今週も色々なお客様にご来店いただきありがとうございました。
来週の頭からまた店主スキーのため留守となります。大変ご迷惑をおかけして
申し明けありません。
雪の予報でしたが秩父地方は少し降っただけで積雪はなく、また次の日も雪の予報ですが
積もる感じではありません。
それでも降ってしまうとなかなか外で走る気持ちも萎えてしまい、走る機会を逸するので
雪の予報の時には積極的にいつもより走る気になります。
さて、ここのところの走りは10Kのパーマネントコースで以前の13Kのコースと比べ
軽めとなっています。ペースもジョギングペースとなりそれでもたとえ一キロでも
本来のランペースKあたり5分を出すよう努めています。
このランモードかジョギングでよたよたと走るのではまるで効果が近い、ランモードに
なると体の機能もやっとスイッチが入り、本来文明社会で生活して忘れていた野生の
体の機能とかもともと組み込まれた機能などが復活する感じがします。
走っているとお年寄りの人が盛んにウォーキングをしているのと出会いますが、彼らの
目指す寿命を永らえようとしての運動なのでしょうが全くの無意味だし、効果もいかばかりかと
いう感じをいつも持ちます。中にはウォーキングを始めてやせたと本気でおっしゃる老人も
いますが、例え1時間歩いたとてどれだけの消費カロリーか考えたら解る通りたいした
影響はありません。
もし痩せたいのであれば二時間ぐらい走らねばなりません。それに私は別にこれて
寿命を延ばしたいとか健康になりたいと思って走っているのではないのです。
人間が走るために進化したのは明らかでアフリカで森を出てから獲物を得るためには
長い時間走り続けるという能力が必要になったのです。
文明社会に暮らすようになり、もう走ることも必要なくなり、それではもう走らなくて
いいのかという疑問もありますが、本来人間の体は長時間走るように進化してその機能を
忘れて座り続けて飽食するから生活習慣病とか他の動物にはない様々な病気を発病します。
健康で快適な生活するには走るしかないのです。
そんな私もこの夏から冬にかけもう年だとかそんなに長距離をずっとK5分ペースで走る
事もないと内向きな気持ちになり、走る目標もかすむような状況でした。暑いと言っては
途中で歩いてしまったり、寒いと言ってはペースを落したり距離を縮めたりと消極的に流れて
いたのです。
もう年なのでずっとK5分も出せないと勝手に思ってペースを落したりしたものの、
桜橋から公園橋の三段坂を上り、公園橋を渡るといつになくランペースになり、
そのまま自宅まで走れるのです。このコースは以前にも三段坂を越した後のペース
アップを経験しており、あの坂を上るという行為が何かを活性化させるようです。
もう速度が出せないと勝手に思う以前に全然衰えていないし、鍛えればそれに応えると
いうのがこの坂道の教訓です。勝手に老け込むこともなく、あきらめることもないのです。
それを教えてくれるきつい坂道です。しかし、走ってみると走り出したころはこの三段坂を
辛く、人をあざ笑うかのように次々に現れる三段の坂に感じるのでそう呼んでいましたが、
今ではそんなに辛いとも感じず、登ってもまた次に坂になり、上ってもまた坂になるという気持ちを
萎えさせ、砕く感じもなくなりました。逆に体が活性化するのか坂を上り切り、公園橋を渡る速度は
あの風を切る音が耳に感じるランペースになるのです。
今の気温でもこのペースなら汗がだらだらと流れます。
そして、体がポカポカしてそれが寝るまで続くのです。これがどれだけ睡眠の質を上げるか
体験した者でないと解りません。つまりこの睡眠を得るためにランモードで走るという行為を
していると言ってもいいかもしれません。
これはスキーと温泉の旅で一日中夢中で滑りさぞよく眠れるだろうと思って寝ても
ランニングで一時間ほぼランペースで走るきるのとでは質が違います。
ホテルでは枕が変わったり、温泉の質だとかベッドの硬さやまくらの高さなど色々と
要素も加わり、一概に比べられませんが、よい走りをした日の爽快な睡眠時間は他では
得られません。
本来の寝付きと寝起きのスイッチの入り方とか体のリズムとか全てが正常に本来のものになると
いった好転を感じられます。
毎日走っているといつもすんなりとランモードに入れるわけではなく、何かと言い訳を作り出しては
今日はこの程度いいやという妥協を生み出してしまいます。今日も走り出す直前まで色々と間食をして
しまいおなかが痛くなり、本来のコースに向く気持ちがなく、これではいかんとコース変更してさらに
逃げる場所をなくすために三段坂に挑んだのです。
するとおなかの調子の悪さも治まりの悪さも目の前の難敵を制するためにしばし忘れることになり、
登り切ればすっかり走れる体になっていたのです。やはりこの坂は定期的にコースに入れて気持ちの萎えそう
な時にはあえて上るべきだと感じるのでした。それだけ上る価値のある坂でした。やはり平坦道で楽をしようと
考える事態もうすでに自分に負けていると心するのでした。
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