蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

新島襄   (bon)

2013-01-17 | 日々雑感、散策、旅行
今年の大河ドラマ「八重の桜」から、八重が結婚した新島襄という人について、これまでも知ってはいましたが、
この際もう少し詳しく把握しておこうと思いました。

NHKのドラマでは、いきなりアメリカ南北戦争が出たり、黒船が来たりで始まりましたが、その時代なんですね。

山本八重は、会津藩の砲術師範であった山本権八の子として誕生し、戊辰戦争時には断髪・男装し家芸であった
砲術を以て奉仕し、若松城籠城戦で自らもスペンサー銃を持って奮戦した・・とあり、
会津のジャンヌダルクとも呼ばれたとか。 
戊辰戦争が始まる前に、八重は結婚していたがその後離婚し、明治になって兄を頼って京都に来る。
それで、新島と結婚することになったのだが、男勝りの彼女の自由な生き方に新島は惚れたようだと・・。
妻のことを“ハンサムウーマン”と呼んでいたらしい。

たまたま、この月曜日の鶴瓶の“家族に乾杯”の番組で、主役“八重”役の女優綾瀬はるかが会津の街を回ったのでしたが、
その時であったお母さんは“ハンサムウーマン”の認定書を持っていましたね。


 本論の新島襄(1843~1890)は、同志社英学校(後の同志社大学)を立ち上げた人で教育者としても有名ですが、
22歳の時にいわゆる密航でアメリカにわたり、1865年ボストンに到着した後、船主の援助を受けてアカデミーに入学している。

(ウイキペディアより)


 渡航中の船長に“joe(ジョー)”と呼ばれていたところから、“襄”というようになったとか・・。
本名は、“七五三太”(しめた)というそうだ。

 明治5年(1872年)、アメリカ訪問中の岩倉使節団と会い、襄の語学力に目をつけた木戸孝允は、
自分付けの通訳として使節団に参加させたりして、ニューヨークからヨーロッパへ渡り、フランス、スイス、ドイツ、
ロシアを訪ねた。
その後使節団の報告書ともいうべき『理事功程』を編集し、明治政府の教育制度にも大きな影響を与えているそうです。

 教育者としては大隈重信とも親交があり、今日同志社大学と早稲田大学の間で学生交流(国内留学)制度が
あるのはそのためだそうだ。
 
 1880年(明治13年)以降、大学設立の準備のために、井上馨・大隈重信・土倉庄三郎・大倉喜八郎・岩崎弥之助・
渋沢栄一・原六郎・益田孝等から寄付金の約束を取付けている・・というから、すごい人なんですね。
この、土倉氏は新島のよき理解者、協力者であり、新島も土倉を頼りとしたとか。
また、土倉は、奈良県吉野の山林王として有名であったが、「自由民権運動のパトロン」でもあった。
そういう訳で板垣退助と新島を取り結んだのも土倉であろうといわれている。


 ついでに、アメリカをちょっと追加しておきますと・・。
南北戦争が1861~1865で、時の第16代大統領リンカーンが、1865年劇場で暗殺されたのですね。

 彼の有名なゲティスバーグでの演説は、少し前の1863年11月なんですね。











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東京国  (bon)

2013-01-16 | 日々雑感、散策、旅行
 先日の“ビールの話から”の記事にある講演者の道州制論から、道州制についての動画やコメントで賑やかになった。

 そんなことを言っている時に、知人(H氏)から送られてきたネットジャーナルに先の選挙で史上最多得票で
東京都知事になった猪瀬氏の記事も、少し視点は違うが興味を引いたのでここにご紹介します。


******ジャーナルより******
Voice 2013年02月号 p80-87

    「『東京国』が霞が関の壁を壊す」
     猪瀬 直樹(東京都知事/作家)

【要旨】2012年12月16日、衆議院選挙と同時に行われた東京都知事選挙の結果、前任の石原慎太郎氏の元で
副知事を務めていた猪瀬直樹氏が史上最多の得票数で当選を果たした。

総力特集「安倍長期政権の力量」に含まれる本記事は、新都知事自らがこれからの都政における「改革」の方向性を示すものである。
猪瀬氏は『ミカドの肖像』『日本国の研究』等の著作で知られる「作家」である。
本記事では、作家としての自己アイデンティティを再確認し、その「ファクト・ファインディング」の力や好奇心、
問題発見力を発揮し、近代日本の大きな特徴でもある官僚主導の体制に対決を挑む、その姿勢
と方針について
歴史的経緯も踏まえながら論じている。

  ------------------------------------------------------------

 僕の原点は作家である。作家というものは、一つひとつの出来事を必ず頭のなかにインプットしていく。
僕の作家としての責任、都知事としての責任にはどんな関係があるのか。

 もともと日本の文学は、森鴎外と夏目漱石から始まっている。劇作家の山崎正和さんは、森鴎外を「闘う家長」と評している。
そうか、作家には責任があるんだ、と思った。
「家父長制度」という言葉は、戦後、忌み嫌われるようになったが、それは制度としては欠陥もあったからで、
責任を取るという意味での家長の意識は必要である。家長の意識とは、自分も国家の構成要
素、
つまり一部分を担っていて、自分で責任を負うという意味である。体制にただ不満をぶつけているより、
どうやって解決できるか、道筋を示したほうがいい。

 一方の夏目漱石のほうはどうか。『こゝろ』という小説がある。誤解を恐れずにいえば、あんなに内容がない小説はない。
いわば放蕩息子たちが自分の内面を語っているだけの小説である。
 漱石のあと、芥川龍之介が出てきて、『藪の中』という小説を書いた。人物がそれぞれ内面を語っていて、
犯人が誰かわからない。しかし、謎が謎のまま終わってしまうのは、文学ではない。いちばん重要なのは「ファクト」である。
『藪の中』は、漱石の放蕩息子の系譜に連なる作品だ。家長の責任がない文学なのである。

 日本の新聞も、放蕩息子の系譜の小説と同じようなところがある。いまの新聞はたんにダメだ、ダメだといっていれば、
商売が成り立つと思っていないだろうか。森鴎外のような「闘う家長」としての意識がない。

 だから僕は、1997年に『日本国の研究』を書いた。この本では特殊法人、認可法人、公益法人など、
政府系の法人について書いたが、三者は複雑に絡み合い、地下茎のように自己増殖していた。
それだけでなく補助金漬けで、天下りの素地となっており、民業を圧迫していた。寄生虫のように国家財政を食い荒らしていた。
霞が関の官僚、虎ノ門の特殊法人、そして永田町の族議員。この秘密のトライアングルの構造を解き明かしたとき、
僕は道路公団の民営化をはじめ、あらゆる問題がゼロになる、解決できると思った。

 僕の作家としての武器、それはファクト・ファインディングである。国民はもちろん、新聞記者も、政治家も、
官邸にいる総理大臣も知らない、そんなデータを官僚側に提出させるには技術がいる。
空欄の表まで全部用意して「こことここに書き込め」と具体的に要求しないと、官僚はデータを明らかにしないのだ。
 ところが、現在のメディアの記者は結局、記者クラブで情報をいただいてきて「行政情報」を宣伝してしまう。
新聞社やテレビ局は必ずしも「われわれ側」の代弁者でないのだ。

 一度、僕は新聞社やテレビ局の人間を前にはっきりいったことがある。あなた方と東京電力の社員はどこが違うのですか、と。
一本道のレールだけがすべてだと思っていて、それに疑問をもたない。リスクはけっして取らない。
 これは財界にもいえる。本田宗一郎やソニーの盛田昭夫のような創業者精神をもつ人間はいなくなり、
長く無難に勤めてきたような人が社長になる時代になった。このままではきっと日本はダメになるだろう。
そんなことを、僕は都知事選の最中に考えていた。

 以前、鳥居泰彦さん(元・慶應義塾塾長、財団法人交詢社理事長)の話を聞く機会があった。
日本近代の成り立ちについてである。次のような内容だ。
 明治10(1877)年、伊藤博文はヨーロッパに行き、ウィーン大学のシュタインの講義を聞いた。
シュタインがいうには、日本がイギリスのような議会政治を採用したら、百家争鳴となって何も決まらなくなる。
だから、まず官僚機構をつくり、官僚がつくった政策を議会で承認するような憲法を採用す
べきだと。
こうして明治憲法ができた。近代日本は官僚が指導する国になったわけだ。

 戦後の教育では、戦前の日本は天皇主権の国であり、戦後は国民主権の国になったと教えられた。
しかし、これはまったくのウソである。日本は戦前も戦後も、官僚主権の国である。官僚機構は価値観をもたない。
ひたすら先行モデルをコピーする。戦前の日本は欧米の帝国主義を学んだ。アメリカとの戦争に敗れると、今度はアメリカをコピーした。

 日本の官僚は、アメリカのモデルをコピーしたが、地方自治の概念は学ぼうとはしなかった。アメリカが50州からなる「ユナイテッド・ステイツ」なら、日本は1府12省の「ユナイテッド・ミニストリーズ(省)」だ。
地方の末端まで中央の役人が権限を掌握している。復興予算一つ、地方が決められない。
しかも各省庁が縦割り行政を敷いている。

 日本の官僚は秀才の集まりである。秀才は、隣の秀才の回答を真似して答えを出す。その隣の秀才は、
またその隣の秀才の答えをコピーする。そこに昨日と違う答えがあってはならない。昨日までを検証して歴史を認識し、
明後日に向かってビジョンを打ち出すことは、いまの官僚にはできない。

 僕は東京都の知事になった。首都東京は特別な都市である。日本の人口の1割、GDP(国内総生産)の約2割をつくり出している。
GDPの額でいえば、「東京国」は韓国と同じ規模。永田町や霞が関に直接、影響力を行使できる
立場にある。
それは同時に、東京は東京のことだけ考えていればよいわけではない、ということを意味する。東京は日本の心臓である。つまり、全国に血液を循環させていく責任がある。

 都知事になったのだが、目の前の課題は副知事時代にすでに手をつけてきたものばかりだ。
たとえば、東京電力の改革の問題。原発事故の影響で、福島原発、柏崎刈羽原発から電力がきていない。
合計1700万キロワット。脱原発を唱えているだけでは、何も解決しない。東京電力の老朽火力をリプレースしていくことで、
都民の電力を確保していく必要がある。新しい火力発電所の建設には、東京ガスや石油会社、あるいは中部電力など、
いろいろな会社が入ってきて、さらに民間の銀行やファンドからも資金を募る。電力会社の発電部門を自由化する。
官僚機構は縦割りで何も動かない。だから、まず東京都が提案して、国を動かす。

 僕はいま66歳である。最近、歳を取るということは、ほんとうに素晴らしいと思うようになった。
頭のなかにいろいろなエピソードが蓄えられて、どんどん知識が深まっていく。その知識をベースに、
僕は作家としての好奇心、そして発想で、これは「おかしい」と思う問題を見つけていく。
 もちろん、壁はあるだろう。東京発の日本国の改革は、官僚機構との戦いになる。僕はこの戦いに勝つつもりでいる。
勝算はある。ファクトを探し、それを自分なりの仕方で分析し、相手の言うことを「言葉の力」で一つひとつ論破していく。
東京都の知事になってみても、僕の“作家としての仕事”に変わりはない。


コメント: 冒頭の“文学論”に関しては、猪瀬氏は「芸術」としての文学のあり方を否定しているようなところがあり、
首肯はしかねるのだが、あくまで同氏が「ファクトと責任を明確にする」作家像を理想としている、と捉えればいいのだろう。
こうした姿勢は、どちらかというと「ジャーナリスト」に近いものなのではないだろうか。
問題を切り崩して事実を解明し、明確な回答を見出す、というジャーナリスティックな姿勢は、政治だけでなく
あらゆる「改革」に必要なものだと思う。
そんなことは百も承知と言われるかもしれないが、新都知事には、もう一つのジャーナリストに欠かせない姿勢である
「偏りのないバランス感覚」を堅持しながら改革に挑むことを期待したい。

Copyright:株式会社情報工場











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八ヶ岳ライブ   (bon)

2013-01-15 | 日々雑感、散策、旅行
昨日は、予想以上の雪で、首都圏は大混乱でしたね。
我が家あたりでも~10センチくらい?積もった感じです。まだ、たくさん残っています。

で、昨年もやってみましたが、“おらが八つ・・は、どないなってる?”・・
そんなことで、原村役場のライブカメラを想い出し、やってみました。

チョット曇っているせいかはっきりとした映像ではありませんが、お馴染みの阿弥陀岳~横岳~硫黄岳の
姿を見ることができました。

カメラを切り替えると、諏訪湖方面の間近にレンズを向けると、いつもお世話になっている“Aコープ”が見えます。

やってみてください。 あいている時は、カメラの主導権が得られます・・。

今日の10時過ぎの八ヶ岳・・








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お風呂  (bon)

2013-01-14 | 日々雑感、散策、旅行

今日、1月14日(月:成人の日)は、生憎全国的に雨模様とか・・。
関東では、朝からみぞれ交じりの寒い雪空です。 

新成人の門出に相応しくないお天気ですが、まぁ、そんなことは吹き飛ばしてほしいですね。


昨日の読売日曜版に、「西洋の風呂は事務的だ。日本の風呂は享楽的だ。」の見出しと共に、
法隆寺五重塔が夕日に沈む・・奈良斑鳩の里の大きな写真がありました。

(ネット:法隆寺の夕暮れから借用)

 <日曜版記事から・・>

 「たっぷりと湯船を満たす湯に、首までつかる。手先、足先がジンとぬくもり、ぼうっとする。
いまの季節ならなおのこと、至福の時間と思えるのだが、よその国にはさほど風呂を楽しまない人々もいるらしい。」

「大正時代半ばの1918年、若き和辻哲郎は奈良を訪ねた。仏教美術を巡り、日本文化の特質を考える旅だった。
宿は奈良中心の奈良ホテル。当時は鉄道院が経営し、内外の賓客を迎えた名門で、内装は全くの西洋式だった。 
浴室もまたしかり。
今一つゆったりできなかった和辻は“西洋人はただ体の垢を洗い落としさえすればいいので、
いわば便所と同様の意味をしか認めないらしい” “日本人は風呂で用事を足すのではない。
楽しむのである”と力説している。」 

「和辻の旅は斑鳩へ、そして中宮寺の本尊へ行き着く。
“我が国のやさしい自然”を、“人間の姿に現せばあの観音となるほかはない”いうなれば風呂ならぬ
“風土”にしっかりつかり、得心するのである。」


その昔、難しいけれど我慢して読んだ「風土」(和辻哲郎著 1989.12 第18刷 岩波書店 ¥460)を
懐かしく手元に探してみました。
風土というのは、単なる自然環境ではなく、人間の精神構造の中に刻み込まれた、いわば一体となった全体のことなんですね。
だからそこに文化、生活様式などが生まれる・・・そんな理解でいるのでした。

こんな思いを再び巡らせながら、今夜はゆっくりと湯船につかってみよう・・。













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ビールの話から  (bon)

2013-01-13 | 経済 政治 談義
昨日の朝刊に「ビール、第3時代」という見出しで、大手4社の戦略が紹介されていた。

一昨年には、各社とも利益率の高いビールの販売促進を掲げていたが、消費増税の見通しが
はっきりとし節約ムードが強まる・・ということで、再び“第3のビール”に軸足を戻す。
 アサヒは“クリアアサヒ”、サントリーは“グランドライ”、キリンは“濃い味デラックス”、
サッポロは“麦とホップ”・・新たな味が続々と送り出される~。


今年第一号の会報に、昨年9月に講演されたアサヒビール相談役池田弘一氏の抄録が掲載されていた。
演題は「アサヒビールの経営戦略と道州制」というものであった。

道州制とどのように関連するのか? 興味もありここでほんの抜き読みですが紹介しておきます。


アサヒビールの歴史から・・「1889(明治22年)、大阪の財界人によって設立された大阪麦酒会社が
アサヒビールの前身です。今年で創立123年です。
・・その後1906年に日本麦酒、札幌麦酒と三社合同により大日本麦酒となりました。
 戦後1949年に、これが西日本主体の朝日麦酒(後のアサヒビール)と
東日本主体の日本麦酒(後のサッポロビール)に分割されました。」(中略)


「1986年に就任した樋口(第6代)社長の下に、翌年“スーパードライ“を発売し、
これが起死回生の大ヒットとなりました。当初の販売目標の13倍以上を達成し、
日経ヒット商品番付の東の横綱に選ばれました。」 
「販売の急増は、生産設備の急増を意味し、在任6年間で6000億円近い設備投資を行いました。

ハーバードで講演した際、あまりの積極投資ぶりを“クレイジー”だと驚かれたそうですが、
“チャンスは貯金できない!”といったそうです。」(中略)

「2002年、私(筆者)が9代目の社長に就任した時にはまだ相当の借金が残っており、
財務体質が弱い状況でした。
・・そして、スーパードライ一本を売っていればよいという時代は終わろうとしていました。
そこで私は“連結とグローバル”戦略を目標に掲げました。」(中略)

<ここからが道州制に入る部分です。>
「社長となって日本全国をあいさつ回りしていた時、地方都市から活気が失われていることに大変驚きました。
“日本経済に元気がない”と言われて久しいですが、“地方こそ元気がない”と思いました。 
地域活性化に役立ちたいと考えた私は、経済同友会でも、経団連でも地方行財政の委員会に所属しました。
現場主義を掲げる私は、“東京の常識は地方の非常識”と肝に銘じ、実際に地方行政にかかわる方々に
直接お話を伺いました。」(中略)

 <ここで興味ある表が提示されています。>


「つまり、各道州の人口や経済規模はヨーロッパの小国に匹敵する。
我々の考える道州制とは、各道州に確かな財政基盤と大きな権限を与え、ヨーロッパのように
生活の質や経済力や文化を競い合わせるイメージです。」(中略)

「県を道州に変えるだけ、市町村合併と一緒とよく言われますが、全く違います。
私が考える道州制は、“補完性の原理”と“基礎自治体優先の原則”です。
・・①個人で解決できることは個人で、②個人で解決できない時は住民に身近な基礎自治体で、
③基礎自治体で解決できない時は広域自治体で、④最後は国で という原理です。」


 氏は九州のご出身で、「・・しかし、インフラ整備があまりに貧弱です。 
新幹線は博多―鹿児島しか繋がっていません。九州縦貫自動車道と九州横断自動車道は整備されたものの
不十分です。・・道路とは逆に、空港や港や大学は九州に過剰にあります。空港は10か所もあります。
港は各県に2~3あります。大学は各県に国立、県立、私立とありますが、私個人的には、
九州には国立大学は九州大学一つでいい、農学部は宮崎に、医学部は長崎にというように
各学部を各地に集中させればいいと考えています。」

 「基礎自治体に出来るだけ多くの権限を付与します。どうしても基礎自治体ではできないことだけを
広域行政(道州)に残します。現在国が行っている地方行政も出来る限り広域行政に下ろし、
国は外交、国防、金融、通貨等だけに特化します。」(後略)


かなりの抜き読みで、しかも、若干記述も短縮しましたので、分かりにくかったかもしれませんが、
結局のところ(私が思うに)アサヒビールの経営戦略と道州制はあまり関係していないようですが、
氏はこの道州制について思い入れがあり発表されたのではないかと思います。

 (mak)


TPP反対論でネットで有名になった中野剛志が道州制を批判:



新しい国の形



世界のビール市場あれこれ:

一人あたりのビール消費量ランキング

4大メーカーが世界の市場の50%を占有

「バドワイザー」ブランドを有するABインベブの09年のビール生産量は約3億5000万ヘクトリットルで、「ミラー」ブランドで知られるSABミラーの2億5000万ヘクトリットル弱、ハイネケンの2億ヘクトリットル強、カールスバーグの約1億2500万ヘクトリットルを大きく上回った。青島ビールは5000万ヘクトリットル強。

 シェア6位は北米のモルソン・クアーズ・ブルーイング、7位がメキシコのグルッポ・モデロ、8位が中国の北京燕京ビール、9位がキリンホールディングス、10位がアサヒビール

2008年、ベルギーのインベブが、オランダ・フランスの大手金融機関から融資を受けバドワイザーで知られるアメリカのアンハイザー・ブッシュを買収・合併し、社名をアンハイザーブッシュインヘブに変更した。2012年、メキシコのグルポ・モデロ(コロナブランドは有名)の未保有株を201億ドルで取得し、完全子会社化した。

中国ビール業界
【中証網】 ベルギーの主要経済紙の10月28日付報道によると、中国のビール市場の規模は大きく、しかも高成長ぶりを維持している。世界最大のビールメーカーであるアンハイザー・ブッシュ・インベブ(ABインベブ)は中国での投資を一層増やしてシェアを高める計画だ。

2003年以来、中国は世界最大のビール市場となり、年間消費量は約480億リットルと、世界の25%を占める。ABインベブは中国で35のビール工場を持ち、従業員数は3.3万人。年間生産量は55.9億リットルで、中国全体の約12.3%を占める。シェアは雪花ビールと青島ビールに次ぐ3位だ。傘下のバドワイザー、Stella Artoisなどブランドが中国の高級ビール市場に占める割合は42%に上る。

専門家は、2020年までに中国ビール市場はさらに拡大し、世界ビール市場の新規増加分の40%を中国で占めると予測する。バドワイザーは中国投資を継続し、2013年末までに更に4棟のビール工場を建設し、従業員数を約1500人に増やし、中西部地域での投資を一層増やす計画だ。


ナツとカヨのマリンバで、チャルダッシュ

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式年遷宮  (bon)

2013-01-12 | 日々雑感、散策、旅行
今年2013年は、式年遷宮の年だという。

 先の原発問題の袋小路で行きづまりましたので、話題を変えまして・・・

伊勢神宮のHPから・・

「遷宮(せんぐう)とは、神社の正殿を造営・修理する際や、正殿を新たに建てた場合に、
御神体を遷すことです。式年とは定められた年という意味で、伊勢神宮では20年に一度行われます。

第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690)のことです。それから1300年にわたって続けられ、
昭和48年に第60回、平成5年には第61回が行われ、平成25年に第62回を予定しています。

神宮にとって永遠性を実現する大いなる営みでもあるのです。 」

(伊勢神宮HPから)


式年遷宮は8年前から準備が始められ、30以上の諸祭を重ねて、進められていくそうで、
以下のようなスケジュールで行われてきているのですね。
そして、最も重要な行事である遷御(せんぎょ)は今年10月に予定されている。


主な祭典
遷宮8年前 平成17年5月 山口祭 やまぐちさい
遷宮8年前 平成17年5月 木本祭 このもとさい
遷宮8年前 平成17年6月 御杣始祭 みそまはじめさい
遷宮8年前 平成17年6月 御樋代木奉曳式 みひしろぎほうえいしき
遷宮8年前 平成17年9月 御船代祭 みふなしろさい
遷宮7年前 平成18年4月 御木曳始式 おきひきはじめしき
遷宮7年前 平成18年4月 木造始祭 こづくりはじめさい
遷宮7年前 平成18年5~7月 御木曳行事(第一次) おきひきぎょうじ
遷宮7年前 平成18年5月 仮御樋代木伐採式 かりみひしろぎばっさいしき
遷宮6年前 平成19年5~7月 御木曳行事(第二次) おきひきぎょうじ
遷宮5年前 平成20年4月 鎮地祭 ちんちさい
遷宮4年前 平成21年11月 宇治橋渡始祭 うじばしわたりはじめしき
遷宮1年前 平成24年3月 立柱祭 りっちゅうさい
遷宮1年前 平成24年3月 御形祭 ごぎょうさい
遷宮1年前 平成24年3月 上棟祭 じょうとうさい
遷宮1年前 平成24年5月 檐付祭 のきつけさい
遷宮1年前 平成24年7月 甍祭 いらかさい
遷宮2ヶ月前 平成25年8月 お白石持ち行事 おしらいしもちぎょうじ
遷宮1ヶ月前 平成25年9月 御戸祭 みとさい
遷宮2週間前 平成25年9月 御船代奉納式 みふなしろほうのうしき
遷宮10日前 平成25年9月 洗清 あらいきよめ
遷宮1週間前 平成25年9月 心御柱奉建 しんのみはしらほうけん
遷宮 4日前 平成25年9月 杵築祭 こつきさい
遷宮前日 平成25年10月 後鎮祭 ごちんさい
遷宮前日 平成25年10月 御装束神宝読合 おんしょうぞくしんぽうとくごう
遷宮前日 平成25年10月 川原大祓 かわはらおおはらい
遷宮当日 平成25年10月 御飾 おかざり
遷宮当日 平成25年10月 遷御 せんぎょ
遷宮翌日 平成25年10月 大御饌 おおみけ
遷宮翌日 平成25年10月 奉幣 ほうへい
遷宮翌日 平成25年10月 古物渡 こぶつわたし
遷宮翌日 平成25年10月 御神楽御饌 おかぐらみけ
遷宮翌日 平成25年10月 御神楽 おかぐら


 
 伊勢神宮には、これまで2度行った記憶がありますが、一度目は小学校あたりの修学旅行?
だったかもしれません。 鳥羽や二見が浦にも回ったような記憶があります。 
2度目は成人してからでしたからそのピリリとした静寂で神聖な感じは残っています。

 五十鈴川にかかる橋を渡り鳥居に向かう例のコースは、「内宮」(皇大神宮)なんですね。 
「外宮」(豊受大神宮)は、少し離れたJR伊勢駅(近鉄宇治山田駅)に近いところですね。
残念ながらこちらはほとんど記憶にありません。
  
このようなことが行われていること自体、殆ど無関心でいました。 
相当大掛かりな行事だと思いますが、あまり知られていない。 それでも、昔は「お伊勢さん」とか
「お伊勢参り」などといって結構庶民的な感覚で全国的に親しまれていたようです。

 文明が進んで、気の散る事柄が沢山出来て、どうもそちらの方が興味深いとされて来たのか・・
最近では影が薄いですね。 特に宗教性があるからなおさら公に取り上げないのかもしれませんね。


前回の式年遷宮がまとめられています。(u-tubeから)












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丸の内  (bon)

2013-01-10 | 日々雑感、散策、旅行

昨夕は、この冬も例によって入社同期の専門技術の連中との新年の集まりに出席しました。
昨年は冬の日比谷・・というようなタイトルでブログアップしましたので、今年は別ルートを取り、
東京駅の丸の内復元駅舎を見がてらちょっと遠回りをしました。

 既に夕暮れ時で、被写体は限られてしまいましたが、丸の内のビル街、復元駅舎などを撮影しました。 
どういう訳か、呑む前から手元がぶれていい写真が取れませんでしたがご容赦ください。
丸の内北口から


新丸ビル、中央郵便局・・・


北口構内天井


駅舎正面



 同期入社のメンバも今や50周年を迎える年齢になりました。
それでも、会って話が弾むと昔の若かりし頃の想い出話に花が咲くのでした。 
同期だとお互いライバル同士?みたいな感覚もよぎりますが、我々はどうしてなのかそのような感覚は
みじんもなく、いつまでも和やかなのは少々おかしい?のかもしれませんね。

 風邪を引いたり、少々体調を崩された何人かは、今回は欠席となりましたが、楽しい雰囲気は
例年通りそのままでした。

 今や蓼科の畑のことも知られるところとなり話題にもなりました。



飲み会で話題になりましたキャサリーン・ジェンキンスのお馴染みの歌を・・






「丸の内仲通り」夜の散策:
東京駅丸の内から有楽町を結ぶ約1.2kmに及ぶ丸の内仲通り沿いは、夜の散策にお奨めです。街路樹約230本が、上品に輝く“シャンパンゴールド” 色のLED約101万球に照らされ、鮮やかに浮かび上がっております。期間は2月17日までですので、是非夜の丸の内散策をお奨めします。(mak)


 この画像をクリックすると綺麗な歌声が聞けます。KJではないと思いますが!


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ホメオパシー  (bon)

2013-01-09 | 日々雑感、散策、旅行
2~3号前の会報に出ていた記事を思い出して、ちょっと調べてみました。

帯津良一氏(帯津病院名誉院長、医博)の連載的な記事で、ホステリック医学を目指して既に30年経つが
まだ道半ば・・・で、昨年、第67回国際ホメオパシー医学会が日本(奈良)で初めて開催されたことに関連しての記事であった。

 「体に対しては西洋医学を、心に対しては各種心理療法を、いのちには各種代替療法を当て、
そのなかからその患者さんに相応しい戦略を組み立て、なんとか理想のホステリック医学に
迫ろうとしているのが現状である。 ある時、代替療法の一つにすぎないと思っていたホメオパシーが、
じつにホステリックな医学であることに気付いたのである。ホステリック医学を目指す者としてこれを避けては通れない。」 

「健康とは単に病気でないということではなく、幸せでエネルギーに満ちた日々を手にすることをいう。 
そして、幸せ(HAPPY)とエネルギー(ENERGY)を組み合わせるとダイナミズム(DYNAMISM)
ではないか。 ダイナミズムとは躍動する活力。

そうか! 躍動する活力に満ちた日々、これが健康なのだ。」
 
「健康とは身体的精神的社会的かつ霊的に完全な一つの幸福のダイナミカルな状態を意味し、
決して単なる病気や障害の不在を意味するものではない。」

 「つまり、定期検診や人間ドックの検査でデータが良くても、それだけでは健康を手にしたとは
言えないのである。まして、その上での無為徒食の日々となればなおさらである。 
反対に、たとえ病の床に伏していようと、躍動する活力に満ちた生き方をしている人は、
じつは健康なのではないだろうか。

ここで思い浮かぶのは正岡子規の“仰臥漫録”である。 これは死の直前一年間の、
東京は根岸の里における日々の赤裸々な記録である。」

「例えば、9月17日・・朝、粥3椀、佃煮、奈良漬、梅干、包帯取り替えおよび便通、牛乳七勺ココア入り、
アンパン一つ、菓子パン大一つ  昼、粥3椀、鰹のさしみ、ぬかご、奈良漬、梨一つ、飴湯、ゆで栗  
夕、ライスカレー3椀 ぬかご、佃煮、奈良漬、体温37.3度」

「それにしても、この食欲は凄い。しかも、ときに腹痛や背痛に号泣しながらのこれである。
よほどの食いしん坊ではある。 
それに献立を一瞥しただけで、彼が洗練された食通であることが分かる。只者ではない。
短い生涯ではあっても、質で十分カバーしたのではないだろうか。」 

「10月17日 雨  朝鼠骨来る 午後碧梧桐来る 夜紅録来る  と、一日に3人も現れるのだから
とても病床にある人には思えない。」
 (注)年下のお弟子さんに、河東碧梧桐、高浜虚子、あゝ玉杯に花受けての佐藤紅録、看護の天才寒川鼠骨。


「虚子を待つ松茸ずしや酒二合」

「漱石が来て虚子が来て大晦日」

 

 ホメオパシーとは、体の自然治癒力を引き出すという思想に基づいて、病気の治癒をめざす行為で、
同種療法、同毒療法、同病療法と呼ばれる場合もある。
その効果は科学的、医学的に証明されておらず社会的に問題視する向きもある。

 ホリスティック医学とは、ひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学といえる。
健康や癒しとは本来、身体だけでなく目に見えない精神・ 霊性も含めた人間の全体性と深く関係しており、
これは、病気だけに限定されるものではなく、人生の中の“生老病死”というステージを考え、
病を癒 していくなかに関連する、あらゆる分野の「癒し」も大切に考えるということ。  
したがって、ホリスティックな健康とは、「病気でない状態が健康である」という否定的な 定義や
「血液や尿や細胞組織の検査結果が正常値の範囲以内であれば 健康である」という消極的な定義ではなく、
『 精神・身体・環境がほどよく調和し、与えられている条件において最良 のクオリティ・
オブ・ライフ(生の質)を得ている状態 』を健康と考える、より積極的な状態のこと。

 ・・・だそうです。











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小出裕章「原発をやめれば電気料金は安くなる」    (mak)

2013-01-08 | 原発
自民党は、今まで原発推進してきたことの非を認め、これまでのような原発推進ありきでのエネルギー政策からは転換し、脱原発に向けて、現実的な道筋をつけていけるように努力し続けることを公約しました。、脱原発時期を明確にしなかったが、脱原発依存をはっきりと掲げて、選挙で勝利をし、安倍政権は先ずデフレ不況からの脱却対策と内田氏順調にスタートしましたが、安倍首相が福島原発訪問した後の記者会見で、原発問題について、原発推進するかのごとき、気になる発言をしました。

 東京新聞の記事および原発電力コストついての京大小出助教および立命大学大島教授原発電力コストに関する動画を参考までに、紹介します。


原発推進へ体制固め(東京新聞2012年12月30日

「われわれは希望を政策にしない。地に足をつけていく」
29日午後。福島第一原発を視察し、無残な姿をさらす建屋などを視察した安倍晋三首相は、記者団にこう語った。民主党政権が打ち出した2030年代原発ゼロ方針を「地に足がついていない希望」と断じ、見直す考えをあらためて鮮明にしたのだ。

安倍首相は原発新設に前向きの姿勢で、まだ計画段階の9基にも道を開くことを検討する。3年以内に全原発について再稼働の是非を判断する。

「あの日」から1年9カ月。原発政策は、維持・推進に再転換を始めた。政権の要衝には維持・推進派が並ぶ。元科学技術担当相の茂木敏充経済産業相は就任直後の27日未明、核燃料サイクル継続を宣言。石原伸晃環境相は、野党時代、原発ゼロを求める民意を「集団ヒステリー」と表現したことがある。

甘利明経済再生担当相は第一次安倍内閣で経産相として原発を推進。当時、国際原子力機関(IAEA)から日本の安全規制体制を疑問視する勧告が出たが、十分な対応をとらなかった。首相の政務秘書官には原発推進役である経産省資源エネルギー庁前次長の今井尚哉氏が就任した。この記事の続きはここをクリック


小出裕章「原発をやめれば電気料金は安くなる」



大島堅一氏:「原発は安い」は本当か



脱原発と日米原子力協定






核サイクルのジレンマ

原子力発電なくても必要電気を十分供給できる。



この原発を止めた場合ですが、使用済み核燃料の処分地や処分方法が決まらない現状で、
核燃料サイクルの計画を断念すれば、使用済み燃料や高レベルの放射性廃棄物の行き場が無い。
だから、核燃料サイクルを今放棄するのは無責任だという考え方もありますよね。
どう思われるでしょうか、

という事なんです。いかがでしょうか?
小出さんは、今すぐ原発も核燃料サイクルも止めた場合に、
使用済み核燃料はどうするべきだと思われますか?

小出:どうしようもないのです。




使用済み再処理工場は何の解決策にもならないと......




上関原発問題と伊勢神宮



アメリカの原子力発電所の閉鎖が前倒しで進む。
コメント (6)
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寒の入り・・  (bon)

2013-01-06 | 日々雑感、散策、旅行

昨日、1月5日が“小寒”といって、二十四節気の一つですが、
年によって6日となることもあります(昨年は6日でした)。 冬至から数えて15日目です。

 この日から“寒の入り”といって“寒中見舞い”をしたり、一年の中で最も寒い時期だといっているのですが、
ちなみに“大寒”は1月20日の日曜日に当たります。
2月3日の節分までが寒の内つまり“寒中”で一番寒い時期とされています。
続いて、2月4日が立春・・となるのですが、まだまだ寒いですよね。

突然、大分合同新聞から・・
「・・節分(2月3日)までの「寒の内」は寒さで雑菌が繁殖しにくく、
日本酒の仕込みに最適な時季とされる。
 蔵人の中野淳之専務(33)は「こうじ菌は蒸した米が熱いと死ぬし、冷たいと発酵しない。
温度の加減が酒の味を決める」と、目が離せない日々が続く。
10月中旬から始まった日本酒造りは今がピーク。「今年は香りと甘みが例年よりマッチし、出来がいい。
女性にも愛される日本酒をつくっていきたい」と話した。」


 小寒の期間の七十二候は以下の通りです。(ウイキペディアより)

初候
  芹乃栄(せり すなわち さかう) : 芹がよく生育する(日本)
  雁北郷(かり きたにむかう) : 雁が北に渡り始める(中国)
次候
  水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(日本)
  鵲始巣(かささぎ はじめて すくう) : 鵲が巣を作り始める(中国)
末候
  雉始雊(きじ はじめて なく) : 雄の雉が鳴き始める(日本)雊は{句隹}
  野鶏始雊(やけい はじめて なく) : 雄の雉が鳴き始める(中国)

こう見てくると、地上は寒い寒いといっていますが、土中や自然界では既に活動が始まっているということですね。


 明日7日は“七草”です。 昔は、このように一年中何だかんだと「言葉」(単なる数字・・月日ではなく)
で表現して、日常生活に分かり易く溶け込んでいたのですね。

 七草は良くご存じの“せり、なずな・・・”というヤツですが、ちょっと調べてみますと、
こじつけのようでもありますが・・

 セリ:一所に競り合って生えているから、人々もこのようにし繁く育ちたい・・という意。 ナズナ:撫で菜・・で、愛しみ撫でる。 ゴギョウ:これはハハコグサ(母子ぐさ)。ハコベラ:はこべ。 ホトケノザ:土器菜。スズナ:唐菜、スズは小さいとか清いという意。スズシロ:清白でダイコン。

                     



パティページをしのびB面(?)から~




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Good bye Patti Page    (mak)

2013-01-05 | 音楽、Romantics Stream
往年の米国の人気歌手Patti Pageが85歳で亡くなりました。

Patti Pageは1927年、アメリカ南部のオクラホマ州で生まれ、10代のころから地元ラジオ局の番組に出演して歌を歌い、音楽関係者の目に留まって、歌手としてデビューしました。
そして、1950年に発表された「テネシーワルツ」がアメリカでヒットチャート1位になるなど大ヒットし、世界でレコードを1000万枚以上売り上げました。
  日本でも江利チエミさんが日本語の歌詞でカバーし、多くの人に親しまれました。
ペイジさんは、その後もヒット曲に恵まれ、レコードの売り上げ総数が1億枚を超えて、世界でも有数のレコードを多く売り上げた女性歌手として知られています。
 
 彼女の数々のヒット曲に感動しましたが、天国に行ったからもずっと楽しませてくれることでしょう。 今一度、彼女のヒット曲に感動し、ご冥福をお祈りしたいと思います。











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今年の高尾山は最高・・  (bon)

2013-01-04 | 日々雑感、散策、旅行
何が最高? 
かといえば・・ お天気、富士山、シモバシラ・・みんな素晴らしかったのでした。

1月4日朝9時、高尾山口をスタートしました。既に恒例になっていますお正月の高尾山詣でですが、
例年より気温は低かったのかピリリとした感じでした。

 薬王院にお参りをして、山頂へ。 
素晴らしい富士山の全景が真正面に浮かんでいましたね。今まででいちばん良い映りかも知れません。
みんなで記念写真を撮りましたが、アップは控えました。




 南の方に目を向けると、湘南から相模湾あたりの光った海、ずっと左の方には新宿ビル街・・そしてその左には、
スカイツリーがはっきりと聳えていました。

そして、シモバシラ・・。
こちらも、たくさん出ていました。今までで一番。








いつもは、大体山側にあるのですが、今回は山側は勿論、谷川にもたくさん出ていました。
やはり気温が低く夜のうちにグッと凍りついたのでしょう。


 お弁当の後、すぐ上の“一丁平”の展望台まで上がると、これまた素晴らしい富士山を中心に、左手には大山が、
そして右ずっと奥には白い稜線が見えていて、南アルプスか? と言い合っていました。

丹沢大山



終日良いお天気の中、快適な高尾山詣での帰路、脚にやや心地よい疲労を感じながら 
いつものようにお茶して電車の人となりました。
みなさんありがとうございました。








コメント (4)
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2013年初詣  (bon)

2013-01-02 | 日々雑感、散策、旅行

新年あけましておめでとうございます。
関東は穏やかな天候に恵まれて、新政権に期待の年が明けました。
少しずつでもいいから着実に前に進んで行く年でありますように・・祈りつつ今年のブログを開きます。
お付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。


 今日1月2日は、少し風がありましたが、良いお天気でしたので中学生の孫二人を連れて、
湯島天満宮にお参りに行ってきました。
明治神宮などと違って、こじんまりとした天神さんですが、地下鉄を降りてすぐに、もう人の列でした。 



最後尾について、尺取虫のように1時間以上もかけてようやく境内へ・・。本殿の前は人の波でした。
今年高校受験なので、キチットお参りをして春日通りを下り不忍の池方向に出ました。

 不忍池でボート。それも、スワンボートに乗り、孫たちが漕ぎ手で(足で)、鳥たちが群れる池をワイワイと回ることになりました。
自分たちのボートにもカモメ?が乗ったりしました。 
           


なんと、ここからもスカイツリーが見えています。



上野公園まで行き、上野東照宮や西郷さんなどもまわりました。




上野駅はすいぶん変わっていて、以前たしか人形焼きなどのお店があったはずなのにそれがすっかり変わってしまっていました。

久しぶりに、歩いたお正月でした。

今年もブログ蓼科浪漫倶楽部をよろしくお願いします。

昨年の1月2日のbonの正月のブログは宮城道雄の筝曲6九段でした。今年は春の海としました。



Vienna New Years concert 2013
世界で最も注目されているクラシックコンサートの一つ「ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート」。ウィンナワルツやポルカなど、誰もがどこかで一度は聞いたことがある定番の曲で構成される華やかな祝祭は、音楽ファンならずとも見逃せない新年の一大イベントです。
 今回はウィーン国立歌劇場の音楽総監督、フランツ・ウェルザー・メストが指揮。2013年はワーグナーとヴェルディという偉大なオペラ作曲家のメモリアルイヤーに当たるため、この2人の曲がニューイヤーコンサート史上初めて演奏されるのも、音楽ファンの注目を集めています。



全国高校サッカー選手権 桐光ー佐賀商業




どんど焼きは全国各地で小正月に行われる火祭り行事で地域によって呼び名が異なります。
下の動画は伊那谷のどんどです。




New York New Years Count Down 2013



ロイターの記事をご参考に上げました。

[ニューヨーク 1日 ロイター] 米ニューヨーク市のタイムズスクエアで恒例の年越しカウントダウンが行われ、大勢の人々が新年の訪れを祝った。警察は約100万人が訪れると予想していた。
中心部マンハッタンのタイムズスクエアでは1907年以降、、新年へのカウントダウンに合わせて、つり上げられたボールが落下する「ボールドロップ」を見守るのが大みそかの風物詩となっている。
ダラスから初めてボールドロップを見るためにニューヨークにやって来たという男性は「人生でやりたいことの1つだった」と話した。直径3.7メートル、重さ約5.4トンのボールは、新年を迎える60秒前に高さ21メートルから落下し始めた。年が明けると、花火が打ち上げられるとともに1トン以上の紙ふぶきが周辺のビルの屋上からまかれた。
タイムズスクエアでは米人気カントリー歌手のテイラー・スウィフトや「江南スタイル」が世界的ヒットとなった韓国人ラップ歌手PSYらがパフォーマンスを行い、集まった人々を楽しませた。




日経記事築地市場マグロの初セリで大間の黒マグロ222kgを史上最高値の1億5千万で、寿司チェーンを営む寿司ざんまいが競り落とした。一貫7千円の大トロを通常価格300円一人当たり一貫で提供したとのこと。ひょっとして今年の景気がよくなる兆候かもしれませんね。
コメント (8)
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