東京オリンピックが決定した時に次のように書きました(「2020年、東京オリンピック決定!」)。
「私はぎりぎり前回の東京オリンピックを経験していない世代です。前回は、戦後復興から経済成長に邁進していた日本での開催でした。そして、今の日本は、高度経済成長を終え、バブル崩壊後の長い低迷と、東日本大震災と、今後人口減少をしていく社会です。そこで、オリンピックがどんなことを人々の心に刻みつけ、社会にどのような影響を与えていくのか。
貴重な社会実験です。7年後を楽しみに待ちましょう。」
それが、この様です。新国立競技場の見直しに続き(「問題山積の新国立競技場…誰の責任なのか?」「新国立競技場と安保法制」「新国立競技場と安保法制(その2)」、エンブレムの使用も中止が決定しました。何ということでしょう。
というか、この二つの選考の過程を見ていても、私が期待したような貴重な社会実験として、国民の知恵を結集しようとした形跡がまるでありません。スケジュールの問題はあると思いますが、挙句の果てに、今やり直していることを考えると、もっともっと議論を尽くせたのではないかと思います。
しかし、端から私が期待したような社会実験という意識がなかったのでしょうね。会長が「あの」元首相森喜朗で、事務局長がスポーツとどんな縁があるのか、元財務事務次官・日銀副総裁の武藤敏郎です。こんな布陣でどんなオリンピックにするつもりだったのでしょうか。オリンピックを一つのまとまりあるものとして、まとめ上げていくリーダーシップが完全に欠如しています。何かの利権の元締めか何かのつもりだったのでしょうか。
かなり遠回りをして危機的な状況ではありますが、今からでも遅くはありません(本当はかなり遅いと思いますが)。安倍首相は、新国立競技場の見直しや戦後70年談話などを自分の人気取りに利用するだけではなく、本当のリーダーシップを発揮してほしいものです。が、しかし、自分だけええ格好しいの安倍さんに、真のリーダーシップは期待すべくもありません。
願わくば、東京オリンピックが世界に恥をさらすことなく、行われるのを祈るばかりですし、国ではなく、お膝元であり、当事者でもある、東京都の舛添知事のリーダーシップに多少なりとも期待したいですね。自分たちの街東京を辱めるわけにはいかないですからね。そして、本当の主役であるアスリートたちにも声をあげてほしいですね。誰のための大会を言えば、選手のための大会ですから。
せっかくの五輪が、日本にとって残念な記憶にならないことを祈るばかりです。
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