ちょっと前に楽天・田淵ヘッド兼打撃コーチがヘッドコーチに専念するという報道がありました。要するに、打撃コーチ解任ということです。一か月前にコーチ陣の大幅入れ替えがあった時に、責任は補佐ではなく、打撃コーチである田淵ヘッドにあるのではと書きましたが(「打てませんね。。」)、同じように考える人がいたということですね。
しかし、一番の責任は、当然ながらこうしたお友達をコーチに据えた星野監督にあるのは言うまでもありません。星野監督については、北京五輪の際にもいろいろ書きました(「北京オリンピック・野球一次リーグ 韓国戦敗退…」、「男を下げ続ける星野仙一…「燃える男」は完全鎮火。」)が、結果論だとは思いませんし、今回の件も予想通りと言えば、予想通りです。
星野監督の選手としての実績は否定しませんし、弁舌さわやかな評論家としての才能も否定はしません。しかし、指導者としてはどうでしょうか。中日・阪神時代の島野ヘッドコーチの存在の大きさは有名なところです。
その島野ヘッドが亡くなってからの星野監督の采配や指導には?マークがつくものばかりです。野村監督のボヤキもファン受けはしても選手受けはどうかは分かりませんが、星野監督の吐き捨てるようなコメントを聞いても、選手の士気はあがらないのは間違いないでしょうね。
弁が立ち、一見すると見栄えがいいものの、責任はいつも自分ではなく外に求め、イライラと誰彼となく怒鳴り散らすって、まるで誰かさんのようでもあります。理想の上司像で1位になったように記憶していますが、私は部下になりたくはありませんね。
スポーツ界も、政界も、(会社も?)、もっとリーダーをどのように育成するかということを真剣に考えるべき時に来ていると思います。政界では良いか悪いかは別にして、中選挙区の時代は、一選挙区で複数当選することから派閥の影響力が大きく、派閥領袖になることを通して、リーダーが育つという結果論でした。しかし、小選挙区時代となり、派閥の影響力がなくなり、野党だった民主党が政権をとった現在、史上最悪な首相の後継者が見当たらないという皮肉な状況を招いています。
スポーツ界の中でも、野球界は指導者育成が特に遅れていて、有名選手が指導者になるのが一般的ですが、「名選手必ずしも名指導者ならず」は常識です。
政治家も、野球選手も、「もしドラ」もしくはドラッカーの「マネジメント」を読んだ方がいいかもしれませんね。
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