King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

アヤメかカキツバタ

2019年05月17日 10時05分29秒 | 珈琲

今朝の目覚めも昨日と同様一回も目覚めずに朝を迎えました。

 

 

そして、夢もしっかりと見ました。昨日の夢は苗場の特別オーナーズルームのような

会員制リゾートにいる夢で、今日は珈琲に関するものですが見方が変わっていました。

 

運動強度や疲れの蓄積とか色々と影響はあるでしょうが、この夢を毎日見てそれが変化

しているという別次元で物語が進んでいるかのような不思議な状況は毎日楽しみになって

きました。

 

さて、庭の木々の新葉ももはや前の物と見分けがつかないほど成長し、風に揺られる様は

悠久の時を感じさせています。この時期木の葉の状況をよく観察していると色々な虫がいて

それをついばみに来る野鳥や厳しい命のやり取りがされているのですが、それを人は傍観者の

立場で見たり管理者のつもりで介入したりとするわけですが、他の庭を見ればそれはどう

そこの人が感じて庭を日々眺めているかはすぐわかります。

 

私の昔の記憶で強く残っている今時の記憶としてはバラの木です。バラは虫が付きやすく

庭に植えるのを嫌う人もいます。とげがあるから嫌いという人もいます。私はバラはとにかく大好きで

バラのアーチとかモネの庭のようにバラを植えてみたいという野望もあります。

 

そのバラが昔育てていてそれが虫にはを食べられたといって騒ぎその虫を退治せよという命が

下されました。しかし、もはや食い荒らされた葉だけで虫の姿はありません。どうするのかと聞くと

これは夜光虫の仕業なので朝五時に起きてまたみてみろというのです。翌朝言われたとおり朝起きてみると

大きな虫がいたのです。白い芋虫のような虫がむしゃむしゃと葉を食べており、それはなんとも感動的な

事件に感じ虫に勝利した達成感のようなものも感じました。

 

この様に庭の植物を愛する人は日々の変化を観察して草木が健康かどうか会話して、自身の体も健康か

どうか木に見てもらっているのだと思います。

 

そんな目に見えないものの会話の果て、当家に私の好きな花が自然と集まり、今だとオダマキ草と初雪カズラ

などが見ごろとなっています。また、この時期咲くものとしてどこの庭にもあるアヤメやカキツバタなどの

花があります。カキツバタといえば根津美術館の尾形光琳の屏風があり花を思い浮かべますが、実際にその

違いがハッキリとは記憶していないのも事実で、花の形と色は屏風の色と形とも思い出せますが、実際に

咲いてる花は各家庭に今でもあるのにどうも同じもの同じ花としてのイメージが湧かないのです。

 

昔にその違いを完全に覚えていた時もありましたが、今では何やら怪しくなってしまい、

特に区別しなくなってしまいました。

 

それでも尾形光琳の描く屏風の花はすぐ浮かぶし、その配置と色と琳派最高の美が彼の人生と

当たり前に家名に乗って絵を描いていたなら当然あり得なかったであろうことを今見ているんだと

いう感動はやはりこの時期見てこその味わいがあり、実際に庭に咲いたカキツバタを見てそれにちなんだ

料理など食べ諸々と重ねて味わうとまた広がりに満足するのでした。

 

そういうものが人の営みとか旅とかに通じて何かと人を呼んでまた物語ができるのです。

 

ところが最近はあまりに人工にそれらがこじつけられていたりインスタ映えなどという

見た目だけの流行りに終始していたりして口を開けばやべぇとしか言えない人ばかりと

暗澹たる気分になるだけです。

 

さて、昨日も触れた過去の罪についてもう少し書くと、アランチューリングという天才に

ついて映画ではその天才が戦争を早く終結させたのに当時性的志向が罪に問われて自殺に

至ったという描かれ方をしており、性差別とか人種差別というのがついこの前まで先進国では

当たり前だったという事が思い起こされるのです。

 

今では当たり前のことが当然に法として禁じられていたりというのは一見進歩の兆候と成果の

ようですが、イランや北朝鮮に今行われていることや世界情勢など果たして進歩しているのか

平和と人権は昔より守られているのかというのは甚だ疑問なのです。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 思考する機械と過去の罪 | トップ | ローカル路線バスの旅の感想 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

珈琲」カテゴリの最新記事