日本人メジャーリーガーのパイオニア野茂英雄投手(39)が引退を表明しました。海を渡って13年ですから今の日本の子どもたちはよく知らないでしょうが、近年の日本人選手の中では超一流あり、サムライでした。
社会人の新日鉄堺を経て、二十歳でプロ入りする際は、ドラフトでは八球団競合で近鉄に入団。名将仰木彬監督の下、独特のトルネード投法をいじられることなく実力を発揮、ミスターKの名をほしいままにし、18勝で最多勝のほか、最高勝率、防御率、最多奪三振と先発投手のタイトルを総なめにし、新人王・最優秀選手まで獲得しました。以来、四年連続最多勝を獲得するなど、名実ともに日本を代表する投手でした。そして、単なる記録だけでなく、当時の常勝西武の主砲清原との力勝負など、記憶に残る選手でもありました。
そんな彼がずっと胸に秘めていたのが、メジャー挑戦です。今のように、メジャーへの道筋もできておらず、誰もそんなことを考えていなかったころです。FAを待てない彼は、交渉でその思いを貫き、ドジャースへの入団を実現させましたが、今のように環境が整っていなかった当時は「ワガママ」と批判され、石もて追われるようにアメリカに渡ったのです。今でこそ、マスコミは野茂を持ち上げますが、当初はかなり冷ややかでした。
しかし、夢をかなえた彼にとって、日本のマスコミなどどうでもいいことだったのでしょう。当初は、いいピッチングをしながら勝ちに恵まれなかったものの、一度勝利を手にしてからは順調に勝ち星を重ねました。当時のメジャーリーグは、条件改善のストライキの影響でファン離れが続き人気低迷の危機でした。そこにアジアからトルネード投法をひっさげてストレートとフォークで三振の山を築く彼はファンの心をつかみ、メジャーリーグの救世主となり、球宴出場・新人王と華々しい成果を得たのです。その後、両リーグでのノーヒットノーランという輝かしい記録を残す一方、メジャー流のドライなトレードにより何球団も渡り歩きながらも、日本に戻る素振りなど露ほども見せずに淡々と野球に打ち込む姿は、「野球職人」と呼ぶにふさわしいものでした。同じく職人タイプで、マスコミへの素っ気なさで知られるイチローが、たぶんに自意識過剰なのに比べ、野茂の場合は本当に昔気質の職人の口の重さを感じさせる実直な職人だったと思います。
経済的な成功や、名声なら、今の時代に全盛期なら何倍ものものを得ていたでしょうが、おそらくかれにとっては、そんなものは本当に二の次だったのだろうと思います。本当に野球が好きで、強いものへのあくなき挑戦心だけが彼にとってのすべてだったのだと思います。だからこそ、パイオニアとなったのです。利益だけを考えていたら、未踏の道を切り開くなんてことはできませんから。「燃え尽きた」ではなく、「まだまだやりたかった、悔いが残る」と最後まで野球への情熱を持ち続けた野茂投手に「ありがとう」と言いたいと思います。
社会人の新日鉄堺を経て、二十歳でプロ入りする際は、ドラフトでは八球団競合で近鉄に入団。名将仰木彬監督の下、独特のトルネード投法をいじられることなく実力を発揮、ミスターKの名をほしいままにし、18勝で最多勝のほか、最高勝率、防御率、最多奪三振と先発投手のタイトルを総なめにし、新人王・最優秀選手まで獲得しました。以来、四年連続最多勝を獲得するなど、名実ともに日本を代表する投手でした。そして、単なる記録だけでなく、当時の常勝西武の主砲清原との力勝負など、記憶に残る選手でもありました。
そんな彼がずっと胸に秘めていたのが、メジャー挑戦です。今のように、メジャーへの道筋もできておらず、誰もそんなことを考えていなかったころです。FAを待てない彼は、交渉でその思いを貫き、ドジャースへの入団を実現させましたが、今のように環境が整っていなかった当時は「ワガママ」と批判され、石もて追われるようにアメリカに渡ったのです。今でこそ、マスコミは野茂を持ち上げますが、当初はかなり冷ややかでした。
しかし、夢をかなえた彼にとって、日本のマスコミなどどうでもいいことだったのでしょう。当初は、いいピッチングをしながら勝ちに恵まれなかったものの、一度勝利を手にしてからは順調に勝ち星を重ねました。当時のメジャーリーグは、条件改善のストライキの影響でファン離れが続き人気低迷の危機でした。そこにアジアからトルネード投法をひっさげてストレートとフォークで三振の山を築く彼はファンの心をつかみ、メジャーリーグの救世主となり、球宴出場・新人王と華々しい成果を得たのです。その後、両リーグでのノーヒットノーランという輝かしい記録を残す一方、メジャー流のドライなトレードにより何球団も渡り歩きながらも、日本に戻る素振りなど露ほども見せずに淡々と野球に打ち込む姿は、「野球職人」と呼ぶにふさわしいものでした。同じく職人タイプで、マスコミへの素っ気なさで知られるイチローが、たぶんに自意識過剰なのに比べ、野茂の場合は本当に昔気質の職人の口の重さを感じさせる実直な職人だったと思います。
経済的な成功や、名声なら、今の時代に全盛期なら何倍ものものを得ていたでしょうが、おそらくかれにとっては、そんなものは本当に二の次だったのだろうと思います。本当に野球が好きで、強いものへのあくなき挑戦心だけが彼にとってのすべてだったのだと思います。だからこそ、パイオニアとなったのです。利益だけを考えていたら、未踏の道を切り開くなんてことはできませんから。「燃え尽きた」ではなく、「まだまだやりたかった、悔いが残る」と最後まで野球への情熱を持ち続けた野茂投手に「ありがとう」と言いたいと思います。