーンを
用意する事。見せて上げる事の大事さも感じます。

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