二週間ぶりにまた軽井沢に日帰りでスキー
してきました。
三月に入り、もはや人もいつもの平日のスキー場に
戻り、めっきりと人は減りました。
車の数は前回と同様でしたが、券を買いに行くと
並んでいる人は19才の人の列だけでした。
すんなりと券を購入して、ゲレンデに行くと
滑っているは年寄りばかりという感じでした。
若い人もいますが、コースの上ではあまり目立たず、
迂回路のようなところに人がたくさんいてスキー教師と
一緒にいるのは外国人の人たちの様でした。
外国の人たちは先月の春節の頃と違い様々な国の人が
います。
緩斜面で初めてスキーを履いたような人に英語で教えている
グループなどリフト上から眺めていると初心者からなぜ
そんな難しいことをやらせるのかというような指導でした。
特に目を引いたのが、初心者にいきなり片足だけ板を履かせて
滑らせている光景でこれでは楽しくもないし、二度とやるまいと
思う人も出てくるだろうなと思うのでした。
私はスキーを一番最初に履いたのはスキーショップでまだ
ゲレンデに出る前に何も解らず初心者セットをどういう
物かもわからないまま買い求めいきなり自分の板で滑りだした
当時をいまでも思い浮かべることができます。
一緒に行った友達がどうしろという説明もろくにないまま
とにかくリフトに乗り、いきなり滑りだしたのです。
リフトから降りて見下ろすコースはまるで崖の様であり、
これをどう降りろというのかという恐怖に包まれたもの
でした。
滑るというより転げ落ちる中で、ハの字で制動できることを知り、
その日のうちにボーゲンで滑るということはできるようになり、
次にやるべきことも見えてきました。
そして、スキーの本などから斜滑降と横滑りを知り
急斜面の滑り方も知りました。
ボーゲンからシュテームターンに移り、上級者のように
板を並行にして滑ることもでき、上級者コースも滑れる
ようになった時に、もはや自分は上級者だと思い込み
あとは自己流にゲレンデのどこでも滑れるから自分は
上級者になったと思い込んでいました。
そのまましばらくゲレンデにも行かなくなり、スキーの
世の中ではカービングなる用具の進歩があり、板を並行に
して滑るという上級者の必須のスタイルも簡単に身に付く
というこの板は苦労して横滑りと斜滑降で身に付けたターン
がいとも簡単にできるというのは禁断の板のようにも思えた
ものでした。
今からやる人は簡単でいいなと思いました。
今の板は自動的にターンが始まり、角付けしてタイミングを
作ったり外向形を意識したりすることなく板に身を任して
すんなりと降りてこれるのです。
それなのに今のスクールでは初めて板を履く人にいきなり
片足スキーを強要したり、ボーゲンでダラダラと迂回コースを
降りてこさせたりしているのです。
こんなやりかたなら一切スクールにかかわらず自由に滑った
方が早く滑れるようになるのではないかと思ったりします。
私がかつて検定合宿コースで小回りを習いそれで二級合格の
きっかけを得たように本来の上達のメソッドは本当にある
はずであり今の用具に合わせた上達法と極意も存在して
いるが、オーソドックスなスキー教室ではまずそんな正統
的な技術を伝授せずよくあるようなテーマで疑似練習を
繰り返すようなスタイルに終始しているようにみえます。
この日も検定会というビブスを付けた一団をみましたが
生徒はお年寄りばかりでやっている内容は私が散々やらされた
高い位置から沈み込んでターンして二三回ターンしてみる
というものや内足重視のターンとか一目見ればなにを求め
何を要求して何をやらせたいのか解るものの続く生徒の
滑りはどれも趣旨に沿った人がいないという成果が得られ
にくい指導なのではというものです。
こういうのをみるともう二度と検定とかスキー教室には
かかわるまいと思うのですが、その反面今の悩みについて
スキー教師に対処法を聞いてみたいという欲求もあるのです。
今シーズンは長年追い求めていたものがあと少しで手が届く
ような今の滑りをちょっと先に全てが手に入るような感じを
感じつつ、気が付けばパラレルターンという基本をかなり
逸脱した自己流にも陥って自分よがりの滑りにもなっている
という自覚もあり、今こそただすために他人の目と正統派の
指導が必要だという感じもしているのです。
昨シーズンくらいでは自分ではもう体力的にも細かいリズムの
コブなど合わせられないと諦めていましたが、意外とどんな
変化でも合わせることはでき、斜面の雪質とか今までは凍った
コブなどは恐怖心が壁となりいきなりひとコブ目で飛び出して
しまうことにつながっていましたが、要はどこでどこを踏む
かだという簡単なことに意識が行き、今シーズンはこだわら
なければ滑りは演出できると思い出したのです。
この簡単な正しく踏むというのは正しく指導してくれる教室と
いうのはさがすのも難しく、スキー教室で指導員などをやっている
人はもともと地元のスキー慣れした人が多く、私たちのような
レジャーでやるスキーと上達に向けた意識が違い、どこを
刺激すればどう変わるという教えるコツなども持たず、最近は
お年寄りをほめて帰すだけの教室なども多いように感じます。
普通にパラレルターンが身に付いた人にこうすればよりよい
ターンができるという指導と気付きを伝授するということは
凡人の悩みが達人の理解は得難いのと同様、無理な望みなのかも
しれません。
同じような凡人で苦労してパラレルターンにたどり着いた人に
私はこうしたらできるようになったんですよと体験を語れる
教師などいないものです。
昨シーズンまでは板とビンディングに対して、母指球の
あたりで接していて、板についているのはそのくらいで
かかとの辺りはいつも少し浮いていて踏まずにいるような
そんな板使いだったのではないかと思います。
ところが今年あたりからすべてのポイントで板が踏める
ようになり、板の先からかかとから後ろのどこでも板の
場所を使えるようになったようで普通に今まで滑ったら
前は板の前だけで滑っていたしそこしか意識が行かなかった
ものが踏むことにより板が加速する感覚ができ、より
筋力で重力に抗するだけの滑りから踏んで走らせる
ことに意識が進んだように感じます。
そんな変化を感じるからこそちょっと教える側の意見を
聞きたいと思う気も出てきたのです。
それなのに見かけるスクールの様子は前時代的なものばかり
でどうしたものかなという感じを受けるのです。
先々週来た時にコブに入り、前のコブのままのゲレンデに
進歩のない自分の技術を感じ、今の意識で滑るとこう
変わるという実感を得るというテーマを持ってコブに
入りましたが、コブのリズム以上のことをしなければ
コブなりの滑りしかできないという当たり前の感じでした。
今思うとコブ教室でやった滑りがそのままできる感じですが、
そこまでやってもエッジで止めるのではない滑りと踏みという
今感じているテーマではないようなもどかしさを感じるのみ
でした。
これはまたコブラインを専用に滑り込みかつてやったことと
今つかみかけているものの違いを実感するしかないという
思いを強くしてあっという間に一日終わりました。
今日も最後のリフトに乗るときリフトの掛かりの人が
これで最後ですと言ってくれて最後まで乗ってくれて
ありがとうという意味でのあいさつがうれしい感じで
終われました。