久しぶりに昨日、BS映画劇場で掲題の映画を見ました。
一座の座長にはエノケン(榎本健一)、ほかにアチャコ(花菱アチャコ)、フランキー堺、三木のり平、
清川虹子、北川町子・・など懐かしい・・というよりは、それを通り越した彼方の人々の演じる喜劇を
楽しく見ることが出来ました。原作は、あの森光子を発掘した菊田一夫です。
この映画、1962年に公開されたといいますから、50年前ですね。
ちょうど入社したころですから・・自分と引き比べてみると・・・そんなに古くない?? とも思えるのは不思議な感じですね。
アチャコはこの時65歳、エノケンは58か59歳だそうですから、昔の感じがするのかもしれません。
ちなみに、フランキーは33歳、のり平は37歳だったのだそうです。
三木のり平なんかも本当に喜劇役者ですね。この人、日大法科卒業なんですね。
筑波久子に至っては慶応法科中退(肉体映画ばかりで物議をかもし中退)だそうです。
水谷良重、高島忠夫なんかもチョウ若いでした。
三木のり平は、本名、田沼則子と書いてタヌマタダシというんだそうですが、女性と間違われて、
召集令状が届いたのが終戦5日前だったとか・・。
なんで“のり平”かといえば、プログラムの印刷の時に“則子”を“則平”と間違えてしまったことから~なんだそうです。
ハィ。
大島渚監督は、とうとう他界しましたが、当時ヌーベルバークと騒がれたり映画界に“第3の波”をもたらしたと評判でした。
テレビなんかでも、マジに怒っていたりするので印象は良くありませんでしたが・・社会批判組の骨のある監督でしたね。
またまた、昨夜の国谷さんの番組(クロ現)では珍しく、映画監督木下恵介監督を取り上げていました。
木下恵介監督の作品が世界3大映画祭で公開されるという。
戦争、差別、貧困などを取り上げていることが現在にも当てはまるというのだ・・・。
“二十四の瞳”“カルメン故郷に帰る”・・など名画が多かったです。
藤山一郎とエノケンの聴き比べ
一座の座長にはエノケン(榎本健一)、ほかにアチャコ(花菱アチャコ)、フランキー堺、三木のり平、
清川虹子、北川町子・・など懐かしい・・というよりは、それを通り越した彼方の人々の演じる喜劇を
楽しく見ることが出来ました。原作は、あの森光子を発掘した菊田一夫です。
この映画、1962年に公開されたといいますから、50年前ですね。
ちょうど入社したころですから・・自分と引き比べてみると・・・そんなに古くない?? とも思えるのは不思議な感じですね。
アチャコはこの時65歳、エノケンは58か59歳だそうですから、昔の感じがするのかもしれません。
ちなみに、フランキーは33歳、のり平は37歳だったのだそうです。
三木のり平なんかも本当に喜劇役者ですね。この人、日大法科卒業なんですね。
筑波久子に至っては慶応法科中退(肉体映画ばかりで物議をかもし中退)だそうです。
水谷良重、高島忠夫なんかもチョウ若いでした。
三木のり平は、本名、田沼則子と書いてタヌマタダシというんだそうですが、女性と間違われて、
召集令状が届いたのが終戦5日前だったとか・・。
なんで“のり平”かといえば、プログラムの印刷の時に“則子”を“則平”と間違えてしまったことから~なんだそうです。
ハィ。
大島渚監督は、とうとう他界しましたが、当時ヌーベルバークと騒がれたり映画界に“第3の波”をもたらしたと評判でした。
テレビなんかでも、マジに怒っていたりするので印象は良くありませんでしたが・・社会批判組の骨のある監督でしたね。
またまた、昨夜の国谷さんの番組(クロ現)では珍しく、映画監督木下恵介監督を取り上げていました。
木下恵介監督の作品が世界3大映画祭で公開されるという。
戦争、差別、貧困などを取り上げていることが現在にも当てはまるというのだ・・・。
“二十四の瞳”“カルメン故郷に帰る”・・など名画が多かったです。
藤山一郎とエノケンの聴き比べ